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肩書きについて悩んでいたら、口に出すことでチャンスがひらけた話

脳みそが沸騰するくらい一生懸命に考え抜いたはずだったのに、ふと投げかけられた質問の答えに窮してしまい、自分の薄っぺらさにガッカリすることって、誰でも一度は経験したことがあるんじゃないかと思う。

私はもちろん、ある。今までに、何回も。

たとえば大学のテニスサークルで女子キャプテンになったばかりの時、先輩から「はるぽんはどんなキャプテンになりたいの?」って言われた時だったり。

新卒の就活や転職活動の面接で、志望動機や自己PRについて、ああそこまで深く考えられてなかったな、と感じる質問をされた時だったり。

その時は最大限何かを答えようとして言葉を発してはいるけど、全然的を射ていないことを頭の片隅にいる客観的な自分がもろに感じていて、悔しくて恥ずかしくて。

でも、後でその質問を何度も何度も反芻することで、もっともっと自分の考えが深まっていく。どの場面を思い返してみても、その"質問"というボールを投げかけてくれた人たちに、私は感謝している。

そしてまたつい最近、思いがけないところでそのボールを受け取ってしまい、いてもたってもいられなくなって、noteにつらつらと書きつけることにした。

あれは3月中旬、桜が咲いているのに夏みたいに暑くって、日差しが肌にヒリヒリと差してくるような、そんな日だった。

人生で2回目のテレビ出演のため、ロケ現場(かっこよく言ってるが近所の公園)に歩いて向かう。

と言っても前回も今回も、私自身はただの添え物。メインは祖母であり、私は孫として10分程度のコーナーの端っこに、ちょっとだけ出演することになっただけだ。

祖母は日本初、シニアのチアダンスチームを立ち上げ、今もメンバーとして練習に勤しんでいる、界隈では知る人ぞ知る有名人。テレビ番組のちょっとしたコーナーに取り上げられる機会がちょこちょこあったり、本を出したり。敬老の日あたりに特集される「すごいおばあちゃん」的な存在だ。

今回のロケは祖母に関してのインタビューで、これまでの思い出や、チアダンスに挑戦していることを孫としてどう思っているのか、を語ることになっていた。

とにかくバイタリティのある祖母のことを尊敬しているし、今まさに自分が新しい道を選んで進もうとしているので、「あのおばあちゃんの血が流れてるだし、私も大丈夫」と喝を入れるカンフル剤のような役割も(勝手に)担ってもらっている。

そうやって祖母から元気をもらってるんだよーというエピソードを交えながら、聞き役のディレクターさんから訊かれる質問に答えていく。事前に祖母とのエピソードを用意した自分よ、グッジョブ!ってな感じで、ロケは順調に進んでいった。

普段は自分の子どもを連れてくることもある近所の公園で、カメラに撮られている自分はちょっぴり(というかかなり)気恥ずかしい。子どもたちが興味深そうにのぞいてくる。番組自体の放送は全部で10分程度、その中で自分の尺は数十秒あるかないか。であれば、そろそろ終わるだろう、と安心しかけたその時だった。

ディレクターさんは祖母に関してではなく、私自身に対する質問を投げ込んできたのだった。

「では、松下さんは新たに、どんな肩書きでお仕事をされようとしているんですか?」と。

その質問の前に私がつらつらと語っていたことは、文章を書くことや人の話を聞くことが好きだから、人の背中を押す文章を書いたり、相談役になったりしたい。祖母の姿を見ていたら、自分も新しいことに挑戦したくなった。そんな流れだった。

質問の前に話していたことと大して変わらないことをしどろもどろ繰り返しつつ、文章を書く仕事であれば物書きやエッセイスト、相談役であればコーチング、ということになると思う、という一般的な肩書きを口に出してみる。そのどちらか、というよりは、どちらも自分の仕事になったら嬉しい、というのが正直な気持ちだった。

「では、エッセイストということですか?もしくはコーチングをするコーチということでしょうか?」

たまたま生まれ年が同じだった凄腕のディレクターさんは、私にビシバシと豪速球を投げ込んでくる。これは祖母のインタビューではなかったか?私のことを語っていいのか?っていうか今日は祖母のインタビューだから私は丸腰なんですけど、と頭の中がぐるぐる回り始める。

