僕だけが見ていた世界から持ち帰った後悔と反省のお土産
※落ち込んでいる人だけ見てください
僕は死にたいと思った。
エッセイの枕としてはこれ以上ない悲愴なものだろう?
僕は今もまだ生きているし、これが、これから死ぬための最後の文章ってわけでもないんだ。遺書では無く、今はただの、一人の男のエッセイさ。
「エッセイさ」ってお祭りの掛け声みたいじゃない?神輿をかつぐ汗なめまかしく熱気立つ男女の周りで煽り上げるおじさんのような。「エッセイさ!エッセイさ!」って。
今これを読んでくれている落ち込んでいる人は思うよね、元気じゃんって。
悲壮でなきゃ保てないくらいに僕の精神はいまぐちゃぐちゃなんだ。
ここからはその理由を書いていくんだけど、ここからは今落ち込んでいる人と死にたいと思っている人と、未来が不安な人だけが読んでくれ。
そうして一緒にオチてくれ。ここに居てくれ。
オモコロ杯で負けた。これが今日の全て。
聞いてくれー、まだ行かないでくれー、宿題も今日のドラマも食事も一旦忘れて僕を聞いてくれ。ここを読んでいる人はそうなんだろ?僕たちは同じだろ?グラフにしたら同じ数値の悲しみなんだ。
僕は夢を見たんだ。去年の3月に。それは前回のオモコロ杯が開催発表された頃なんだけど、僕はその時に夢を見たんだ。いや、見つけたんだ。オモコロライターになりたいって夢。
ちなみに僕は今、過去の夢に破れたフリーターなんだ。未来に不安を持ったまま今の瞬間だけを下向いて生きているだけのフリーター。そんなフリーター僕がここだと見つけたのがオモコロライター。ライターじゃない、オモコロライター。
逃げ道なんかじゃなかった。まあでも、去年のオモコロ杯の時はあわよくばな心だった。去年の結果はぼろぼろ。ていうかそれまで執筆活動してたわけじゃないし、いきなり書いたやつが賞とるわけないよな。
「ここだと見つけた」なんてかっこつけたことを言ったけど、結果が発表された6月頃から10月くらいまでは、また同じ下向きフリーターをずっと続けてた。現状維持現状維持。終わってる現状維持。
何がきっかけだったかは忘れたけど、10月から文章を書くことを始めた。次のオモコロ杯に向けてだ。それがこのnoteに書き始めた日記。
少し話を変えるね。言うのは恥ずかしいことだけどもういいんだ。聞いてくれ。
僕は大賞を取れると思っていた。
恥ずかしいだろ?バカみたいだろ。本気だったんだぜ。
大賞はだめでも金賞、銀賞、いや銅賞には…今思うとほんとおバカ(げんこつ)。
ごめん。また変える。勢いで書いているから時系列がぐちゃぐちゃなのは赦してくれ。だれも怒ってない。だれも気にしていない。分かってる←鬱の傾向、自分語り。
僕は今日を、人生が変わる日だと思っていた。上記の通り、大賞を取ると思っていたからね。
だからといって能天気に今日まで過ごしていたわけじゃないんだ。元々心配性な僕だから「もし何も獲れなかったらどうしよう」と毎日思った。
元々楽観的な僕だから「でもきっと獲れているだろう」と重ねて思った。その繰り返しの毎日だったが、眠る前には楽観的な僕が能天気な僕の掛布団になる。
(大丈夫大丈夫と言い聞かせて眠りにつく毎日)
こんな妄想もしたもんさ。 …ぐっ。これを言うのはとても恥ずかしくつらいことだ。口にすることで恥じになる
こんな妄想もしたもんさ。例えば、
「オモコロで書く一発目の記事は○○で○○だな!」「オモコロライターの飲み会で自己紹介するときのセリフは○○○って感じかな!」「これあわよくばバーグハンバーグバーグ入社かな!」…その妄想は100を超える。
noteに書く日記はとても楽しかった。これまで人生のROM専を貫いてきた僕にとって、発信は新鮮だったんだ。ツイッターもそうさ。noteで日記を書き始めた10月ころから発言(ツイート)し始めた。…ちょうど一年前か。
日記を書けばいいねの反応がくる、これがすごくすごく嬉しかった。ほんとうにほんとうに。実際の僕はおしゃべりで、人に話をきいてもらうことに喜びを覚える人間だから、今日の文章を見れば察せる? へへ。とにかく本当に本当にうれしいんだ。
