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僕の好きな詩について 第二回 大岡信

僕が好きな詩について、好きなことを言うノート、二回目です。

ではまず、今回の詩をどうぞ。

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「青春」 大岡信

あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂目がある。突堤の下に投げ捨てられたまぐろの首から吹いている血煙のように、気遠くそしてなまなましく、悲しみがそこから吹きでる。

ゆすれて見える街景に、いくたりか幼いころの顔が通った。まばたきもせず、いずれは壁に入ってゆく、かれらはすでに足音を持たぬ。耳ばかり大きく育って、風の中でそれだけが揺れているのだ。

街のしめりが、人の心に向日葵ではなく、苔を育てた。苔の上にガラスが散る。血が流れる。静寂な夜、フラスコから水が溢れて苔を濡らす。苔を育てる。それは血の上澄みなのだ。

ふくれてゆく空。ふくれてゆく水。ふくれてゆく樹。ふくれる腹。ふくれる眼蓋。ふくれる唇。やせる手。やせる牛。やせる空。やせる水。やせる土地。ふとる壁。ふとる鎖。だれがふとる。だれが。だれがやせる。血がやせる。空が救い。空は罰。それは血の上澄み。空は地の上澄み。

あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。

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四段落目のふくれる、ふとる、やせる、の流れが圧巻です。

僕は自分の詩を作る時に大岡信氏の詩を読んでから書き始めることが多いのですが、それは大岡氏の持つシュールリアリスティックが僕の創造性を刺激するから。
クリエイティビティを閉じ込めている鍵を開けてくれる感触があります。

この「青春」は綺麗な詩ですが、良く読むとかなり暗い。理由もなく愛から夢が奪われてしまっています。大岡氏は冒頭と末尾の文章について「あまりにも夢見る気持ちが強すぎて、そのために、一番大事なひとつの実質的な愛からは、逆に真実の夢が奪われてしまった」と言及しています。

青春の痛々しさを夢の中のような不思議な文体で詩に定着させた、美しい一編です。

#感想 #詩 #現代詩 #大岡信 #青春

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