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【エッセイ】ほろほろ日和

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昭和を27年間、平成を31年間生き抜き、令和でふと立ち止まる私。振り返ると、ほろほろと頼りなさそうな足跡ばかり。過ぎた「あの頃」と「続く明日」を思いながら、日々のあれこれを綴りま… もっと読む
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記事一覧

【エッセイ・ほろほろ日和15】名前を呼ばれること、声の記憶

この二~三年、近しい人の訃報が続いています。 私の年齢もそれなりのものですので、ある程度…

【エッセイ・ほろほろ日和14】愛しの勝新太郎さま ③ ~舞台裏の宝物~

 いよいよ公演が始まるという矢先に、萬屋錦之介さんが病に倒れた。急遽、弟の中村嘉津雄さん…

【エッセイ・ほろほろ日和13】愛しの勝新太郎さま ② ~そして旅は始まった~

 勝アカデミーの在学期間は、1年。アルバイトに授業にと走り回っているうちに、瞬く間に時は…

【エッセイ・ほろほろ日和12】愛しの勝新太郎さま ① ~授業~

 昭和54年、俳優の勝新太郎さんが俳優養成所「勝アカデミー」を開校した。勝さんをはじめ、…

【エッセイ・ほろほろ日和11】美輪明宏さんのこと

 その昔、東京の銀座に「銀巴里」というシャンソン喫茶があった。  オープンが1951年(昭和…

【エッセイ・ほろほろ日和10】大好きを生きる

 子供の生活の中には「大好き」がたくさんあふれている。  雨上がりの虹、蟻の巣、タンポポ…

【エッセイ・ほろほろ日和9】イルクーツクに眠る人

 ロシア連邦イルクーツク州「第7収容所第1小病院」。 私の祖父は、終戦の年(昭和20年)の暮れ、その強制収容所で亡くなった。  厚生労働省に、旧ソ連政府より提供された「抑留中死亡者名簿」には、344名の名前と埋葬場所の地図が記されていたそうだ。  遺骨の収容が始まったのが、平成14年の夏。  名簿や日本政府の保管資料を照合した結果、祖父の長男である私の父の元に連絡が届いたのが、平成25年の春。  DNA鑑定用の検体が採取できた287柱のご遺骨の中に、祖父と思われる人

【エッセイ・ほろほろ日和8】とびら③ ~光(カウンセリングルームにて)~

「おねえちゃん… 泣かないで… おねえちゃん、泣かないで…」  聴こえる。心の深いところ…

【エッセイ・ほろほろ日和7】とびら② ~小さな声(カウンセリングルームにて)~

 何の進展もないまま、カウンセリングは三回目を迎えていた。  料金を払って身の上話をする…

【エッセイ・ほろほろ日和6】とびら① ~闇の中で(カウンセリングルームにて)~

 「人生で起こることに偶然なんてないのよ。すべては必然なの」  友人は言った。振り返って…

【エッセイ・ほろほろ日和5】32歳クライシス ~小笠原逃亡記②

 29時間半もかけて、荒波を超えて来た。そのせいか、陸に上がっても船酔いが抜けない。地面が…

【エッセイ・ほろほろ日和4】32歳クライシス ~小笠原逃亡記①

 休むことなく走り続けていた足が、突然止まった。32歳の時だった。 「頑張れば報われる」「…

【エッセイ・ほろほろ日和3】潮騒を聴きながら・平成3年~令和2年頃

■平成前期を生きる 呪いを解き新しい家を作れば  小笠原で身体は回復し、東京に戻ることが…

【エッセイ・ほろほろ日和2】潮騒を聴きながら・昭和52年~平成2年頃

■「この道」を爆走する私   同級生たちが高校に進学する頃、私は父親を説得し、県外にある日舞とバレエと声楽が学べる学校に進学しました。親戚宅に居候して通う学校は、野村先生から言われた「この道」そのもの。ここで結果が出せれば、母のことも、惨めな過去も全て帳消しになるような気がして、走り続けました。  卒業後、「家事と弟の面倒は、女のお前が見るのが当たり前」と父に諭され、一旦は家に戻ります。けれど私は、私を捨てることができませんでした。雑誌に掲載されていた、俳優・勝新太郎さんが