この一年で自分を語ることが好きになってしまったんだ。
今回のオモコロ杯、発表までほかの人の作品は見なかった。(僕が勝つんだから見る必要ないよねって考え)
発表された作品を見て分かったことがある。僕との違いだ。
供養の為にここに貼らせてほしい。僕のエントリー作品を。マジで見ないでいい。元気のある人だけが見て欲しい。この自分の作品を消すことは無いけれど、焦がしはしたい。ってこれは一体どういう意味の言い回しなんだろうな。
見る必要はない。内容は
「大それた自分語り」
だから。
見るな~~~~!
元気がある人だけ見てと言ったのに。ここには落ち込んでいる人しかいないはずなのに。
受賞者と僕の違いは明確だ。みんなの作品からは「好き」を感じるんだ。自分の気になること、自分の挑戦したい事、自分の…。僕の好きとは違う。
優しい人は僕を励ます。皆を卑下にして。
「みんなのも結局は自分語りじゃん」
うん。そうとも言えるね。僕は僕にそう言ってあげる。
僕の自分語りはみんなとは違ったんだ。言うなれば、
みんなの見ていた世界。鏡に映ったその世界を僕は見ていた。そんな気分。
僕の見ている、透明の壁を隔てた先にあるオモコロという世界。どこかに扉があって、それが今日、向こう側から開けてもらえる。
それは僕の後ろにあった。僕が目の前だと思っていた世界は鏡に映った世界だった。そんな気分。
この一年で僕は、僕を語ることが好きになってしまっていた。僕の作品は大それた自分語りだと言ったろ?今日あらためて…ちがう…初めて。気づいた。気づかされた。僕の作品は自分を好きになるためのものなんだと。
僕が僕を好きになるための、スタートラインに立つための作品。それが僕が今回のオモコロ杯で送った作品。
オモコロが求めていたのはそのスタートラインから先のものなんだ。
僕を僕は見てもらいたいだけだったんだ。
誰かの作品であるための記事をオモコロ杯は求めていたのに、僕は僕の為だけの記事を送ったんだ。これが今日のエッセイのタイトル回収「後悔と反省」 うううううう、ウウウウウウウうう。悲しい。我慢していた、耐えていた涙が塩辛いよおおお。
まだ居るか? この期に及んで自分語り、本日最後の自分語りをするから受け止めておくれ。
僕の人生は結構詰んでいて、学歴はまあ大学卒業してるけど実績を伴うわけじゃなくて…ぐぎぎぎっぎぎぎ。くそ!いつかこれは俺のドキュメンタリーで話す!悔しくなってきたわ。今が!見返してやるぞというのはおこがましいので、なんだこりゃ。リベンジか。自分へのリベンジだという気持ちが湧いてきた。泣ききったら、さ。
まあもう少しほんの少し自分語りするとして、僕には愛する人がいる。家族じゃない。でも家族になって一緒にずっとそばに居たい人。付き合ってない。付き合ってた。僕は今日、未来を変えるつもりでいたってのはもう言ったね。その理由はその人の為だ…違う。自分の為。愛する人と死ぬまで一緒に居たいという僕の願いのため。このオモコロ杯を頼りにしていた。僕はフリーターで実績も無くて、使える知識と言えば映画の知識と性の知識くらい(半分冗談やで)。今後につながる(お金につながる)技術と言えば、何にもない。(飲み会で場を回すのは上手いとだけ言っておこ。つよがり)
だからここに賭けていたところがある。どうか僕を見つけてくださいオモコロ様…って感じだな。だから発表に僕の名前が無かったとき、息ができなくなった。
死にたいと思った。
僕のツイッターをフォローしてくださっている方でこのエッセイも読んでくださっている方はもしかしたら目にしたかもしれない。絶望ツイートを。
汗が止まらなかった。水中奥深くのような息苦しさと、理解が追い付かない脳のショート寸前の熱さ(何度も言うが、賞獲れると思ってたから 笑)に、視界が真っ白になりかけるかと思った。あの白さはもしかしたら気づかずに溜まった涙なのかもしれないけど。
もう少しここに居てくれる?
