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イヤホンがエレベーターの扉のすき間に吸い込まれていったとき、えもいわれぬ悲しさがよぎったのです。

それは一瞬のできごとで、
かちゃりぱたりと音がしたかと思うと、それはエレベーターの内扉と外扉のすきまの深い溝の、もう手を差し入れても届かないくらいのところに引っかかっていました。
何を落としたのか認識できずに覗き込んでみたら、暗い空間の上の方に、かろうじて特徴的なジャックと、白いコードが見えました。
私が確認するのを見届けるみたいに、一瞬の対峙はあえなく解かれ、どこへともなくしゅるりと吸い込まれて行ったのです、


鍵や、大切な指輪、カード類、そんなややこしいものじゃなくてよかった、ただのイヤホン。買えば済むだけのもの。それでも、そのこととは別に、頭が真っ白にフリーズしている自分がいました。

それは、異国の川でクルーズ中に大切な結婚指輪を落としてしまって探せなくなった人や、エレベーターの扉の中で飼い主がリードを持ったまま犬が外に取り残されてしまう怖い絵、エスカレーターに靴ごと巻き込まれて指を切断してしまう人、あるいは一瞬手が離れたことで落下して命を落としてしまう人……、様々な物語を一瞬にして想起させ、
だんだんと大袈裟な想像になっていることは間違いないとはいえ、
一瞬のミスや油断で、取り返しのつかないものを失うという世界がそこにぱっくりと口を開けていることにショックを受けてしまったからなのでした。
その一瞬で体を弾き飛ばされた意識が、うまく戻ってこられないほどに、遠くの深淵に飛ばされてしまったのです。

そういう“穴”がこんなところにあって、そしてモノがイヤホンでなければ、取り返しのつかないミスに恐ろしい後悔にさらされていたかもしれないことが、ひどくショックだった。
たとえば私が、ハムスターを飼っているとしたら。ハムスターが、その穴に吸い込まれてしまうのを見たら、どうやって助けるのだろう。そんなことを考えるほどに、めちゃくちゃに怖くなってしまったのです。

ほんとうにほんとうに、身近で、容易なところに死のトリガーがあるっていうこと。
いつものように歩いていて暴走車に轢かれるのも、これくらい唐突で避けようがない一瞬のことなのだと思うと、なんだかいろんなできごとが、悲しくて悲しくて仕方なくなってしまったのでした。

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