終わりは始まり!─写真展「おやしらず」を振り返る(前編)

こんにちわーこんばんわー。今井です。

2021年初めての投稿になりますね。ことしもどうぞよろしくお願いします。

今回は私の地元であり私の大好きな場所のひとつ、富山についてつらつらしていきます。


東京で小さな写真展をやったよ

まず、最近のあらすじ。大学の卒業研究とか、単位ギリギリでとってる授業とかが大詰めを迎えてくるはずの1月。忙しくなることは予想できたし実際忙しかったんだけど、そんな1月に、初めての写真展をひらくことになってしまいました。

タイトルは「おやしらず」。私ひとりじゃなくて、大学の先輩(以下、相方)とコンビを組んでやりました。

だれかと一緒にやるうえで、テーマはとても大切になってくるんですが。私と相方の間には図らずもいくつかの共通点がありました。


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●1つ目:お互い富山にルーツを持っている

いや、最初は愛知が地元って聞いてたんだけど、生まれたのは私と同じ富山市と聞いておどろいた。今もおばあちゃんが県内に住んでいる。

私は高校卒業までバリバリ富山にいたけど、相方は小さいときに愛知へ引っ越した。それでも折々、(私と同様)富山へ通っているそう。


●2つ目:お互いZINE(本)をつくりたがってる

それで2020年の夏、家族の用事で富山へ帰ったとき、おばあちゃん家の押し入れから大量の本が見つかった。相方のお母さんが子どものときから作ってた詩とか絵を、そのお父さん(=相方のおじいちゃん)が絵本にしてまとめたもの。せっかくだからと100冊もつくっちゃってて、そのほとんどが取ってあったんだそう。

そして、お母さんもおじいちゃんも、すでにこの世を去っている。「これを受け継いで、私も私なりの表現で本にして残してみたい」という思いが、相方に芽生えていた。

一方の私もすでに、ゲストハウスとか富山の鉄道とか、好きなテーマでイラスト集やら写真集やらを作っていたから、これを聞いたときはとてもワクワクした。実におもしろい、ぜひ協力させてくれ! 


●3つ目:お互い写真が好き

そして、相方の「私なりの表現」こそ、写真だった。

「私なりの表現」でありつつも、その前提として家族の存在がある。2020年秋、相方とおばあちゃんと叔母さんとで、家族の面影を探しに、写真を撮りながら富山を旅した。私はそのお手伝い、というか半分好奇心で、それについていった。

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相方の幼少期を過ごした富山市内のアパート。お母さんの通った小学校。通学路。なじみのある海岸。家にたくさん残る家族写真のアルバム。

行く先々で脳みその引き出しをつつかれたように、おばあちゃんはいろんな思い出をニコニコと語ってくれた。ある家のヒストリーを、ナイトスクープの探偵さんになって追っかけてるような気分になった。富山のアパートからは立山連峰がきれいに見えた。


いろんな発見があった充実の旅だったけど、私はこれだけで終わらせてはいかんなと思った。おばあちゃんは色んなモノを取っておくのが大好きで、おばあちゃん家は資料館の様相をなしている(らしい)。おばあちゃんのもとへかよえばかようほど、底知れず世界が広がっていくような気がした。

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私も私で、できるかぎり富山には通い続けたいと思ってる。相方と同じ、「写真」を通して、富山を残していこうとしてる。

だけど着眼点がちょっと違う。相方が家族をテーマにしているのに対し、私はもう少し普遍的な、まちの文化とか歴史とか風土とかを、自分なりの目線で捉えようとしている。

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生まれながらに不変のルーツ、同じ年ごろの新たな芽生え、といったところに共通点がありつつ、しかし目指すところには若干の相違点がある。この絶妙な条件を繕ってくれたのが「おやしらず」という言葉でした。

以下、展示用に作成したボードより引用。

【親知らず】
大人になって生えてくるもの。子どもの頃の変化とは違う、大人になってからの変化がある。
【子の心親知らず】
親は子をいつまでも子どもであると考えがちだが、子は日々少しずつ変化し、成長している。一見しては気付かないこと、そうと思い込んでいることも、毎日変わり続けている。
【親不知】
2人のルーツ、富山と今住む千葉を繋ぐ、通らなければいけない難所。第一部で富山、第二部で千葉の風景・生活を切り取った写真を展示している。


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さて迎えた写真展本番。相方は秋の富山旅で得られた、過去と今の写真たちに言葉を添えて、暫定版として本をつくり、会場で展示・販売をするに至りました。えらい!

