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羽ばたく陽

目次

 角灯屋の奥の部屋、その小さな工房には窓の外が薄暗くなったことにも気付かず作業机に張り付く一人の青年がいる。彼は額から自らの手へと滴り落ちた汗によって意識を浮上させた。もう少し。それだけを呟いて彼は、再び意識を目の前のランタンに沈めてゆく。それこそ時間が経つのが惜しいというように、机に歯を立てながら。
 ここは角灯屋〈永刻堂〉。
 〈永刻堂〉とは、永い時を刻む、そういった意味をもつ店名である。それはランタンを売る店にはあまり相応しくない名前だと思われたが、それもそうだろう。元々、この店は骨董屋だったのだ。
 今、ランタン造りに精を出している青年、その父が営んでいた骨董屋を数年前に彼は譲り受けたのだった。譲り受けてしばらくはそれまで通りに骨董を売っていたのだが、趣味で造ったランタンを店に置いてみたら自分が思っていたよりも評判が良かったために、いつの間にか、骨董屋だった〈永刻堂〉は、角灯屋の〈永刻堂〉になっていた。
 流石にランタンの収入だけでは食べていけないところもあるので、簡単な機械の修理を請け負ったり、父が旅先から送ってくる骨董類も店に並べたりして彼は生計を立てている。
 時計の針が夜を指し示すよりも数秒早く、工房の半開きになった扉の方から声がかかる。彼は意識をランタンから自分の感覚へと戻し、それから素早く振り返った。
「丹。ああ、やっぱりここでしたか」
 彼が顔を向けた先、そこには気の優しそうな老人が立っていた。いつも贔屓にしてもらっている客である。丹は微かに笑みを浮かべると、同じように柔らかい笑みを口元に浮かべている老人に問いかけた。
「あれ、おじいさん。……もしかしてまだ営業時間だったか」
「ええ、少なくともあと五分は。あなたは暇になるとすぐに工房に引っ込みますねえ。つくづく職人気質といいますか」
 老人はそう言って快活に笑ったが、彼――丹は気恥ずかしそうに頬を掻くだけであった。
 この角灯屋を営んでいるのはこの、まだ若い青年である。
 青年の名前は日紫喜丹。ニシキマコト。
 丹という名前は、おそらく彼の柔らかな辰砂の色をした瞳からきているのだろう。彼の瞳はランタンの炎の前では特によく輝いた。
 彼――丹には不思議な力があった。いや、彼にも、と言った方が正しいのかもしれない。丹の住む町で暮らす人々は皆、誰もが不思議な力をもっている。そして彼の場合はその力が、〝炎を掴んで好きな形に変える〟といったことだった。……彼は長いことそんな自分の力の使い道に悩んでいたのだが、答えというものは存外近くにあったりするものである。物置に転がり埃の被ったランタン。いつだったか、それが彼の道を照らしたのだった。
「この時間は客も少ないから、ついな。お茶でも何でも出すからさ、大目に見てくれよ、おじいさん」
「お気になさらず、いつものことですから。……ああ、お茶は頂きます」
「ところで今日はどうしたんだ? ランタンの調整かい?」
 彼の売るランタンは普通のものとは少しばかり違っている。一つは設計から意匠まですべて彼が担当しているため、同じものが他に一つとして存在しないこと。つまりどのランタンも一点ものなのだということだ。
 もう一つは火種から立ち上がる炎の形。どちらかと言えばこちらが彼の売りである。彼の売るランタンの中の炎は、彼のもつ力によって様々な形に立ち上がる。よっぽどおかしなものではない限り、彼は炎を客の要望通りの形に変えて、それをランタンに火種として入れて売り渡す。どんな形でも、とは言い過ぎかもしれないが、それにしても彼の炎は色々な形に変形するのだった。
 少女が花のランタンが欲しいと言えば、花の形の炎が立ち上がるランタンを。少年が竜が欲しいと言えば、火吹き竜の形の炎を。そんな風にして彼はこの角灯屋を成り立たせていた。
「いや、特に用はないんですけどねえ。少し話でも、と思いまして」
「……いつからここはカフェになったんだ? おじいさん」
「そう言うと思ったのでランタンも持ってきたんですよ。火種を替えてくれますか、丹。話すついでにやってくれればいいですから」
「火種を替えるついでにお話ししますよ、お客さん」
 老人に渡されたランタンを彼は作業机に置いた。吹けば消え入りそうな火種を中から取り出し、手ごろなおがくずに引火させて炎の形を確認する。ああそうだ、この人の炎は犬だった。
「まだ使えそうだけどなあ、この火」
「だからここに来る口実だって言ったじゃあないですか」
「まあ、一応替えとくよ。形は犬っころのままでいいのかい」
「ええ、それでお願いしますよ」
 それを聞くと丹は小箱から燐寸を一本取り出し、箱の側面に滑らせて小さな火を点けた。
