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数字と付き合いはじめた人生

 近年の科学や医療技術の発展が目覚ましい。そのおかげで、あらゆることが、数学として視覚化されるようになった。今まで、感覚でしかわからなかったものが、数字になり、客観的に理解できるになったわけだ。

これは、人類にとって、非常に助かることだ。数が見えるようになったことで、危機から救われた人が数え切れないほどいるはずだ。人類は確実に進歩している。

スポーツでも、データサイエンスをうまく活用できる選手やチームが、勝てるようになってきた印象がある。

数字の力は凄い。ただ、自分の感覚とは一致しないことがある。


常に数字に意識を向ける必要がある生活への変化

昨年1型糖尿病が発症して、僕は常に数字を意識しなければならなくなった。血糖値のことだ。朝起きて、まず血糖値を確認する。次は朝食2時間後、また昼食前に、その2時間後、夕食時も同じように。最後は寝る前にチェックし、一日を終える。大体1日7回血糖値を見る。これを毎日していく。

担当の主治医さんからは、食前の血糖値が120以下、食後2時間の血糖値が180以下なら大丈夫と言われている。その範囲に収まるように、主に炭水化物量を計算し、インスリン注射をして、コントロールを図る。

ちなみに、食後血糖値が70以下だと低血糖状態になり、手が震えたり冷や汗が出たりする。これは、ごはんの量に対して、インスリン注射の量が多すぎた場合だ。そんなときは、ブドウ糖を摂取するか、バナナを食べて対処する。

逆にごはんの量に対し、インスリン注射の量が少ないときは、高血糖になる。食べ過ぎで、頭がボーっとしたり、強い眠気に襲われたりする状態のことを想像してもらえれば、わかりやすいと思う。そして、この高血糖状態が長期間続くと合併症リスクが高まる。だから、インスリン注射で血糖値をコントロールしていく必要がある。

病気になってから、半年ちょっと経った。さすがにこの一連の作業には慣れてきた。面倒くさいとは思うが、食前の儀式みたいなものになっていて、酷くつらいことではない。食べる前に注射するだけだ。血糖値もセンサーで測るだけだ。


自分の感覚と数字の客観性が乖離

低血糖、高血糖はだいたい感覚でわかる。あきらかに症状が出る。低血糖であれば、手の震え、高血糖なら頭の鈍痛。しかし、実際の数値と自分の感覚が異なることも、度々ある。丁度よくコントロールできたと思っていたのに、血糖値を測ってみたら、高血糖だった、のように。

不思議なことに、めちゃくちゃ元気だったのに、数字を見た途端に、調子悪くなることがある。全く問題なかったのに、急に強い頭痛に襲われる。そうなると、集中力がなくなり、作業に支障がでる。数字を見たせいで、作業に手がつかなくなる。せっかく絶好調だったのに、気持ちが数字に引っ張られて、調子悪くなっていく。数値上の自分と感覚上の自分。間違いないのは数字。だけど、自分の感覚も信じたい気持ちがある。しかし数字を見て、本当の自分の状態を確認しなければ、いつか痛い目にあうかもしれないのが自分の病気だ。


サッカーでよく似たような話をきく。最近はデータ技術が発達していて、試合中誰がどのくらい走っているかがわかる。ベンチスタッフは選手一人ひとりの状態を数値として観察できる。そこで次のようなことが起きる。ある選手は、今自分が絶好調と感じていて、まだまだプレーしたいと思っている。しかし、スタッフが見ているデータ上ではスタミナがかなり減少していて、交代させたほうがいいのはあきらか。そこで監督はその選手をベンチに下げる。選手は絶好調と感じているため、監督に不満をもつ。監督はデータを示して、選手を納得させなきゃいけない。精神と身体の状態が一致していないと、身体に無理をさせることになる。大きな怪我につながるかもしれない。


数字と感覚どっちも大切

良い数値を志し、保つことで、健康的に生きていくことができる。数字は確かで、彼は嘘をつかない。

けど、人は虚構を信じることができるし、逆に真実を信じない、という選択肢がある。だから、正しい数字を見ても、信用しないという判断も可能だ。自分の感じていることだけを信じる。それも人間らしいと思う。


ここまで書きながら思った。データを重視する、感覚を大切にする、というのは、両極端なものかもしれないけど、僕は両方を大事にしていきたい、と


残念ながら、今は、1型糖尿病というのは完治できる病ではないらしい。だからこれからもずっと数字に注意を払って、インスリン注射をしていかなきゃいけない。できるかぎりの健康を維持するために。生きていくために。世界を見るために。歩くために。苦しみや、喜びを、感じるために。

病気のことは、とうに受け入れている。しかし、まだ、数字と上手に付き合っていくことができていない。これから経験を積み重ねていくことで、彼と折り合いがつき、いい人生にしていけること願う。



生涯勉強!大切に使わさせていただきます!この感謝を忘れません