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詰めが甘い

 担当していた社内行事がやっと終了した。致命的な大失敗はやらなかったが、細部でミスが重なったことを反省しなくてはならない。

 直前にならないと固まらないことも多い。当日は4時半に起床、筋トレ・ストレッチやジョギングなどをすっぱりと閑却して始発電車で出勤した。

 それでもミスは起きる。

 あさイチで重要なゲストにドタキャンされ、座席や名簿を変更しているうちに台本の修正が抜けてしまった。「アナウンサーが紹介しているのに、本人はその場にいない」という担当者真っ青な事態である。ひとつの事象が有機的に惹起する複数の事態を把握しきれない。落ち着け、俺。

 忙しくなると細部への詰めがおろそかになる。いや、そもそも“詰めが甘い”という欠陥か。

 学生の頃に家族ぐるみで付き合いがあった友人。母上がその世界では有名な大学教授で、学会?を主宰する立場だった。会話の中で「詰めのあまい●●さんが、またやらかした」と繰り返しボヤいていて、家族たちは「甘詰めの●●さんね」と軽蔑して呼んでいた。そんなことを思い出す。

 自分の“詰めの甘さ”を分析すると「それ以上詰めるのがめんどくさい」「なんとかなるだろうと思う」「想像力が不足している」「タスクを抱え込みすぎているが、ほかのひとに分担を振ることができない」などの要因がある。

 そして。

 「やっと終わった」という解放感を堪能して、反省点を忘れてしまう。結果的に翌年の準備は、また過剰なストレスを抱えるところからスタートする。

 熱い気持ちが残っているうちに反省点を数え上げておけ。スッキリ、のんびりしている場合ではない。
(22/11/11)

 

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