と同時に、自分自身の考えがいかに浅くてまとまりがなかったのか、ということも痛感し始めた。ああ、既視感。サークルや面接で汗をかいた、あの時と同じ状態だ。

どちらか1つの肩書きを名乗るか、もしくは自分で統合してわかりやすい肩書きを名乗るのか。そのどちらにも到達していない、どっちつかずな状態。番組としても、まとめづらくなって申し訳ない。情けなさと不甲斐なさで胸がいっぱいになった。

結局、2パターンの撮影を行うことになった。1つ目のパターンは、コーチをメインとして文章も書きつつ、誰かの背中を押せるようになりたい、ということ。2つ目のパターンは、文章でも背中を押したいし、困っている人がいたら相談に乗ることで、直接的にも背中を押していきたい、ということ。

完全に祖母のおまけ、という姿勢で臨んだけれど、思いがけずいい機会をもらえたなと思った。私はまだまだ、自分が誰にどんな価値を提供できるのか、思考の深掘りができていないという事実を突きつけられたことで、自分の甘さが見えたからだ。

そしてその瞬間によって、自分の考えが深まっていくことを、過去に何回も経験してきたのだ。今はまだ答えが出ないけれど、考え続ければきっと道は拓けるはず。そうやって、沈みそうになる自分の気持ちを、なんとか上に向ける。

その質問を最後にロケは場所を変え、喫茶店へ移動することになった。以前は夫と座った席に、今度はカメラを前にして座る。またしても恥ずかしくて、ちょっぴりソワソワする。

すると撮影が再開する前、ピンマイクをセットしてくれたスタッフの方が思わぬ言葉を掛けてくれた。

「私、松下さんにコーチングしてもらいたいですよ~!」

な、なんと!捨てる神あれば拾う神ありなのか、と思った。自分の甘さに反省していたところに、渡りに船とはこのことか。

その場で何を相談したいのか聞かせてもらいつつも、そうこうしているうちに撮影が再開した。ほどなくして喫茶店での撮影が終了したため、注文したメニューを全員で休憩しがてら食べることになった。

スタッフの方から改めて、お悩みについて少し話を聞く。若い方だったので会社員時代の後輩と姿が重なって見えた。力になりたかったが、スタッフさんたちには次の仕事がある。すぐにお別れの時間になってしまったため、去り際にもし本当に私のコーチングを受けてみたい、と思ってくれたのなら、DMで連絡をしてほしいとお伝えした。

すると本当に連絡をくれて、オンラインでお話しできることになったのだった。

祖母のインタビューに協力することになったのも、偶然。そこにディレクターさんがたまたま、私自身に関する質問をしてくれたという巡り合わせが重なり、そこに居合わせたスタッフさんとの縁がつながった。

そしてその縁によって私は、コーチとして歩き出そう、と心に決めた。

「私の肩書きって、なんだろう」

質問を受けたとき、それは自分自身で決めなきゃいけないことだと思った。だけど、やってみたいことを口にすることで、「じゃあ、あなたにこれをお願いしたい」と誰かが言ってくれることもある。

自分発信で肩書きを決めるのもいいけれど、誰かが与えてくれた肩書きでもいい。むしろ、誰かが求めてくれるから、そこに仕事が生まれる。

会社員の時だったら、仕事があるのが当たり前だった。会社の出している看板に仕事が集まり、それをこなしていけばよかった。

だけどひとたび会社を離れたら、自分で看板を出さなきゃいけないし、その看板に興味を持ってもらえなければ、仕事は一つも生まれない。

って、自分で読み返してみても当たり前のことしか言ってないんだけど。でもそれを心の底から実感して、自分のこれまでの常識を上書きし、新しい常識をインストールするような感覚になった。

これからも、自分がやりたいこと、できることをどんどん差し出していって、誰かがお願いしてみようかなと思ってもらえるような、そんな巡りあわせを探していきたい。

そのために、まずはnoteの更新頻度を上げていきます!というのと、コーチングも体系的に学んでいきます!というのを、ここに宣言します。(口に出して追い込んでいくスタイル)

もしあなたも何かやりたいこと、挑戦したいことがあれば、まずは口に出したら新しいチャンスにつながるかもしれない。ので、このコメント欄に自由に書き込んでください!全力で応援します。

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