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バイト遍歴 〜巻き込まれ体質のお仕事奮闘記〜

アルバイトと呼ばれるものを始めたのは、大学1年生の春だった。

初めてのバイトは塾講師。理由は単純明快、高時給に惹かれたからである。ただしそこは大手の集団塾や個人指導塾ではなく、電話口で授業を行う生徒非対面タイプの変わった個人経営塾だった。
つまり、塾の儲けは塾長兼社長の契約の取れ高次第。正直怪しすぎるこの塾はまあ儲からない。おかげで売上は上がらず、私含めたアルバイトへの給料はいつも遅れていた。
毎月末、情けのない顔で
「今月もとりあえずこれで…一週間後絶対契約とってきて払うから!」
と社長から渡される1万円。それが一週間後も再放送のごとく繰り返される。私も私で働くのを辞めないからアキレスと亀状態になり、未払金はマックス30万円に上った。
なんだかんだ2年続けたが、終わりはあっさりとしたものだった。先方には「忙しくなるから」と伝えたが本当は違う。私の可愛がっていた後輩に社長がセクハラをしていたからだ。
「メッセージで『俺が全部持つからホテル行こう』とか言うんです…」
泣きながらそういう後輩を見て怒りを覚えた。いたいけな少女を泣かせるなどなんて外道なオヤジだ。あとそんな金あるなら私の給料を払え!
こうして愛想を尽かし、離れた次第である。

そのあとは早朝のコンビニエンスストアでのバイトを、大学卒業まで続けた。
ここは天国である。当時そんなことを思いながら働いていた。だって、ちゃんと給料が支払われるし、それでいて毎日風変わりなお客様がいらっしゃることで飽きることがないのだから。
ここで何人かお気に入りのお客様をご紹介しよう。まずは『エンタメ奥様』。私が店舗のゴミ出しをするタイミングに出会った方で、いきなり目くじらを立てながらお叱りのお言葉をくださった。
「客の前でゴミ出しするなんて!夢を売る仕事としてどうなの?!」
早朝6時のコンビニ。『現実』の権化のようなこの場所を夢を売る場所だとそのお方はおっしゃった。
「ええっ!ディズニーみたいにですか?!」
阿呆の私は間の抜けた顔でそう返したことを覚えている。エンタメ奥様の返答は「そうよ!」だったことも。そんなことある?
あとは『豪快怪盗おじいさん』。これは私が品出しをしていた時のことだ。なかなか売れず毎日あった焼酎の大瓶がなくなっていることに気づき、店長に「昨日売れたんですか?」と尋ねた。すると、店長は顔面を蒼白させて監視カメラをチェックし始め、「やられた」とつぶやいた。なんと常連のおじいさんが懐に大瓶を突っ込んでいるところがバッチリ映っていたのだ。それも朝10時!誰か気づけよ、私含めてさぁ!
しかし、前述のとおりこんな愉快なお客様だらけで飽きがくることは一切なかった。パートのおばさまにいろいろもらったり可愛がってもらったのも良い思い出である。

さて、大学を卒業しテレビ番組のADになる頃には「もうバイトはしないだろう」と抜かしていた私だが、その10ヶ月後脱兎のごとくお台場から逃げてきたためまたバイトをすることになった。その時選択したのがホテルや料亭の配膳人のアルバイトだった。理由は単純明快、高時給だからだ(2回目)。
「いいか、君たちは人より高い時給で働いている。つまり、それに見合った動きのできるプロでなければならない」
これはクソ上司…もとい統括マネージャーのありがた〜いお言葉だ。しかし私はそのような高い意識は持ち合わせちゃいなかったので、バックヤードでは表情筋を殺していた。すると、
「もちづきさんっ!笑顔っ!(白い歯を見せながら)」
と年上か年下かわからないバイトにハツラツな笑みを向けられた。こいつは生まれながらの光属性なのか?アルバイトをナメているつもりは全くないが、そのモチベーションでいられるのも謎である。「はあ…」とヘラっとした笑みを返し、また真顔に戻る。堅苦しいお作法と制服、重たい銀食器、常に痛むヒールパンプス……うん、甚だ向いてない。
そんな向いていないバイトはすぐに嫌になり、どうしても行きたくない日はサボるようになった。ベッドの上でブリッジをし連絡を入れるのが常套手段だった。実に良くないライフハックの提供失礼。このバイトはギュッとしたら半年も続いていないことになると思う。

そうして今、たどり着いたバイト先はWEBメディアのライターのバイトだ。
私が面接でネックレス型のイヤホンをつけっぱなしでも、待ち時間に買ってきた茶漬けを披露しても「おもしれー女(意訳)」とキャラ採用をしてくれた会社。周りの人柄も良く、仕事内容も楽しい、気がつけば2年もいるまさに天職なのである。






いや早くバイト辞めれるよう頑張れよ!!!!!






ちゃんと自分の文章だけで食っているけるのはいつになることやら。今のバイト先で鍛えてもらって頑張ります。

物書き志願者です! 貴方のサポートが自信と希望につながります!