超短編小説『中学生日記#1』
開いた窓から流れ込んでくる風がカーテンを揺らす。チャイムが鳴ると同時に一斉に動き出す空気。廊下を歩く音と声のざわめきが、学校中を埋め尽くすように響いている。急いで部活に行く人や、廊下でおしゃべりする人。まだ机で眠ってる人までいる。
放課後の教室は自由だ。この時間がくると僕たちは、一日から解放されたような気分になるんだ。これからなんだってできる、そう思うだけで飛び跳ねながら大声を出したくなるようなさ。まあ実際にはそんなことしたこともないけど。
僕は待っている。彼らが来るのを。僕の机が集合場所だ。
『放課後ロールプレイ』
目を閉じた世界には何が映る。僕の場合は───
α「直前に見た映像が目を閉じると見えるだろ、それがぐにゃっと曲がっていくんだ。まるでスローモーションみたいにね」
β「……ふ」
α「僕はこの能力のことを『残影(ざんえい)』と呼んでいる。残る影と書いてざんえいさ。僕の目は閉じているのにまぶたの裏にははっきりと見えるんだよ、これが。そうして残像が形を変えていき、やがては別の映像を映し出す。そしてその映像を見ているうちに、いつの間にか現実の景色が見えてくるんだ。まあ、早い話が僕の能力はサイコメトリー、そういうことさ」
β「……すっ」
そこまで話したところで、突然、僕の目の前から彼の姿が消えた。いや違う、消えたんじゃない、彼は僕の背後に回ったのだ!一瞬にして移動した彼に驚きつつも振り返る。すると、次の瞬間、彼はまたも僕の背後に回った。
β「ふ…」
α「だ、だめだ!追いつけない。まさか君も、ポゼッサーなのか」
※ポゼッサーとは彼らの中にのみ存在する言葉であり、特別な能力を所持する者のことを表す。Possessor、つまり所有者ということ。
β「…しまき」
α「え?なんて?」
β「しまき」
α「それどういう字?」
β「風に巻くで風巻(しまき)」
α「それ自分で考えたの?」
β「うん。風を巻き上げるスピードで走れるから」
α「やば、めっちゃかっこいいじゃん」
β「でもあんまり速いと目が回っちゃうんだよねー」
α「なるほど」
β「だからその反動で普段はすごくゆっ…くり…な…の…」
α「わ、ゆっくりだ!足速いのに喋るの遅いキャラか!」
γ「気付いているかい?」
それまでずっと静かでいたガンマ君が喋り出した。
γ「君は今、世界で一番危険な男と一緒にいるという事に」
α「ど、どう言う意味だ?」
γ「わからないのか。君はもう既に僕の能力によって命を握られているんだよ」
α「そんな馬鹿な!?」
γ「ベータ君!君もさ。その速さでも逃げることはできないよ」
β「く…っ…まさ…か…これ…は」
徹底してその喋り方を崩さないベータ君と世界に入りきっている僕は、慌てて自分の体を見回す。しかしどこを見てもその異変を見つけることはできなかった。ガンマ君の説明待ちだ。
γ「君達の体はもう動かない!」
α「な、なんだって!?」
γ「僕の力は絶対支配、あらゆるものを支配する力だよ」
α「じゃあ僕の体が動かないのは君のせいなのか!!」
γ「そうだとも。君達の動きを止めているのはこの僕自身なのだからね」
α「おぉ、なんかすごい主人公っぽいぞ」
β「どちらかというと敵じゃない?」
γ「フッ。では改めて自己紹介しようじゃないか。僕の名はガンマ、君達に死をもたらす者だ!」
α・β「ぎゃぁああああ!!」
ガンマ君の能力により動きを封じられた僕ら二人は、必死にもがきながら叫ぶ。
α「やばい!殺される!!誰か助けてぇえ!!」
β「いやだ!死にたくないぃいい!!」
γ「フハハッ、無駄だよ二人共。僕のこの手にコントロールボールがある限りね!」
α「ちくしょう!このまま死ぬしかないっていうのか……(コントロールボール?)」
β「こんなところで……終わるなんて……(コントロールボール?)」
γ「さらばだ、愚かな人間どもよ!」
α「お前も人間じゃなかったのかー!」
その時だった。突如として現れた何者かが、支配者の手から何かを奪い取ったのだ!いや、正確には何かを奪い取ったような動きをした。多分だけどコントロールボールと名の付くそれを。
