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ブータン 旅行記 #1 こんにちは、ブータン

※1998年に特派員としてブータンを訪れた際に家族や友人にメールで送った記録です。20年以上が経った現在のブータンはかなり変容しており、細かい事情も変わっていることにご留意ください。(文章は基本的に当時のままです)

ここは「テーマパーク」!?

行って来ました、「秘境」ブータン。とにかくすべてがすごかった!こんな国がまだあるんだから、世界は広い。国全体がひとつの大きな「テーマパーク」のおもむきです。民族衣装を着た人たちがいきなり映画のセットのような町並みを歩いている。爽快な空気、息を呑む絶景、きれいな田園風景、夜には満天の星、野生のコスモスが国全体に広がっているのです。こんな国に行けるのも、この仕事の醍醐味です、ほんとうに。

ブータンはまさに世界の宝石です。これまでも機会があっていろいろな国を見ましたが、「また行きたい!」と思ったのはパラオ(海がキレイなダイビングの聖地。日本から直行便がなくグアムで乗り換えなければならないのが救いになっている。これで直行便が就航したらゴルフおやじとギャルさんが大挙して押し寄せてしまう)、ヤップ島(いまだに若い女性が民族衣装で胸をブラブラさせながら歩いている。石の通貨も使われる)、ニュージーランド(森と湖と羊の国)とブータンだけ。

ラフカディオ・ハーンが見た日本?

ブータンを扱っている日本の旅行会社のコピーに「モースやラフカディオ・ハーンの旅した日本を見るような国ブータンの旅で、私たち日本人が失ってしまったものを見つけて下さい」とある。とっても安っぽいキャッチなんですが、実際にあの国に行くと「なるほど!」という名コピーであることもわかりました。一言でいえば、まぁ日本より50年は遅れているのではないでしょうか?電話もほとんどないし、車も少ない。農村の雰囲気などは「明治・大正の日本ってこんな感じだったんだろうな」といつも思いました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本を大好きになって定住し、日本人の奥さんを貰って住んだものの、どんどん西欧化する政策をとっていった明治日本に「こんなに素晴らしい自分たちの伝統を、なぜいとも簡単に捨てようとするのか!」と激怒した、というエピソードも分かるような気がするのです。
貧しい国であることは間違いない。ひとりあたりのGNPは日本のおよそ100分の1(当時)。しかし、どうしても彼らが貧しいがための不幸に見舞われているとは思えなかったのです。たとえばカンボジア・プノンペンのスラム街で裸のストリートチルドレンが物乞いをしてくれば、これは社会的な貧しさを感じないわけにはいかない。しかしブータンの貧しさはこれとは違う。国民の90%が農業に従事し、かなり自給自足の経済が成り立っていることもある。いかにも楽しそうに民族衣装を織っている女性たちをいたるところで見かけました。やはり国を計る尺度はGNPだけではないのです。使い古された言葉ではありますが、「本当の豊かさってなんだろう」と何回も考えました。

「国民総幸福量」を掲げて

これはブータン自身もよく自覚している。国王は「GNPよりもGNH(Gross National Happiness)=国民総幸福量」というスローガンを掲げています。「いまは確かに貧しいし、遅れている。しかし、この自然環境を守っていけば、21世紀には世界中からうらやましがられるような幸せな国になるかもしれない」ということ。これ、なかなかできることではないです。放っておいても、この情報化時代に国はどんどん近代化して西欧文化を取り入れる。これを明確な意志で拒否するのは生やさしいことではないはず。たまたま「文明の衝突」というベストセラーを遅まきながら読んでいるのですが、これがなかなか示唆に富んだ本。つまり「近代化するということは、決して西欧化することではない。これを非西欧諸国は自覚し始めている」ということ。この主張がはっきりと分かる国です。たとえば、後述するドゥルック・エアーというブータンの航空会社。このCAさんたちは当然ながら民族衣装の「キラ」をデザインした制服を着ている。ですので、バンコクの空港あたりで歩いているとどうしても目立ってしかたがない。他社のクルーや客は「なんだ、あれ?」という感じ。これが20年前だったら私も「格好悪いなぁ、遅れてるなぁ」と思ったところですが、今は決してそうは思わない。誇らしげにこれを着ていることはかえって「かっこいい!」と思うのです。これは決して今回の出張ですっかりブータンファンになったためでもない。つまり世界の人たちは、いまや西欧に向かって自らの文化を誇り始めているのです。

#2へ続く


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