『どこでも住めるとしたら』
たとえば
「あなたにとってのより良い暮らしとは?」
とテレビの街頭インタビュアーが私にマイクを向けているとする。テレビに映るということに胸の轟きと少しの緊張を感じ、頭の中を整理できないままに私は直感でこう答えるだろう。
「お金がめっちゃある生活ですかね へへ へ」
心配性な私は、これで大丈夫でしたかと確認するような目でインタビュアーとカメラマンを交互に見ることだろう。そうして夜、布団のなかで今日の出来事と過去の後悔を照らし合わせるんだ。
地区の運動会で聖火ランナーを務めた時に、聖火めっちゃ重いですしか言えなかったあの後悔の日。
もう変えられない過去……全国放送……
と、こうなる前に今のうちに「私にとってのより良い暮らし」を考えておこうと思う。
今は誰にも迫られてないしカメラもないからじっくり考えることが出来る。集中するためにコーヒー飲んだしご飯も食べたし準備万端。
思考のひとりごと
「より良い暮らし、より良い暮らし。何と比べてより良いんだ。今の暮らしと比べてか。たしかに今の暮らしには満足してないけど。暮らし暮らし暮らし… ふ、メガネ探してるみたいに暮らし暮らし言ってるわ。ああ暮らしってなんだーああ。暮らっしバンディク。暮らっしギア。ご当地キャラ、暮らっしー。おでんにつける黄色いやつ。訛りギャルの彼氏の言い方───」
このままだと何もできなかった一日として後悔してしまいそうなので「良い暮らし」から思いつく言葉を思いつくままにズラっと書き連ねてみます。そして思いついた言葉から連想される言葉もいくつか書いてみます。きっとその言葉達が私の考える良い暮らしを明確にするだろうから。
脳起動開始!書くぞ!
多い多い多い多い!
「体育祭に向けて作ったクラスTシャツ」かい。
「タイポグラフィでした表現」かい。
「リーズナブルな店で買った中学生の服」かい。
「ブランドロゴの一覧」かい…
最後のだけはちょっと自分にもハマってないかも。
つかおいおいおいおい。これじゃあより良い暮らしを考えると言うよりかは、欲しいものリストを考えるになっちゃってますよ。だがそれでいい。
こうして文字を書いていくうちに気付いたことがある。私にとっての良い暮らしとは、今の生活に欠かせないもの、欲しい物を全て集めることをいうのだと。
つまり、私の理想の良い暮らしというのは
愛する人や犬や猫と共に過ごせて不労所得のみで生計を立てダイソンをはじめとする最新家電を持っておりアイランドキッチンでよく切れる包丁やこだわりの調味料と食材を使い美味しいごはんを作りこだわりの食器に盛り付けたまにはデリバリーフードや通販グルメを頼み食後にはアイスやプロ味のコーヒーを嗜みジャグジー風呂にはその日の気分の入浴剤を入れあがったらふかふかのバスタオルで拭きハンモックやロッキングチェアに揺れ星を眺めに庭や屋根裏部屋に行き疲れた日には酸素カプセルに入り地下の映画館で動画配信サービスを楽しみそれぞれの趣味部屋でマンガを読んだりグッズを眺めたりすること。
長い長い長い長い!
