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“現金”と“スカイツリー”の運命

それにしても、現金で払わなくなった

人気エッセイスト群ようこさんの「しない。」を読んだ。いろいろなモノや心構えについて「いらない」「やめるべき」と綴っている。期待したほど痛快な切れ味はなく、私よりおよそ10歳年上の“おばあちゃん”(失礼!)の愚痴っぽいテイストが肌に合わなかった。

「クレジットカード」という章では不正使用被害の体験談などを紹介しつつ、「しかし、カード、電子マネーになったら、財布もいらなくなるし、小さなカードケースだけがあればいい。」としていた。3年前の刊行で、書いているのはおばあちゃんだから仕方がないが(しつこい?)、「何をいまさら」という感覚だ。

昔は大金を持ち歩いていた

平成のはじめ頃には「20代は2万円、30代なら3万円はいつも持ち歩け」と言っていた先輩がいた。そうでなくても社会部記者としていざ事件ともなれば、あちらこちらへ飛ばされる。テレビクルーはカメラマンや技術陣など大所帯だ。常に現金は多めに持つようにしていたし、「減ったらどこかで補充しておかなければ」という気持ちでいた。クレジットカードは保有していたが、街場では使える場面が非常に限られていたのである。電子マネーなどは、ない。

いま。流石に財布はまだ必要だが、かつてのようにそこに現金を多くに入れておくことはしなくなった。冷静に考えてみると毎日の生活の中で現金で支払っているのは、デスクシフトで拘束される際にアルバイトが行ってくれる買い出しと、寺社でのお賽銭だけだ。アラカンおぢの消費行動がお粗末ということを差し引いても、「これでは財布の現金はなかなか減らない訳だよなあ」というところ。

“現金”と“スカイツリー”

渋沢栄一らの新札が発行される。「聖徳太子の“万札”の重厚さと比べて、なんと軽薄なことよ」という昭和おやじならではの感慨もある。デザイン決定の際に政府高官が「まあ、そもそも現金なんて、もうおしまいだけどね」と言っていたとも聞いた。テレビコンテンツが右肩下がりとされる時代を前に完成したあの巨大なスカイツリーにどれだけの意味があるのか。この議論に似ている気がした(スカイツリーは電波塔以外にも観測施設としての役割などもあります)。すかさず渋沢を大河にした渋谷さんの“嗅覚”も香ばしい。
(21/7/28)


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