僕はそこそこ困窮している。まあもやしだけの生活ではないんだけど、もちろんのところ結婚しようと言えるような生活はしていない。
ところで、もやしは萌やしと書くらしいね。
ああ、そうか。愛してるけど付き合ってないと言ったよね。それなのにプロポーズが上手くいくわけないだろ、ってそう思うのは当然。まあ、それはおいおい…いつか。
とにかく、お金はない!断言しよう!
オモコロライターになりたいと思ったのもお金の為だな。半分は。
だから僕は宝くじを買っている。一発逆転を狙うフリーターっぽくていいだろ?オモコロ杯発表の直前にも、ロト6とハロウィンジャンボをネット購入したし。
今日は人生を変える大きな日だから勢いで宝くじも当たっちゃうんじゃねええか??とイキイキしていた午前中が懐かしいよ。
汗が止まらなくなった発表時、僕はあることに気付いた。お金よりもオモコロライターへの道が途絶えたことへの絶望のほうが大きいことに。もちろんお金も欲しいよ。けれどそれ以上に、嫌だった。オモコロライターになれないことが。底知れないどこにもいなかったはずの恐怖をかんじてさ…
ごめん。わかんないよね。僕もまだ精神が安定したわけじゃないんだ。今もまだ未来への不安と戦っているし、また楽観的に能天気に乗り切ろうとしてるのか分からないけど、こうして文字を打つことで向き合ってるつもりなんだ。
鬱はもう始まっている。だいぶ前から。けれど死ぬ気はない。この人生は悔しさばかりだ。正しいと思ったことは無い。
なんかもうオチに向かうよう流れだな。まあ、そろそろオチるか。
回収してない、または書き忘れた思いがあるかもしれないけど、僕はオモコロライターを目指す。これは僕に残された最後の手段じゃない、可能性のひとつだと信じてる。それでも諦めてほかの道に行くつもりはない。
見えないものにすがってるだけだと、夢見るのをやめろと、そう言う人もいるだろう。当たり前だ。
僕がいちばん分かってるんだ。そんなこと。僕は僕を好きになった時、僕のすべてを理解したんだから。
今回のオモコロ杯で僕は僕だけが見ていた世界から帰ってこれた気がしてる。後悔は大きい。何故気付けなかったんだって。まあ仕方ないよ。僕は僕を好きになっていたんだから。僕の道が正しいと思うのは至極まっとうな考えじゃないか。だろ?
今日で僕は僕の向きを正しい方向に向かせてあげれたはず。
僕は察しがいいんだ。これは知識よりも経験によるものだと思うけど。まあとにかく、来年のオモコロ杯まで一年間頑張るぞい!てこと。
宝くじは買い続けます。生きていれば死ぬまでに一度くらいは一億円当たるでしょうから。
ここまで楽観的、能天気な僕がお送りしました。
ここまで読んだ人へ、悲しみは消えることなく僕はまだ落ち込んでいるので、どうか小さく盛大に囁くように「がんばれ」と言ってくれたら嬉しいです。
それじゃあ、さようなら
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