冷静になりましょう。 さて、ここまででわかること。それは、私は誰にも邪魔されない、自分だけの、愛する人の為だけの空間を求めているということ。私にとっての良い暮らしには「安心感」が必要なことがわかりました。
長くなりましたがここから本題の「どこでも住めるとしたら」に入ります。
どこでも住めるとしたら
私が良い暮らしの条件として挙げたのが「安心感」ですが、それは私の住んでみたい場所の条件ではありません。私は自由を求めます。自由な空間での暮らし、理想の空間での暮らし。例えそれが夢マボロシだと言われても求めるものは自由なのです。
すみません。わかりにくいかと思いますので簡単に説明しますと、空想の話をします。これから話す「どこでも住めるとしたら」のその場所達はほぼ現実にはありえない、住むことが出来ない場所ばかりです。覚悟してお聞きください。
定住せずに世界中の友達の家を転々として生きたい。そのためには世界中に顔が知られていて、優しい人を見極める必要がある。私の数少ない友達の家を転々とするローテを続けていたらいつか全員に嫌われてしまうから。あと80年生きるとして、1年が365日、すると29,200日。つまりは29,200人の友達を作れば実現できるってコトか。あるな。実現。
マグマの中に住みたい。一気に実現不可能すぎる話になったが、マグマをあったかいと思えるほどにからだが強いとする。全身をマグマに包まれた時の気持ちよさはきっと母の胎内での記憶を呼び起こすだろう。脳がリラックスして様々ないいアイデアが生まれそうだ。ただひとつ問題があって、マグマから出た時に体についたマグマが急激に固まって、一度、石人間になってしまうかもしれない。それが鼻パックやホットクレンジングジェルのようにぽろぽろこぼれるならいいが、かさぶたのようにくっついて皮膚ごと剥がれたらと考えると、うう、怖い。そう考えるとマグマ嫌かも。
となると海の中に住みたい。リトルマーメイドのような生き方。勝手にあの海の世界は室内プールの温度で心地よいと思っているけど、きっと場所によって温かい水域があったり冷たすぎて動けない水域があると思う。そんな過酷な空間に身を投じるのも悪くないけど、ほかの魚に食べられたくはないので、大きな大きな人型のサメとして海の中に住みたい。
鳥のように空を飛び続けたい。誰もが一度は思うはず、鳥のように大空をと。合唱曲になるくらいだし人類の9割は思うことだろう。空の世界も海の世界同様に危険が多いはず。小さい鳥はどうしてもほかの生物に食べられてしまうので私は鷹になりたい。人型の鷹。できれば翼なしで飛びたい。ふわっと浮いて、気を張っていなくても浮かんでいられるような。そうして空中で眠りたい。大きな生物への心配は無くなったが、飛行機や戦闘機が怖いので、腕に付けたアップルウォッチにはレーダーアプリを入れておきたい。
森の中に住みたい。ディスカバリーチャンネルのように現代から離れて自然界に挑戦するというものではなくて、現代が自然界だけの世界になった上で、森の中に住みたい。でもさすがに知識がなさすぎるので、森の中に建てた一軒家に住むでもいい。そこで不自由のない暮らしをしたい。きれいなデザイナーズの開放感のある家で、ひたすらまっすぐな森の道を車で走りたい。道中には動物がいてぺこりとお辞儀をし、できればその子達と会話したいけど心が通じ合っていればOKです。そんな生き方をしたい。
ニューヨークに住みたい。いままでいろんな空想世界を候補に挙げてきた中でいきなりのニューヨーク。これがこうだからこうこうでこうなので住みたいという細かい理由はないが、憧れの街という感じがぼんやりと私の中にある。それはきっと映画の影響がある。『ゴースト』『プラダを着た悪魔』『ティファニーで朝食を』『アニー』and so on 数ある映画が私の中のニューヨークに憧れの印象を付けている。『アベンジャーズ』『アイアムレジェンド』…ま、これらは前述の作品とはニューヨークの雰囲気が違うが、確実にニューヨークへの興味が強まっていることに変わりはない。映画越しでしか知らないニューヨークは私にとってまるで空想の世界のように見えている。あの憧れの世界に住めたとしたら…
・ニューヨークの住宅用ビルの一室に住み、知らないビジネスの取引を窓から見たり、どこかの社長からもらった高級なアート作品を見たり、レセプションパーティに参加したり、たまにはホームパーティにも参加したり、帰ってきたら猫と戯れ、愛する人と夜景をバックに大モニターでネットフリックスをみたり、その人には私の手料理を振る舞って、美味しいという声に笑顔がこぼれ、食後にはハーゲンダッツを食べながらコーヒー飲んで「本場の味だな」なんて言ってひひっと笑ってさ、ふかふかのベッドの上でおやすみのキスしてさ、心地よい夢まで見ちゃってさ、朝は猫と愛する人のキスで起こされてさ、
あれ?
あれれ?
もしかして
求めてる?
ということはあれか、つまりはそういうことになってしまうのか、ごにょごにょごにょごにょ、いいのか、これでいいのか、いいんだよな、いいよないいよな、結論だよな、これが私の答えなんだよな、よし、言うぞ、言ってやるんだ、よし、言うぞ。
私の「どこでも住めるとしたら」の回答は、
おわり
最後の言葉
何だ安心ニューヨークって。まあそれ以外に私の理想の暮らしの表現ができないんだけども、大丈夫か?大丈夫か?これで他の方々の美しい作品たちに肩を並べていいのか?肩を並べるのは申し訳ないので、肩を後ろに下げながらも胸を張ろうと思います。
現実だって夢だって理想は人それぞれ。例え今、皆さんの思うべき理想の暮らしができていなくても、今そこにいることで得られている安心感を見つけることで、その暮らしが良い暮らしと思えるようになるのではないでしょうか。
安心したら眠くなってきたので寝ます。
おやすみなさい。さようなら
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