本屋さんから広がる連想
私はいま、大学4年生として千葉に住んでます。
正直、千葉ってつまらねーなと思っていました。これまで3年間も。なんともったいない。
ある日、つくったZINEが家に残っているもんですから、近くの本屋さんにでも交渉しに行ってみようか、と思い立ち出掛けました。
そのお店は古本専門で、最初は「いや〜うちでは難しいですかね〜」と言われてしまいました。しかしよくよく話をしてみると、そのお店の方(N氏)も同じ大学を卒業していて、うちとこの学生なら応援したい!(意訳)という形で、置かせていただくことになりました。
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それからほんの2日ほど。
その方が経営する本屋さんの元店主さんが、じつは小さなZINEを企画している。ひとりで編集できて、イラストも描けるなら、そのZINEづくりに協力できるんじゃないか。というお話を受けて、さっそくその元店主さんに会いに行きました。僕のZINEを見てもらって、是非やりましょうということになりました。
その小さなZINEは来月ごろ、創刊号がでる予定です。それに向けて元店主さんやライターさんと話し合いながら、pcをカチカチする日々です。
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ZINEづくりの話をいただいてから数日後。
ZINEに寄稿するライターさんと、N氏の本屋さんに遊びに行きました。クタクタ話をしていると、「そ〜いえばバイトやらない?」と。古本の買入に整理が追いつかず、人手が必要なんだそう。
国からいただいた10万円も尽きかけて、バイトも去年ほど思うようにできていなかったから、とてもありがたい話でした。ついでに後輩をひとり誘って、週に1度ほど、たくさんの古本に触れています。
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それからまた数日。
ことしの大学祭はコロナ騒ぎで中止です。オンライン大祭をやる(どうやって?)という話もありましたが、それさえ無くなってしまいました。
文化系サークルは年に一度の発表の場を失ってしまいました。私のいる写真部もそのひとつ。どうにかして展示とか、発表とかする場所はないかなぁ〜と考えていましたが。
本屋さんのN氏にそういう話をしたところ、「お店で展示できますよ〜」と。これほど嬉しいことはない。白い壁に写真を並べる展示ではなく、本棚とコラボレーションする展示。頭の体操にもなってとても楽しそう。これもまた、来月の初展示をめざして、ゆっくり進行中です。
また今回に限らず、季節ごとにひらいたり、本のジャンルに沿ったテーマをつくったり、このままずっとなだらかに、常にアウトプットできる現場をつくっていければいいな。
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それからまたまた数日。
写真部にことし入った先輩が、家に眠らせている本があるという。それもただの古本じゃなくって、むかし家族が自費印刷した詩集?画集?のようなもの。しかも数冊じゃなくって、印刷コストを考えて? ちゃっかり100冊刷ったのだという。そんなの眠らせちゃってるのヤバイでしょ。
もし売れそうなものだったら、N氏の本屋さんに置かせていただけるかもしれないし、家族の帰省先(なんと私の地元とおなじ富山!)にまつわるものかもしれないから、そっちの本屋さんでも置かせてもらえたらいいよね、という話。
すでに私の本を置かせていただいた富山のお店とも顔見知りだし、お任せください!と言ってしまった。
さらに、その詩と写真をコラボレーションさせた本もまた、作りたいなぁとのこと。思い立ったが吉日、案外スラスラ進みます。ぜひやってくれという気持ち。
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ここまで読んでみていかがでしょう。
私がZINEをつくった、という前提はあるものの、それを家の近くの本屋さんに持っていったことで、1ヶ月ほどでこんなに世界が広がりました。
私はゲストハウスに泊まるのが好きです。経営する人、そこで働く人、泊まりに来る人、飲みにくる地元の人、いろんな主体が、ひとつの建物を介して身近に交わるおもしろさが好き。
だけど本も同じだなぁと、書いてて今思いました。言葉を書く人、本をつくる人、売る人、読む人、読んだ感想を伝える人、言葉以外のなにかに表現する人、それをまた見る人、読む人……この場合、「建物」を「言葉」あるいは「本」に置き換えることができるでしょうか。
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大学のまわりにはたくさんの学生が住んでいます。そのまちで学生と、非学生がふれあう機会ってどれくらいあるんだろう。私はこの1ヶ月を通じて、学生として学生街に住む以上、そのまちでたくさんの出会いを経験しておいて損はないな、と実感しました。大学内ももちろんそうですが、この際強調するのは、キャンパスの門を飛び出した、そのまわりのまちにおいて、ということです。
そしてそこへ辿り着くのに3年もかかってしまったことがくやしい。実際大学の福利厚生と、まちの充実しすぎたチェーン店、輝かしいSNSで、学生たちは安く暮らすことができます。「コスパ」が口癖の学生も少なくない。だけどそのぶん、学生以外の生身の人間にまじわるチャンスは案外すくない。
私も最近までそっち側で、遠くへ旅行してゲストハウスに泊まることで、「交流欲」を満たしていた。でもほんとうは、ふだん住んでる場所、足元にもある。灯台下暗しとはまさにこのことです。
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私のよく行く新潟の知人たちは、みんな一度新潟を出て、東京なりなんなりに行っている。だけど一旦新潟を出たからこそ、新潟の良さがわかったという。
地元の家族という存在、下宿先の同期同僚、先輩後輩という存在。それらの日常的社会、関係性はとても大切な生活の前提です。大切なんだけれども、だからこそ、その殻をときどき破ることが、その前提をうんと豊かにするためには、とても大切なことかもしれません。
いまは移動手段が発達したり、いろんな形の「リモート」が実現して、必ずしも場所にしばられない生活が可能な時代になっています。一方で、人によっては、足元に目を向けることが少なくなっているのではないでしょうか。
いちど、住んでるまちや通ってるまちの「足元」をみてみると、自分のなかに、あたらしいひとつの小さな世界が生まれるかもしれません。
私の住んできた千葉は、実は地味に、(いやとっても、)おもしろい場所だった!
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※ バイト上がりの深夜にテキトーに書いた連想ゲームですから、分かりにくい箇所もあるかもしれませんが、読者なりに解釈していただけると幸いです。おやすみなさい。
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