?「はい、没収です」
γ「あっ!何するのだ!」
それは僕らと同じクラスの女子。そう、僕らの仲間であるデルタさんだったのだ。彼女はガンマ君から取り上げた物をまじまじと見つめるそぶりをし、首を傾げながらこう言った。
δ「なんですか?これは」
α「た、助かった……」
β「あ、ありがとう……」
γ「か、返すのだ!僕には必要なのだ!」
δ「はい。返します」
そう言って、彼女はあっさりとそれを返した。
α「え?返すの?」
γ「わっはっは!これでデルタさんも支配!普段からの優しさがあだとなったね!」
β「おわった…」
γ「僕の力があればどんなものも操れる!さあ、僕に従いなさい!さもなくば死!」
α「おい、なんだか悪役の台詞になってきたぞ!」
δ「まあ、怖い……」
α「あれ?全然怖そうにしてないじゃん」
δ「だって私には関係ないですし」
α「君も僕らの仲間のはずだろ!」
γ「フハハッ!ならば僕に従うんだ!さもないと……」
α「さもないと?」
β「どうなるの?」
γ「……えっと……えー、はい!僕に逆らうと恐ろしいことが起こる!」
α「具体的に教えてくれ!」
δ「あら、私は逆らったりしませんよ?」
α「え?そうなの?」
β「意外だな……」
γ「ふっ、愚かな人間め」
δ「逆らえないのはガンマ君、あなたのほうよ」
デルタさんは人差し指を立て、ガンマ君の顔の前に突き立てた。
γ「え?」
α「確かに……デルタさんはさっきから動き続けている!」
β「絶対支配の影響をうけていないのかな」
γ「まさか……そんなことが!?」
彼女は突然、反復横跳びをして見せた。
δ「シュンシュンシュンシュン」
α「おおっ!速いぞ!デルタさんの能力も加速か!」
β「いや、それだと僕も動けるはずだよ」
α「なるほど……」
δ「シュンシュンシュンシュン」
彼女の反復横跳びは、体力テストだと余裕で10点を取れるであろうものすごい速さだ。
γ「くっ……何故だ!何故僕の支配が効かない!」
α「えーと、つまりどういうことだ?」
β「つまり、きっと支配される側の能力と、する側の能力が拮抗しているということじゃないかな?」
α「へー、よくわからないけどすごいや!」
彼女は次に両手で四角形を作り、その形を素早く何度も変えるという行動に出た。その速度はもはやルービックキューブ世界記録保持者の指の動きと言ってもいい。そしてまた別の動作へと入る。両腕を左右に開き胸を張るような姿勢を取る。それから両脚を開き、まるで踊っているかのようなくねくねとした動きを見せる。
α「すごい!もう、デルタさんが何をやっているのか全くわからない!」
γ「な、何を見せられているんだ!」
β「タコ?」
さらに激しくくねくねした動きを見せる。その動きは徐々に激しさを増していき、息荒く口呼吸になっていくほどだ。そこでようやく動きが止まった。
δ「ふぅ」
α「こわいよ!」
γ「な、なぜだ!なぜ動ける!」
彼女はまだ息を整えている。深呼吸の音だけが聞こえるほどに教室が静かだ。僕はこの瞬間、母さんに連れられて行ったオーケストラコンサートの、演奏開始直前の静けさを思い出した。
δ「すぅぅ」
α「(お、話し出すか)」
δ「ふぅぅ」
α「(まだだった)」
β「ヨガ?」
δ「私の能力は、」
α・β・γ「能力は!」
彼女は最後にもう一度大きく深呼吸をし、ゆっくりと目を閉じた。聞こえるのは時計の針の音だけ。なのにまるで時の流れが止まってしまったかと思うほどの空気だ。
そして目を開くと同時に言った。
δ「顛倒夢想(てんどうむそう)」
α・β「てん、どう、むそう!!?」
僕らは息の合った驚きを見せた。しかしそれも仕方がない。だって聞いたこともない言葉なんだから。僕は一瞬、てんとうむしの姿が頭をよぎった。
γ「て、てんどんうまそう……?」
δ「てんどうむそう」
α「なんかすごく強そうだ!!」
β「てんどうむそうってどう書くの?」
δ「顛末のてんに倒れる。夢に想う、よ」
彼女はそう言うと、持っていた鞄を机の上に置き椅子に座った。
