【日記】現にいるのは自分と、もう一人だけ
映画館の話
映画館が好き。
僕の生活のなかで映画館に行くという行為は、日常に紐づく、当たり前で、生きる上で欠かせない、もはや水、空気、みたいなものだ。
突然に即位した横暴な王が映画館を禁止にしたとしたら、僕は同士を募り、令和のチェ・ゲバラと呼ばれるようになり、50年後くらいには僕の顔が印刷されたTシャツを、若者がおしゃれに着こなし、その10年後には僕の映画化もされ、おいおいと命の果てが近くなったご老体の僕がよたよたと映画館に足を運び、それを見ることだろう。
とにもかくにも映画館は良い。
だからこそ僕は目的地に向かう道中で映画のような偶然の出来事を待ち望みながら歩くのだが、その思いはたいていの場合空転し、ただただ時間だけが過ぎ去っていくのだった。
だがそれでいい。二時間の逃避行。それが映画だ。
今回、そんな僕の貴重な二時間弱を優雅にも奪ったのは、『怒り』と『音(物音、名声、さざめき、呂律)』。
二本観たので、奪われたのは人生の約四時間。
僕が観たのは何だったのか。そして、得られたものは何なのか。そんな振り返りと学びの繰り返しを長年続けてきた。
僕の人格は学校教育ではなく、映画で培われたと言っても過言ではない。(それと親の愛や恋心)。
狭い座席に収まっていたお尻をあげ、映画館から出て見上げた空が澄んでいるように感じ、失われた愛すべき時間に思いをはせているあいだ、その空もとに自分の心があるように感じた。その空のもとの心には、怒りと、音。
まずは『怒り』。
それから『音』。
爆音とともに始まる映画も良いが、今回、両作品のBGMを聞いた時、まるで誰かが爆弾を投げてから爆発までの時間を与えているみたいだと思った。
何もわからないまま聞こえていた轟音のリズムは、さながらドラム式洗濯機の中で回されている洗濯物の気分とよく似ていた。そのドラム式洗濯機の回転に身を委ねているうちに僕は、怒涛のように押し寄せる音の波にのまれた。
そして、その渦の中で僕は怒りがそびえたつ山の頂きに立っていることに気がついたのだった。
これが今回観た二本の、映画感想文。
泥の話
玄関マットが欲しい。
こだわりは無いが、色は黄色が良い。
ニトリには無かった。
代わりに良いバスマットを見つけた。
珪藻土入り、やわらかい。
大きなマウスパッドだと思ってくれていい。
家に帰り、風呂場の掃除をした。
棚の奥から埃被った鼻用の泥パックをみつけた。
きっと消費期限は無いのだろうし捨てるのは勿体ないので使ってみた。
意図せず、気付けば、鼻まわりにゾウさんがいた。
ぱおーん。
ご当地いの話
ご当地ちいかわキーホルダー。
ちいかわ(ちゃん)達のカラフルなイラストに、それぞれ違うポーズ、表情がとっても可愛い。 バッグやリュックに付けても良し。お部屋に飾っても良し。 ちいかわファンなら旅先で必ず手に入れたいアイテム。
この商品は、日本中を旅したくなるきっかけになる。旅のついでに留まらず、ちいかわついでに旅をしたっていい。
インドア推奨行動過激派の僕なんかは、もし一人旅するとしたら、それだけがきっかけになる。持っていないご当地いの都道府県に赴くことだろう。
僕の出身は新潟県。帰るきっかけは多いので、もちろん(ちいかわファンの僕は、グッズを買い占めるような層ではなく、心中心の消費者層((ナガノさんの生み出すちいかわちゃん達の可愛さに悶え癒され幸せを願う者))なので)、新潟県のご当地いは全て持っている。
そしたらついに新潟ご当地いに新作がきた。笹団子の次は、トキだ。(予想通り)
僕は人付き合いが苦手と自分でも認めるくらいの男で、人付き合いが得意そうな友達が全くいない。そのため、受け身だけの人間は自然とひとりぼっちになっていく。
けれども、だからこそ、周りにはかけがえのない友だけがいる。仲間意識のシンパシーがつなぐ友情がある。
