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母と離れ、仔猫に出会う

2023年、12月21日。お袋が自分で購入し終の住処として大事に暮らしていた3LDKのマンション(今の僕のうち)を出ていった。

今年夏の終わりに、1度別れた男(母より1つ上の後期高齢者)から電話があったのがきっかけだ。男が住んでいる都営住宅が老朽化故の建て替えで新築になり、居住権がある住民が一斉引越しをするという。男は人生で1度も結婚した事がない。当然家族はおらず、何十年にもなる独居暮らしがシンドかったようで、お袋を呼び出して話し合い、「そろそろ終活を考えねばならない年齢になった。ついてはお互い、重い荷物を下ろし、2人で気楽な同居をしませんか?」という事だったらしい。僕は、お袋が外でコソコソと僕があまり好きではない元彼に会っているのを勘づいたが、黙っていた。何しろ、1人でいるのが好きで、あまりまともにお袋の相手をしてあげていなかったから若干寂しがり屋のお袋は、誰か同年代の男と昔話でもしながらのんびり楽しく過ごしたいという願望を無意識に持っていたのだと容易に推察できたのだ。

だが、その男と一緒に住む事にして復縁もしたから「此処を出ていくわ」と言われた時は流石にびっくりした。其奴でいいのか?このマンションはお袋が苦労して手に入れた終の住処じゃなかったのか。僕の生活態度が気に入らなかったのか。僕にしては、お袋を多少疎ましく感じながらも窮屈に遠慮がちに暮らしてかなり譲歩をしていたつもりなのに、そんな、金は持っているけれど酒呑みでギャンブル好きで脳味噌も小さくて、下品な駄洒落やつまらない冗談を大声でまくしたてる煩い男にまだ未練があったのか...... 等々、クエスチョンマークが飛び交ったのだが、小さくても新しい都営住宅への引越しに向けて、新しい家電や家具などを男の運転する車で楽しそうに買いに行くお袋の自由にさせてやろうと、僕は反論しなかった。反論はしなかったが、お袋自身もかなり拘りが強くて感情の起伏も激しい。果たして、そんな下世話な男と上手くやって行けるのかどうかは...... 恐らくとてつもなく大変な事になるだろうと心の中では大反対をしていた。

兎にも角にも、お袋は引越しへ向けてコツコツと何日もかけて自分の部屋の荷物を段ボールに詰め、引越し先が狭いから、どうしても持っていきたい洋服ダンスと本棚と小さな物書き用のデスクと画材一式をまとめ、引越し業者に頼んで出ていった。引越し先に新しいカギを持った住民がいないと困るから、お袋は男と車で先に隣町の都営住宅へ行くことになり、僕は業者がお袋の部屋から荷物やら家具やらを運び出すのを見届けてから戸締りをし、チャリでお袋たちの引越し先まで追いかけ、手伝う事にした。

ベッドだけを残し、空っぽになった部屋を見ていたら少し悲しくなった。ケンカもしたし(喧嘩というよりはお袋が一方的に怒って臍を曲げ、僕にギャーギャー文句を言うから、お袋が沈静化するまで僕は外へ出て喫煙所などで時間を潰すだけ)、僕がその日あった出来事をわかりやすく身振り手振りで話して聞かせ大笑いをした事もあったし、疲れやすく体調を崩しがちなお袋を介抱したり肩を揉んでやったりもしたし、僕が作るシーチキンのオムレツや豚汁や鶏つくねと大根のスープを美味しいと言って食べてくれたよな......等々いろいろあったけれど、なんとか上手くやってたよな?「そうだろお袋、違ったか...?」

お袋とお袋の持物だけがスッポリと抜けたマンションを後にし、隣町(片道およそ5キロほどだが、大きな河があり起伏があるので自転車で往復すると少し疲れる)の都営住宅で片付けやら買い物やらの手伝いをして、複雑で切ないような気持ちになりながらの夕方暗くなった帰路。尋常でない叫びのような「うぎゃー、うぎゃー」という猫の鳴き声をビルの駐車場の通りに面した茂みの中に聞いて、「猫だ!」と思って咄嗟に自転車を停めた。

ライトを付けた自転車の眩しさにビックリしたのか一瞬生け垣の中へ潜ってしまったが、僕がしゃがみこんで「どうした?」と静かに問うと、白に薄茶色がちょっぴり混じった柄の、まだ生まれて1年経っていないような痩せた仔猫が1匹、僕のしゃがんだ膝まわりに寄ってきて、体を擦り寄せて来たので「寒いね、それにお腹も空いているんだね?」と小さい声で話しかけながら、そっと撫でた。可愛かった。地域猫である避妊手術&健康診断済の耳の桜カットも無かったし、ダニよけや誰かの所有である証の首輪もなかったし、どこか近所で産み落とされ、偶然にも保護されないまま大きくなった推定4〜5ヶ月くらいの女の子のようだった。抱き抱えてやると、僕の口に鼻先を近づけてクンクンされ、挙句キスをされた。タバコ臭いはずなのに。「家にくる?温かいし、ご飯もあげるよ?」そう話しかけると「にゃ」と返事をしたので、荷物を運んで空になったマイバッグを広げてそこへ入るように促した。

猫は一瞬マイバッグの中へ入ったが、持ち上げようとしたらバッグの底の安定が悪かったらしく、すぐにすり抜けてバッグから飛び出てしまう。

ダメだな、保護したとしても、家まで帰るのに洗濯袋もキャリーバッグも無いし、そのままスーパーやコンビニに寄ることもできない。当然、猫用のトイレやベッドもない。どうしたもんだか......と考え込んでいたら、仔猫の鳴き声がすごいので、見ず知らずの通行人がジロジロ見るし、ビルの近くのマンションの窓から住人が顔を出して見下ろしていたりもしたので……、かなり後ろ髪を引かれたが、とりあえず諦めてその場を離れる事にした。鳴き声等かなり目立つ子だから、近隣の人や保護団体に通報がいってきちんと保護してもらえるかもしれない。無理に力ずくで連れ帰って人間を怖がるようなトラウマになったりしたら保護もされにくくなって空腹と寒さで死んでしまうかも。明日もこの辺にいたらその時は連れて帰ろう(うちのマンションはペット可)と思った。

猫の事を考えながらペダルを漕いでいたら、お袋の姿が脳裏に浮かんだ。お袋が去った穴埋め的な感じで、あの猫が現れたような気がしてならない。

一週間以上経って年越し間際の今も、買い物やら用事やらで猫がいた付近を何度も通ったのだが、いなくなっていた。きっと誰かに無事保護されたのだろうと思う。

それにしてもあの野良猫、黒っぽい僕の服装や低めの声、煙草の臭いも厭わずに自ら寄ってきて甘えてくれた。僕は今では家の中では煙草は吸わない。外で吸うから髪や服に臭いは残ってしまうのだが、連れ帰れたなら一緒に住みたかったと後悔が尽きない。

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