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髪をピンク色にしたら、“理想のママ“の呪縛から解放された話

36歳、二児の母。人生で初めて、髪をブリーチした。

学生時代も社会人になってからも、せいぜい暗いトーンの茶色を入れるくらいで、明るい髪色にしたことはなかった。

いまさら遅れてきた反抗期なのか、こじらせた中二病なのか。

理由はなんであれ、髪をブリーチしてピンク色にしてみたら、今までで一番自分らしく生きている実感が湧いた。

そして、世界が思っていたよりもずっと、優しいことに気がついた。

髪色を変えることで、やっと自分を縛り付けてきた呪いから解放された気がする。

その呪縛の正体は何だったのかを、書いてみたいと思う。

ありのままの自分では許されないという呪縛

noteを書き始めたのが2018年。

当時、母親との関係については清算できたように思っていたけれど、心の奥底には解消しきれていない何かが、根雪のように存在し続けていた。

もう今は2023年だから、あれから5年。ふとしたきっかけから負の感情が溢れ出す、というのを何回も何回も繰り返してきた。

このnoteの続きを、今ならやっと書ける気がする。

私はずっと母親から、ありのままの私でいいのだと、受け入れてもらいたかった。

だけど、その思いは何度も何度も拒絶され続けて、私はありのままの自分は愛されないから、受け入れてもらえる娘にならなければいけない、と思いつめて生きてきたのだと気づいた。

多分、私や母親のことを知る人たちから見たら、あなたは十分に愛されて、大切にされて、優しくされていたじゃない、と言われると思う。

それでも、母と父と私の3人の小さな世界の中では、両親の定めた細かいルールと、それに歯向かわない聞き分けの良い娘しか、存在するのを許されていなかった。

それが、私の中にある真実だった。

加えて、学生時代にも何回か友人とのトラブルがあり、その呪縛は決定的なものになった。

自分が思うように行動し、思いついたままに発言すると、人に嫌な思いをさせてしまうのだ、と。

今となっては、その思い込みのおかげで人の気持ちを慮るようになり、思いやりを持って接するよう心がけるようになったので、得られたものもたくさんある。

だけど、どんな時でも他人の顔色が気になって不安で、結果を出し続けないと自分の存在が受け入れてもらえないからと頑張り続けたせいで、心身に不調を来してしまったこともあった。

そろそろ、このメンタルモデルで頑張り続けることも限界が来てるな、と感じ始めていたところだった。

良き母、良き妻、良き社会人であるべきという呪縛

今までずっと、”普通”に憧れてきた。

自分が普通から外れていることをはっきりと自覚したのは、中学2年生の時。

進級時に「中学2年生での目標」的なものを、国語の作文で書くことになり、一人ずつクラスの前で発表させられた。

事前に何を書くかなんて、授業中に相談する時間なんてなかったはずのに、みんな示し合わせたかのように、「勉強を頑張る」とか、「部活を頑張る」と発表していった。

一人、また一人と、同じようなことを発表していく。

ああ、私の番が来てしまった。

みんなの前で私は、「人の痛みがわかるようになりたい」と、発表した。

一人だけ違うことを書いて、それをみんなの前で発表させられたことが、すごく恥ずかしかった。今でもあの時の気持ちは、鮮明に思い出せる。

あの時からはっきりと、”普通になりたい"と、憧れ続けてきた。

自分は普通から外れているという劣等感はやがて、世間に敷かれたレールの上を、がむしゃらに走るエネルギーへと変わっていった。

入れるなら、より良い大学へ。入れるなら、より有名で安定した大企業へ。結婚は適齢期にして、子どもを授かり、幸せな家庭を築きたい。

家事も育児もちゃんとして、仕事でもキャリアを積んで、夫のこともちゃんと支えるんだ。

いつの間にか、普通への憧れが形を変え、自分には到底届かない”理想のママ像”を作り上げていた。

そうでなければ、子どもも、夫も、社会も、自分を必要としてくれないのだと思い込んでいた。

夫に言わせれば私の姿は、「相対的に見ればかなり幸せなはずのに、絶対的に幸せを感じられていない」ように見えていたらしい。

特に仕事については、「できない自分」を隠そうとする癖が、いつまでも抜けなかった。

私もそんな自分に、いよいよ嫌気がさしていた。だけど、どうしたらいいかわからない。

そんな袋小路にハマり込んだ私に、夫が突拍子もない提案をしてくれた。

「いっそのこと、金髪にしてみたら?」と。

髪をピンクにしたら、世界は優しいことに気づいた

今思えば過去2回の育休で、「今しかできないし、金髪にしようかな」と夫に話していたことがあった。

当時の私にはそんな勇気なんて到底なかったし、子どもたちに手がかかるから、ここ数年はメンテナンスが楽な地毛の黒髪ですっかり落ち着いていた。

それに夫はシンプルなスタイルが好きだとわかっていたので、その張本人から金髪を提案されるとは思わず、びっくりしてしまった。

すると夫は続けて、こんなことを言ってくれた。

「第一印象が黒髪でちゃんとしてそうに見えると、そうじゃない時に減点方式になる。でも金髪だったら、第一印象が”変わってる人”からスタートするから、加点方式になるんじゃない?

夫も相当変わっているのだけど、その理屈にピンと来てしまった私も、やっぱり変わっているんだと思う。

その場でいつも指名させてもらってる美容師さんの予約を取り、夫と一緒にブリーチカラーの画像を検索してみた結果、晴れてピンクベージュの髪色にデビューすることとなった。

いざ髪色がピンクになった時、高揚感と共に、かすかな不安がよぎった。

いい歳した母親が、こんなアーニャみたいなピンク色にして、小学校や保育園、ママ友や友人、義実家の家族にどんな風に思われるだろう?

・・・だけど、誰一人として、私を拒絶することはなかった。

むしろみんな、「似合うね!いいじゃん!」と、明るく受けとめてくれた。

私は髪をピンク色に染めて初めて、世界は案外優しいのだと、心の底から実感することができた。

“理想のママ“に縛られるのは、もうやめる

子どもたちもはじめは見慣れなくて驚いたり、「可愛いね〜!いつ黒い髪に戻るの?」と言ったりと、戸惑っていたようだった。

それが数ヶ月経った今では、子どもたちも気に入ってくれているようで、「ママの髪の毛はピンクなんだよ〜!」とお友達にもオープンに話しているらしい。

特に息子は小学生で、恥ずかしさも感じる時期だろうと思い、「お友達に何か言われて嫌な思いをしたら、いつでも髪色を戻すからね」と話したところ、「そんなこと言われたら言い返すよ!」と言ってくれた。

私が思うよりもずっと、夫も子どもたちも、私は私らしくいていいんだと、受け入れてくれていたんだな。

胸の中でギュッと凝り固まっていたものが、ホッと解けていくような感じがした。

私は、”理想のママ”像に縛られるのは、もうやめる。

私が私らしくいる姿を見せることが、子どもたちにとって、自分らしく自由で幸せに生きていける道標になれたら嬉しいな、と思う。



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松下はるか
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