僕にはそれが神の存在を超える、信じられる確かな奇跡だ。
たったひとりの友が、写真の9.5割のご当地キーホルダーをくれた。その人は意外とアクティブで家族思い(ご当地いは全て家族旅行先で手に入れた物らしい)で、一見僕とは違うようだけど、ちいかわが好きで、映画が好きで、それだけじゃない共通点によってつながっている。
この関係は、人とのつながりに飢えた僕に、これひとつさえあればいいんだと思わせてくれる。
僕からも、新潟で手に入れてきたご当地いを贈りたい。が、困ったことに、その人の母の実家が新潟にあるので新潟のご当地いを手に入れることは容易なのだ。(その人は家族で一年に一度、大晦日に新潟に行っている。帰っていると言うのが正しいか)
僕が日本中を旅したいと思うきっかけは、そこにある。
noteの話
こうした日記だけでなく、気になることや作りたいものをまとめた記事を、noteで書いている。(よろしければ読んでみてください)
ネタ探しには苦労していない。ふと思いついたことを実行するだけ。頭の良い、為になる記事は書けないので、今までに培ってきた喜怒哀楽だけが、思いつきの原料。
思いつかなくても、頭を空っぽにして街を歩いていれば、一日に一度や二度は見つけられる。誰にでもできることだ。だから僕でも始められた。noteありがとう。
投稿者(分母)が多く、僕の記事が人の目に留まる頻度が低いが、その分投稿意欲を掻き立ててくれる。
写真のメモはここ最近の思いつきで、近日実行される可能性が特に高い。
オリジナルキャラを作る(言葉からイメージしたキャラをイラスト化し、最後にはそのぬいぐるみを製作)(例えば「マグサイサイ賞」←マグサイサイ将という武人、又はマグサイ宰相という総理大臣)
コロコロコロッケを作る(ビー玉くらいのコロッケをたくさん作る)
コンソメの生姜焼き(やけくそメシ)
家でキャンプファイヤー(工作)
部屋の角に何かを作って、ひたる
宇宙ペットの異空間犬小屋を作る
コールドスリープの装置を作って気持ちよく眠りたい
最後の、装置作りが今一番にしたいことだけれど、何せ、大変そう。人が入れるサイズの工作で、素人には加工が難しい。ガラス部分はアイデアでどうにかなりそうな目処が立っているが、人が眠る部分が悩ましい。
目標が明確になっていると、僕は活動的になる。だらけきった生活を送らずにすむ。ようするに、いかにして不毛の時間をなくしていくかが、毎日を有意義に暮らすためのポイント。
その活動の中身が問題で、不毛な時間で不毛の時間を無為に過ごしている気もしているが、その活動が自分にとって実りあるものであれば、それは充実した時間の使い方と言えないだろうか。そうだと言ってくれ。
雨の話
雨の音が好き。
雨上がりの匂いが好き。
雨粒がいろんな所を踊っているのが好き。
花に降りるしずくを見ていて楽しい。
遠くで響く雷も好き。
嫌いなのは、濡れる事だけ。
ほんとうの雨の音を聞いてみたい。
聞いている雨の音は、何かにぶつかる音でしかない。
雨粒が踊っているのは、水溜りに落ちる瞬間だけ。
花に降りるしずくは、花びらを滑って流れてしまう。
遠くで響く雷も、雲の上で弾けているだけ。
本当の雨音を知りたい。
ひたすら続く穴に落ちていく雨のそばを付いて、僕もその穴に落ちていけたらと思う。穴のふちに掴まって、終わりのない雨の行く先を見ていられたら、それはどんなに楽しい事だろう。
僕はいつも、そんな想像をしては、雨粒が地面に落ちる音を聞いている。
詩的なことを書いてしまったし、これからの夜はもう少しだけ長いので、思いつきの詩を書いてみよう。見たこともない居るかもわからない誰かを想って。
書いてきた↓↓↓ この日記はこれで終わり。おやすみなさい
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