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全身全霊で働くことを美化しない

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆, 2024)という本を読んだ。

なぜ、働いていると本を読む時間がなくなってしまうのか。本が読めないほど忙しすぎる働き方はいいのか。現代人は本を読む代わりになにをして時間をつかっているのか。

そんな問いを、労働と読書の歴史と共にさぐっていく本だった。素晴らしく面白かった。

なにより、著者のあとがきに心掴まれた。

著者は働くことが「めっちゃ好き」。でもだからこそ、「全身全霊で働くことを美化したくない」と書いている。全身全霊で働けているのは、今、たまたまできているだけなのだからと。

働けているのは家族のサポートがあり、健康な体と体力があり、サポートが必要な家族が今はいないからだと。環境がそろっているから働けていると、著者は知っていた。


そうか、そういうことかと、彼女の言葉は私の中に広がった。

私も働くことがすごく好き。でもこの好きな気持ちが、誰かを追い詰めたら嫌だと常々怖かった。私は私を「働ける私」と定義して、「働けない誰か」が私を見て嫌な気持ちになったら辛いと感じていたのだな。

でも私は「働ける私」ではなくて、ただ、「働く環境が整っている時期にある私」ということなのだ。

私も家族のために仕事をセーブしたり、病気になり一度仕事を辞める時もあるかもしれない。その時は「働けない私」になったわけではなくて、「治療と仕事の両立の時期にある私」とか「家族サポートと仕事の両立の時期にある私」になるのだ。

「働く」は状況の一つであって、環境とつながっている。「働く」は「働ける環境がある」こととセットで、「働けない」の理由もまた環境とつながっている。それは「私」とか「あなた」には起因しないということ。

理解していたはずなんだけど、無意識に「働く」と「私」をつなげていたのだと思う。なんだか目の前が明るくなった気がした。

この考え方を、私がちゃんと知っていて意識しているということが重要だと思う。備忘録として。

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2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。


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ハマダユイ
ソーシャルワーカー12年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

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