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【採択者紹介】福島中央テレビ~テレビの電波を越えて全国へ「福島」を伝える①~

全国・世界・地元から、福島県12市町村に、芸術家が集まり、滞在制作をするハマカルアートプロジェクト(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。
採択者とその活動を紹介しています。
どのような人々が、どのようなアートを、福島県浜通りの12市町村でつくろうとしているのでしょうか?
今回は、南相馬市小高区を中心として、アーティスト・イン・レジデンスのプログラムにて映画制作を展開する福島中央テレビ佐藤亮介さんと、滞在制作芸術家で脚本家の福田果歩さんの紹介です。

福島を取材し続けてきたからこそ届けられること

インタビューに答える佐藤さん

福島中央テレビでプロデューサーを務める佐藤亮介さんは2020年に東京から福島県郡山市にUターンしてきました。
福島中央テレビにて朝日座という映画館を舞台にしたドラマと映画『浜の朝日の嘘つきどもと』(2020年)の制作に当初から携わり、現地の人への取材や撮影のために実際に南相馬市に数週間滞在しました。

「SNSを除いて、基本的にテレビの電波は県境を越えられないので、福島県の人に福島県の情報を発信する。でも、福島県のことをずっと取材してきた我々が1番福島県のこと知っているじゃないですか」と話す佐藤さん。
福島県に住んでいる人の普通の生活を県外の人に知ってもらうためにドラマや映画という手法を使い、福島県に興味がない人でも、出演している俳優やタレント、アーティストのファンがドラマ・映画を見て、福島を知ることができればよいと考えました。
実際にドラマと映画は全国に放送・公開され多くの反響がありました。
「地元メディアとしては、発明に近いというか、僕らのメッセージも県外の人に届くんだということがわかりました」


その後も福島県のローカル局として、県内の取材を続け震災以降の福島県を知っていく中で、佐藤さんが心を動かされた実話がありました。小高(おだか)中学校(南相馬市)で誕生した『群青』という合唱曲の物語です。すでに全国の中学校で多く歌われているこの合唱曲は、福島県で生まれたにも関わらず、県内の人も、そして県外の人も、この曲が生まれたストーリーが知られていない。だからこそ、全国の人にその物語を知ってもらいたい。佐藤さんは地元メディアとして、『群青』の物語を中心にした映画を作ろうと考えました。そこで東京の映画会社で働いていた時に知り合った、脚本家の福田果歩さんに白羽の矢を立てました。

現地と東京のギャップを抱えて

インタビューに答える福田さん

福田果歩さんは、2022年に映画界の芥川賞とも呼ばれる城戸賞に準入選した経歴を持つ脚本家です。
福田さんが脚本家を目指すようになったきっかけは、小学6年生の頃、ある小説を読んだ際、自分が幼い時に得た記憶がよみがえった経験からでした。その小説は、幼少時代に見たテレビドラマをノベライズしたもので、福田さんは小説とテレビドラマが同じ脚本家の作品であると知り、この深くこころが動かされた読書体験を機に、その脚本家の作品を読んでいくうちに、物語を書くことに憧れ、脚本家を目指すようなりました。
また、高校時代は映画館に通い、現実から切り離された空間が気に入っていたため、自分と同じように映画館という空間で作品を感じてほしいと考え、脚本家の中でも映画の脚本家を目指すようになりました。

映画学科のある大学に入学後、自動車免許を取得するため、2011年の3月に友人と福島県いわき市の合宿免許教習所に滞在していました。
3月11日、福田さんたちが合宿所にいたところに、大きな揺れが来ました。
その後、何も状況がつかめないまま避難所に向かい、2、3日を過ごしていたところ、福島第一原発の事故を知った教習所の先生たちがガソリンを集めてきてくれ、県外から来ている生徒たちを何十時間もかけて茨城まで送って行ってくれたそうです。
福田さんたちはそこから無事に東京に帰りましたが、東京では普段通りの生活が送られていました。

津波があったことや、原発事故については東京に帰ってからニュースで知り、計画停電はあったものの、これまでとほぼ同じ生活を送っている場所とテレビで放送される福島や宮城で起きていることのギャップで複雑な気持ちになったそうです。
いつか茨城まで送ってくれた先生たちに恩返しがしたいと思いながらも怖くて行くことができず、大学の卒業論文で震災のことを書こうと思っても、書くことができませんでした。
「当時、震災のことに触れた小説や映画などが多く出ていて、震災をエンタメにしているような嫌悪感が10年くらい続きました」と話す福田さん。
この嫌悪感がなくなったのは、ここ1年ほどのことです。

そんなとき、佐藤さんから打診がありました。

「もう一回、自分の脚本で福島のこと、震災のこと、自分がその時感じたこと、そのままじゃなくても作品にできればいいなと思っていました。その時ちょうど佐藤さんからお話が来て、ふたつ返事でお受けしました」

取材と実体験をかたちに

プロデューサーである佐藤さんと滞在芸術家である福田さんが、南相馬市を中心に当時のことを知る人から話を聞いてそれをもとに脚本をつくり、そして映画制作を進めていきます。ここで生まれた脚本から映画の制作を完成させ、全国の映画館で1日でも長く、1館でも多くの場所で公開されることを目指して、2人の滞在制作活動が続きます。

今後の記事では、2人の活動を追いかけます。