僕たちはというと、未だに動きを止められたままだった。頭をかいたり腕をかいたり瞬きしたり座り直したり、けっこう自由に動いているけど。
α「いやぁ……すごいなぁ……ところでそれはどういう?」
δ「ベータ君」
こういう時にすぐに調べてくれるのがベータ君。デルタさんが名前を呼ぶ前からスマホで意味の検索を始めていた。ベータ君は画面をじっと見つめてからこう言った。
β「間違った考え方とか妄想のような考え方、」
α「つまり?」
β「正しいことなのに、それが間違っていると感じ、間違っていることなのに正しいことだと信じてそれをやり続ける。だってさ」
デルタさんは鞄の中から何かを取り出した。それは小さな箱だった。その中から小さいチョコレートを取り出すと、それを口に運んだ。食べ終わると、僕らの方を向いてこう言った。
δ「私の力は人の心を惑わす。あなた達の心もね」
α「テレパシーで幻覚みせたり心を操る能力者、ヒュプノってことか」
β「ガンマ君が支配したと思っていたデルタさんは幻術の世界のデルタさんだったんだ!」
α「ガンマ君の絶対支配はデルタさんにも効くよね?」
β「効くと思う。動けるってことは絶対支配の発動前からこの空間はデルタさんに魅せられていた、ってことだろうけど」
α「これだけ強い能力だと発動条件が厳し──
γ「負けたあああ!!」
ガンマ君が叫びながら椅子から崩れ落ちた。そして床に膝をつき手をついた。
γ「カッコよすぎる…!!なんて美しい能力なのだ……」
ガンマ君の語尾が消え入りそうなくらい小さくなっていた。それほどまでに感動していたのだ。
δ「私はあなた達みたいな人を今までに何人も見てきたわ。だから、対処法も知っているってわけ」
α「なんか人生二周目の人が言うセリフみたいだな」
δ「ギクッ」
α「え!?何そのあからさまな反応!」
β「未来人の可能性も…」
γ「そうなの!?ほんと!?」
デルタさんは手に持ったチョコの包み紙を丁寧に畳むと、椅子から立ち上がり言った。
δ「教えられないわ」
α「含んだ言い方!」
β「いろんな責任を背負った者のセリフだ…」
γ「ほんと!?ほんとに!?え!?」
確かに彼女は大人びていて本当に同い歳か怪しい部分がある。でもどこか子供っぽい雰囲気もあって、そんなところは僕たちと何も変わらない。だからこそ僕たちも気軽に話しかけることができるんだ。
δ「それと、もうすぐ先生が来るだろうから。じゃあまた明日」
そう言うと彼女は鞄を持って席を立ち、教室を出て行った。
α「いやー、まさかこんな展開になるとはね。僕、ちょっと見直しちゃったよ」
β「うんうん、確かに面白かったね」
γ「デルタさんの能力なんだっけ。てんとうむしみたいなやつ」
α「ええとー…」
β「てんどうむそう。仏教の言葉なんだってさ」
α・γ「へ~」
α「かっこいい言葉は英語だけじゃないんだなあ」
教室には僕たち以外誰もいなくなっていた。日が傾き始め、窓から入る風が少し冷たく感じるようになってきた。
γ「漢字でかっこいい言葉かあ…杏仁豆腐?」
α「弱そう!なら青椒肉絲」
γ「うわ~お腹すいてきた!」
β「満漢全席」
α「意味わかんないけど強そ~奥義じゃん奥義」
ガラガラガラ。扉を開ける音に僕たちの会話が遮られる。視線は自然とその方向へ向かう。
α・β・γ「あっ」
先生「おー、お前らまだいたのか。はやく帰れー」
僕らはそれぞれ自分の荷物を手に取り、一目散に正面玄関へと向かった。僕は靴箱の前で、上履きを脱ぐために少ししゃがみ込んだ。その姿勢のまま、自然とさっきのことを考えていた。思い出すと何だか可笑しくて、僕はつい笑ってしまった。
笑い声に気付いたベータ君がこちらを振り向き、どうしたのかと聞いてきた。それを僕は、「ちょっと思いだし笑い」とごまかした。ベータ君は首をかしげ、また前を向いて歩きだした。
僕は立ち上がって靴を履くと、彼らの背中を追って走り出した。
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