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超短編小説『きれいなタバコ』

タバコの香りは残っていない。
私はその匂いが嫌いではない。けれど、今はもうない匂い。

私は自分の部屋の窓を開けた。風が吹き込む。カーテンが揺れる。彼がいたこの部屋ではいつも窓を開けると、タバコの煙で曇っていた窓ガラスがすっきりするのだけれど、この部屋にはそんな爽快感はない。ただ風が通るだけ。彼の存在も一緒に消えてしまったみたいに。

私はベッドの上に寝転んで目を閉じた。思い出したくなかった。彼と過ごした日々のことを。私が彼を好きだったことを。彼が私を好きでいてくれたこと。あの時の感情を思い出すだけで苦しくなるから。

私はゆっくりと呼吸をする。空気と一緒に気持ちまで入れ替わってしまえばいいのにと思う。

机の上にはまだ彼の灰皿が残っている。いくつかの吸い殻を残したまま。彼の為の私の灰皿。彼は私の部屋に来なくなった。だからこれは彼の為に残しているわけではない。ただ捨てられずにいるだけ。

私は彼に言ったことがある。煙草やめてよ、と。そうすると彼は言う。


「俺のこと嫌いになった?」

「違うわ。だってあなたの身体によくないもの」

「俺が死んだら悲しい?」

「もちろん悲しむわ。あなたがいなくなったらきっと泣くでしょうね」

「そうだといいけど」

「嘘じゃないわ。あなたがいなくなるなんて考えられないもの」

「俺はどうだろう」

「わからないの?」


彼の声を聞いているだけで涙が出そうになる。


「お前のそういうところが好きだよ」

「あなたが何を考えているのか全然わからないわ」

「わからないようにしているんだよ」

「どうして?」

「俺は死ぬかもしれないだろ」

「死なないわ。あなたは死にたいの?」

「死にたくないよ」

「じゃあ、生きればいいじゃない」

「生きる理由がないんだ」

「私がいるわ」

「それだけじゃ駄目なんだ」

「何が足りないっていうの?」

「何もかもだよ」

「そんなこと言わないで」

「ごめんな」

「謝らないで」


私は彼を抱きしめてあげたかったけれど、その資格はないような気がした。

私が泣いていることに彼が気づいているかどうかはわからなかった。



いつの間にか眠ってしまっていた。夢を見た気がするけれど思い出せない。濡れた枕はもう乾いていた。私は机の上にあるきれいなままのタバコの封を切った。

一本取り出して口にくわえる。火はつけずに煙を吐き出す振りをした。何度も見た彼のしぐさを真似して。

開いたままの窓からは涼しい風が流れ込んでいた。



おわり



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