私も私で、前につくった富山の鉄道(=地鉄電車)の写真集を置くことにしました。

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お互い、友達が何人か観にきてくれました。相方は「こういう自分を見せるのは初めてだから」と恥ずかしそうでした。芽生え始めたあらたな一面はとても輝いてみえました。オレも負けてらんねーな。

2週間の展示期間はあっという間に過ぎました。数冊の本と若干のグッズの売上、折角だからと置いたノートへの数人のメッセージを残して、幕を閉じました。来てくれた人、お金を出して買ってくれた人、言葉を交わしてくれた人、残してくれた人、一人ひとりに感謝したい。

でもさっきから言ってるとおり、これで終わりにしたくないんです。相方も私も、まだまだたくさんのことを学んで、それだけいろんな角度から写真を撮れるようになると思う。そして、私たちの写真と物語に共感してくれる、あるいはこれを疑ってくれてもいい、もっともっとたくさんの人に出会える気がします。

とりあえず「まず身近からファンをつくる」という第一目標には、今回の展示を通じて少し近づくことができたかな。

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春休み、何しようか

展示が終わったら、あとはもう学校のことに没頭していました。1月後半から2月初頭にかけての記憶がありません。今ようやく、ひと段落ついたなーという束の間の安心感とともに、この記事を書いています。

相方はちょうど休学が決まり、私も一応?、結果的にこの先一年は、自由な時間を持つことになっています。世間でいう「社会人」になるまえに、一段落つけとこうっていうノリも、私たち似てるわね。

いままでの大学生としての夏休みや春休みは、終わりの先が見えてるから、昼寝しても何してもよかった。だけど今は、終わりの先の始めかたが完全に自身に委ねられているから、こわい。自由の極致とはすなわち恐怖。

だからこそ当然、ワクワクする気持ちはいままで以上に大きいです。無理矢理こじ開けた一年ちょっとの実験期間。いままで得られたたくさんのつながりに生かされて、あるいは生かして、自分の手でどこまでできるんだろう! その最たるものが写真です。


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とりあえず今月は、「おやしらず」って言葉を使わせてもらったお礼に、親不知の急崖をたずねます。それから黒部川扇状地を撫でつつ、いつものように地鉄電車に乗ります。

まーた地鉄か、飽きないねえこの人は、なんて思われてもおかしくないのかもしれないです。でもその一方、写真集を見てくれた人からは「富山って意外とこういう場所あるんだねー」という声を多く聞きました。

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そうなんですよ。行くたび行くたび新しい発見があるから、地鉄通い、富山通いはやめられないんです。ひとえに「富山」と一括りにされて、毎日天気予報で地名が読み上げられて、知った気になっていても、そのひとつひとつを手に取るように観察する機会って、県民でもなかなか無いと思うんです。

というよりむしろ県民のほうが、普段の生活に眩まされて気づけないんだと思う。県の外から来た人、あるいは私みたいに県から一旦離れた人のほうが、少し広めの視点を持てるから、いろんなことに気づきやすいのかもしれない。私だって仮にずっと富山にいたら、撮影のルーティンも高校のときからあまり進歩してなかったかもしれない。

だからこそ、私ならではの富山に対する視点を、写真を通して可視化することには意義があるはず。それを信じてこれからも富山にかよい、考えつづけていきたいと思います。


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で、春休みの話でしたね。富山に行く以外にも、新しい写真集の構想だったり、夢のゲストハウス計画だったり、ふだんゆっくり考えられなかったことを、じっくり育てる時間にしたいと思ってます。新潟でZINEイベントもあるみたいだから、なにかしら出展もしたいなー。

次回、そんな春休みの脳内計画を箇条書きしていこうと思ってます。お楽しみに!

それでは


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(秋の富山旅での立山連峰。呉羽山から)

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