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師匠とはすれ違うくらいでいい


私には、心の中で「師匠」と呼んでいる人が何人かいる。彼らは、私が生きる上で重要な言葉をくれた人たちだ。



毎度出てくるByron Katieは師匠の1人だ。彼女が私にとって師匠なのは、30歳のあの日、あの時、たまたま彼女の本を手にとった私が、彼女の言葉でものの見方がコロリと変わったからだ。


きっと、あのタイミングで彼女の本を読まなければ「コロリ」はやってこなかったし、彼女の違う本を先に読んでいても「コロリ」はしなかった。


私と彼女の言葉はあの日、すれ違ったのだと思う。


(……ものの見方は「コロリ」と変わるのか?「ガラリ」だったか…?)


すれ違った経験は、あったかい思い出


他の師匠たちとも、私はすれ違った日を覚えている。彼らにも、その時に必要な言葉を完璧なタイミングでもらった。それは、彼らが発している言葉と、私が考えていることがバッチリ合うタイミングであり、だからこそ「すれ違った」という表現が正しいと思う。


そして、すれ違うくらいが丁度いいと思うのだ。


あの日、あの時、私とすれ違った言葉たちは、私の今の人生を作るのに大きな役割を果たしているけれど、私が今後の人生を考える時に「師匠たちから言葉をもらいたい」とは思わない。



すれ違った私たちは、別の道をいく。私はいつまでも同じことを悩んではいないし、師匠たちも変化していく。人間だもの。ずっと同じでいることはない。


すれ違った瞬間で十分。もう師匠としての役割はそこで果たしてくれていて、それ以上はいらないのである。私の今後の人生に、師匠たちも口出ししたくないはずだ。


その言葉を思い出して自分を立て直す夜もある。


そう思うと、私の中の「師匠」とは、人ではなく言葉なんだな。



そして私もまた、誰かとすれ違う言葉でありたいと思った。



そんな感じの2023年1月。

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ハマダユイ
ソーシャルワーカー10年目。オンラインカウンセリングや相談室バオバブ(1人でやってます)で個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

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