見出し画像

なりたい自分(ぼんやり)

去年手帳を買ったときに年間目標の欄を発見した。が、面白いくらい思いつかなかった。今年の手帳は去年よりは目標が書けた。
ただ、僕の使っている、ビジネス!スケジュール!PDCA!みたいな手帳が想定しているようなものではなく、ぼんやりとした目標だ。例えば「死なない」だとか……

やりたいこと、作りたいもの、読みたい本はいくつも挙げられる。しかし、目標などの”なりたい自分”はぼんやりしている。はっきり言語化できて人に伝えられる人はすごいと思う。

文章を書くのは好きだが、自分のことを言語化することが苦手だ。高校の時に、卒業後の自分・10年後の自分を書いて提出する機会があった。文字で書くことを諦めて、絵を描いて提出した記憶がある。清潔感のあるシャツを気どらずに着こなして洋書を読んでいる姿を描いた。なんか素敵な感じに。
今でも、なりたい自分も上手く言語化できない。例えば憧れの人とか目標の人とかがいれば、「〇〇さんみたいになりたいです!」で済むのかもしれない。

文章を読んだりSNSを見ていて”この人良いな〜”と思うことがある。”この人良いな〜”というか、この人の”あり方”が良いな〜なのかもしれない。一つ一つの投稿は掴みどころがないけど、世界観が確立している。明文化して投稿はしていないだろうが、何か美学があるような感じがする。

友人は僕のことを”掴みどころがない””不思議”と言う。
僕なりにしっかりしようと頑張ってはいる。noteでも相手に伝わるような、変だと思われない文章を書こうとしていた。

ただ、僕が”この人良いな〜”と思う人を見ていると、掴みどころのなさや不思議さは魅力なのかもしれないとも思う。今まで痛々しいとか変だとか思われることを怖がっていたけれど、もしかしたらあまり怖がらなくても良いのかもしれない。

僕はもっと架空の生活をしても良いし、造花に水をあげても良い。
クラゲたちはふわふわと空を飛び、信号機をかすめて北へ向かった。夏がくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?