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長い自己紹介

猫屋敷温と書いて、ネコヤシキハルと読む。
区切るところは、ネコヤシキ・ハル。
2020年4月5日、11:17現在、あと2週間もすれば、31歳だ。

27歳の7月7日に結婚をした。
(記念日って忘れてしまいがちだから、大好きな七夕にした)

私は24歳だか25歳だかのときに、発達障害の診断を受けた。
それまでは、「なんだか生きづらいなあ」と感じながらも、
ヒトが言う、いわゆる「フツー」の生活をしていた。

遍歴としては、中学にして初めての反抗期、不登校を迎え、
学校をサボっては川崎のチネチッタというシネコンに足繁く通い
中学生のくせに週一ペースで映画鑑賞をしていた。
そして映画鑑賞の合間に、一階のタワーレコードの洋楽コーナーと
ワールドミュージックコーナーで視聴をしては、
それまで貯めていたお年玉を費やしてCDを購入するといった、
かなりヘヴィな中学生生活を送っていた。

そのころ、CGIboyという多種多様なCGIを無料で貸し出してくれる
神のようなサイトがあり、そこでいろいろなCGIをレンタルして
日記や掲示板やらアクセス解析を張っ付けたホームページを持っていた。

まだまだ、「ブログ」なんかが出てくる随分と昔のことだ。

中一ではじめて自分のホームページを作ったので、2002年?
当時はまだ日記と掲示板だけのシンプルで質素なホームページであった。

中三の修学旅行に行くときだったか。カメラ持参OKだった。
当時のわたしは本当にもうイヤイヤ期真っ只中で。
なんと親に、修学旅行に行くのを嫌がり、
「コンパクトデジタルカメラを買ってもいいなら行ってやる」
と宣言したのである。
当然、行ってほしい親はこの条件を飲むしかなく、お年玉貯金で
ソニーの浜崎あゆみがCMしていたコンデジを購入したのである。

そこから、わたしの人生は一変した。

今までは、写真部でお互いみせあいっこすることくらいしかなかった
自分の写真を、ホームページに何げなくアップロードしてみたのである。

なにげなく撮った、本当になにげなく撮った写真。

それが、本当に本当に、今や懐かしの「web拍手」にて大絶賛されている。

親交のあった人たちからは、「いつも日記と写真楽しみにしてます!」と。

昔、写ルンですで撮った写真、親戚に褒められて、調子乗ってたけど、
それとはまた違った快感を覚える。
だって、見ず知らずの人から、顔も名前も知らない人から、「好い」って。

そこから、謎の自信を持ち、どんどん写真にのめり込むわたしであった…


時は経ち、高校。
不登校だったわたしも、なんとか偏差値37の高校に入学。

GWが終わると、中学時代つるんでいた男子の親友から部活のお誘い。

「おい、オマエ、野球部のマネージャーやってくれよ、頼むよォ…」

話しを聞くと、どうやら「大デブ・中デブ・出っ歯ブツブツ不細工」の
所謂「お笑い芸人」のような三人組がマネージャーとして参入したそうだ。

しかも、3年生目当てで全く仕事をする気がないそうで。

「オマエならホラ、みんななんでも気軽に頼めるし…
 あいつらのことやっつけてくれよ~!!!!頼む!!!!」

今までどちらかというといじめられっこで、人から頼りにされたことなんて
あまりないので、そんなこと言われたら悪い気はしない。
ホイホイと乗せられるままにマネージャーになってしまったのである。
まあ、これはこれで良い経験になった。

2年に上がってから、写真部と兼部し始める。
これが後にわたしを救うことになる…。

3年、進路を決めるとき。わたしは最初映画監督になりたかったのだ。
武蔵野美術大学に行こうと思っていた。(驚くくらい自分の実力知らねえ)

横浜であった美術系の大学の合同相談会に写真を何点か持参して
母親とGWかな?あれは暑い日だったな。ふたりして行ったんだよね。
そこで、作品を見てくれたムサビの先生に

「きみは写真に進んだほうがいい、コンクールにも積極的に出しなさい
 写真は日芸だ、今日ここにはいないけど、絶対応募しなさい」

って言われたんだよね。すーぐ真に受けるからさあ。笑

家帰って速攻資料請求して。そしたら1学期の成績でAO推薦決まるってよ。

どこに学校があるのかも調べずに、とりあえずAO推薦に
受かることだけを目標に、まずは教員室で挨拶廻りですわ。笑

「先生!わたし日芸に合格したいんで、成績4ください!お願いします!」

当時、高校在学中に写真の活動歴があると、成績3.8以上。
ないと4.2だか4.3以上の成績がないとAO推薦受けれなかったのよね。

幸いなことに、わたしは2年生から写真部で活動をしていたので、
成績3.8あればAOの基準は突破できるのですよ。

これを見たとき、本当に救われた気分だったわ…。
(偏差値37の高校で3.8取れてない時点でどうかとも思うけどね笑)

2年の3学期が、3.78とかやったんですわ。ギリギリね。
だからもう、挨拶廻り作戦よ。笑

でも、本当に、わたしの通っていた高校って、指定校か専門行く子ばかりで
センター受ける子も学年で5人とかしかおらんような学校だったから
AO受けるって言ったら、先生みんな応援してくれて。

ギリギリ、1学期の成績、3.9かな?取れて。

ソーーーーンって応募しましたわ。

そして、当日。胸が張り裂けそうだったわよ。
小論文と面接。作品持参で。
小論文。ひらがなだらけ、ぐちゃぐちゃの字。だけどいっぱい書いた。
面接。小論文について全く突っ込まれず。
作品について。
わたしは、フイルム写真を自己現像したのと、写ルンですで撮った写真と、
当時ガラケーで撮った写真をキタムラでプリントしたものを持参したのね。これらは、全部、めちゃくちゃ突っ込まれた。面接、長かったなあ~~
ガラケー写真は、すごい驚かれたし、写ルンですも驚かれた。
「カメラは機材じゃないね、アハハ」って、面接官だった教授ふたりが
笑いあっていたのが、すごく印象に残った面接だった。

数日後。いつものように学校をサボって自室でうとうとしていた。

母親がガッチャガチャと勢いよく玄関を開けて

「大学~!!!!!受かったよォ~~!!!!!!!!」

って、大騒ぎしていた。

でも、結局何か辛くて、3年のGWまで行って辞めてしまった。

当時習ったことは、フイルムばっかりだから、
まったくもって活かせてないけど、楽しくもあり、苦しくもあり。

でも、いい思い出。(またそれ?)


そして、わたしは水商売の世界へ。。。

2年ほど働いたときかな?偶然、石子秋貞と出会う。

そのオハナシは、
Boothにて販売中のマガジン一服の特別付録「歪な歯車」
にてお読みいただけます!!!!

なかなかにデカダンしてますよぅ…。

おうち時間のお供にいかがでしょうか?!

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退廃的な写真と散文を書き綴るヒト。