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ツブツブの命

夕飯の用意をしていて思った事。

冷蔵庫にもやしが1袋あったので「お袋、これいつ買ったんだ?もやしは意外と脚が早い(腐りやすい)から、買ってきたら早く食べちゃわないと茶色くなってぐじゅぐじゅになっちゃうぞ?」と言ったら「あらそうだったわ。ん〜〜どうしようかしら」「軽くゆがいて胡麻和えにでもしたら?」

と、いうわけで僕はひたすら白胡麻をゴリゴリとすって味付けし茹で上がったもやしとあえていたのだが。

すり鉢やすり棒にくっついたゴマたちを見て思ったのだ。「このゴマ1粒1粒が、芽を出して成長するはずの命の種なんだよな…」そう思ったらもったいなくてできるだけ残らないように無心ですった白ゴマをもやしに和えて皿に移した。

僕は、タラコや明太子やイクラやシシャモの魚卵なども好物だ。タラモサラダを盛り付けながら思った。「このタラコも1粒1粒が命なんだよな。大事に食べないと…」とか思ったりすることがある。シジミの味噌汁に残った無数のシジミの身や、しらす干しの1匹1匹などを見ても同じようなことを考えてしまう。

…だからなんだ?と言われると、特に深い意味は無いのだが、人間という生き物は雑食でなんでも食べてしまうから罪深いような複雑な気持ちになるのだ。

僕の好きな偉人たちは、不思議とベジタリアンが多い。宮沢賢治やスティーヴ・ジョブズなど。植物しか食べないで短命だった。

だけれど、それを真似ようとは微塵も思っていない。仕事などで体力スタミナを使い果たすと僕は肉食となりガツガツと動物性タンパク質を摂取したくなるし、胃腸の調子が良くなければやたらと繊維質の多い野菜や果物を欲す。

今日の夕飯は、お袋が、自分が食べたくて自ら作ってくれたクリームシチューだった。タラモサラダともやしの胡麻和えを添えて。

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