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利他とは「うつわ」のようなものと考えるとスッと腹に落ちる

『「利他」とは何か』 伊藤亜紗、中島岳志、若松英輔、國分功一郎、磯崎憲一郎著

何かと聞かれると何なんでしょう。

・コントが利他主義と言った時、この言葉は、「利己主義」に対置される言葉として想定されていました。コントにとって利他主義とは「他者のために生きる」こと、つまり自己犠牲を指していたのです。(伊藤)
・効果的利他主義の理論的支柱となっているのは、哲学者のピーター・シンガーです。彼は、効果的利他主義の原則を、端的にこう述べています。
「効果的な利他主義は、非常にシンプルな考え方から生まれています。「私たちは、自分にできる〈一番たくさんのいいこと〉をしなければならない」という考え方です。」(伊藤)
・効果的利他主義は、なぜここまで数値化にこだわるのか。それは、利他の原則を「共感」にしないためです。(伊藤)

・共感は、もっと身近な他者関係でも、ネガティブな効果をもたらすことがあります。なぜなら、「共感から利他が生まれる」という発想は、「共感を得られないと助けてもらえない」というプレッシャーにつながるからです。これでは、助けが必要な人はいつも相手に好かれるようにへつらっていなければならない、ということになってしまいます。それはあまりに窮屈で、不自由な社会です。(伊藤)

・インセンティブや罰が、利他という個人の内面の問題を数字にすり替えてしまい、利他から離れる方向へと人を導いてしまう。ここにあるのは、内発性と外部からの制度の対立という問題です。(伊藤)

・特定の目的に向けて他者をコントロールすること。私は、これが利他の最大の敵なのではないかと思っています。(伊藤)
 冒頭で私は「利他ぎらい」から研究を出発したとお話ししました。なぜそこまで利他に警戒心をいたいていたのかというと、これまでの研究の中で、他者のために何か良いことをしようとする思いが、しばしば、その他者をコントロールし、支配することにつながると感じていたからです。(伊藤)
 →利他は素晴らしいことだとは思いながらもどこか胡散臭いと思うことを見事に言語化していた一連の流れ、それを踏まえての次の文章

・利他とは「うつわ」のようなものではないか、ということです。相手のために何かをしている時であっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。それは同時に、自分が変わる可能性としての余白でもあるでしょう。この何もない余白が利他であるとするならば、それはまさにさまざまな料理や品物を受け止め、その可能性を引き出すうつわのようです。(伊藤)
 →激しく同意。利他とはうつわのようなものとは、綺麗なたとえだなと。

・サーリンズは、互酬性を三つに分類しています。
 まずひとつ目は一般的互酬性です。これは、親族間で食物を分け合う行為などを指します。返礼がすぐに実行されなくても良い互酬性のことです。ふたつ目は均衡的互酬性で、与えられたものに対して同等の者が帰ってくることが期待されるもの。さらに、できる限り決まった期限内に返済されることが期待されるという互酬性です。そして、三つ目に否定的互酬性があり、これは、みずからは何も与えないか、あるいは少なく渡して、相手から最大限に奪おうとするものです。詐欺や泥棒などを含むある署の敵対的な行為は、この否定的互酬性に含まれます。
 ・・(中略)・・一般的互酬性は素晴らしい、というのが多くの人が感じる印象でしょう。けれども、サーリンズが非常に面白いのは、その逆を言っているところです。むしろ一般的互酬性こそが権力の萌芽である、というのがこの本のいちばん重要なポイントです。(若松)
・ヒンディー語では、「私はうれしい」というのは、「私にうれしさがやってきてとどまっている」という言い方をします。「私は」ではなく、「私に」で始まる構文のことを、ヒンディー語では「与格」といいます。(若松)
・利他はどこからやってくるのかという問いに対して、利他は私太刀の中にあるものではない、利他を所有することはできない、常に不確かな未来によって規定されるものであるというのが、ここまでの議論を通じてお伝えしたかったことです。(若松)
 →うまく説明できるように繋げるのが難しかったのですが、面白い観点だったので、是非読んで欲しいです。


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