 彼は、あち、と漏らしながら燐寸の火を自らの手のひらへと持ってゆき、小さなその火に息を吹きかける。そうしてみれば、彼の手のひらの火は光の粉を撒き散らしながら彼の両手いっぱいに広がった。粘土をこねるようにして炎の形を犬の姿に変えてゆく。しばらくして完全に犬の形を成したそれに、丹が、おすわり、と命じれば、たちまち炎の犬は座るような仕草を見せる。そしてその頭をひと撫でしてやれば、犬はみるみる小さくなり火種の大きさとなった。
 小さな犬を老人のランタンの中へ入れ、彼は一息吐いて老人の方へ向き直った。〈永刻堂〉の売り文句を口にしながら。
「これでよし。〝英国〟風でお洒落だろ」
「――いやはや、いつ見ても見事なものですねえ。しかし丹、火種を替えるついでに私と話してくれるのではなかったのですか?」
「おじいさん、俺が仕事になると周りが見えなくなるって知ってるだろ? あんまり意地悪言わないでくれよ」
 困ったように笑いながら丹は作業机の上を片付けはじめたが、老人の目に彼の手にある燐寸箱が入ったことでそれは制された。
「丹は火種をつくるとき、いつも燐寸を遣いますね。何か、理由があるんですか?」
 丹は棚に仕舞おうとしていた燐寸箱を手のひらで転がし、小さく呻り声を上げてから老人の質問に答えた。
「もっと火力の高いものは使わないのか、ってことだよな。俺が単に燐寸の火が好きっていうのもあるんだけど……ああ、火の好みなんてのは変かもな……いや、あんまり火力の高いものは簡単に言うとすごく熱くてさ。ずっと持ってれば慣れるんだけど……。そうだな、熱いグラタンを口に入れたときと同じような感じだ。そのまま口に入れてりゃその内丁度良い温度になるが、あまりに熱くて吐き出したくなる。そんな感じしないか? 俺もそんな風だよ」
「ああ……なるほど。それなら私にもなんとなく分かります。それで、火の好みというのは?」
 まさかそちらを掘り下げられるとは思っていなかった丹は、老人の問いに辰砂の瞳を彷徨わせた。ばつの悪そうに首に手をやり、視線を逸らしたまま呟く。
「……燐寸の火が点くとき、少し火の粉が舞うんだよ。それがちょっと、何ていうか、綺麗だなっていうか――火が喜んでるような気がして――だから。……あんまり話したくないんだ、こういうのさ。何か、格好悪いだろ」
「そうですか? 私はそうは思いませんよ、もっと色んな人に話して差し上げるべきだと」
「やめてくれよ、おじいさんだから話したんだ。俺は接客とか向いてないよ、やっぱり。工房で機械いじってる方が向いてんだ。こうやって点けた火が好きだとか、このランタンの構造が一等炎を綺麗に見せるだとかさ、そんなの俺以外は興味ないだろ。話して、変だって引かれて、客来なくなったら嫌だし――ランタンも火種も悪くないのに、俺のせいで店畳むことになったら馬鹿みたいだろ?」
 そう自嘲するように語る丹の瞳には、不安の火がちらついていた。それは、たった一人きりで店を切り盛りする青年の漠然とした不安だった。
「楽しいですか、お店?」
「そりゃ、楽しいよ。ランタン造るのも、火種つくるのも。お客さんの笑顔見るのも好きだし、俺なんかでも何かをつくることができるんだって分かって嬉しくなる。俺の夢だからさ、誰かを自分のつくったもので笑顔にすること」
「私たちも同じですよ、丹が楽しそうにこれは良いものだと話してくれたものを買いたい。もちろん、あなたのつくったものは素敵で、私も大好きです。けれどそれ以上に丹のことが大好きですからね。だから、あなたの話を聞きたいんですよ。注文をしてただその商品を受け取るよりも、丹がどこを頑張って、どの辺りが良いランタンなのかを売るときに聞かせてくれた方が客冥利に尽きますから」
 丹が眉根を寄せて顎に手を当てた。彼の不安の火は少し小さくなっただろうか。
「つまり、ものづくりだけではなく接客も楽しめて、そこではじめて一流の〈永刻堂〉店主になれるということですよ、丹。――けれど、あなたならだいじょうぶです」
 丹はしばらくぽかん、という音すらなりそうな顔で老人の顔を見ていたが、数呼吸ほど間を空けた後、吐息を漏らすようにして笑った。
「じゃあ――聞いていくかい、おじいさん。俺がこのランタンで力入れて造ったところ」
「おや、全部ではないのですか?」
「そうだよ、だから長くなる。話してる俺は楽しいだろうが、おじいさんにとって楽しい話とは限らないぜ。いいのかい?」
 老人は丹の辰砂の瞳を見上げた。彼の語り出そうとしている瞳の火のなんと美しいこと、朱の差しはじめた頬のなんと楽しそうなこと! 老人はにっこりほほ笑んで答えた。
「私のことより――もう閉店時間が過ぎてしまっていますが、よろしいのですか?」
「ああ、そうだなあ。時計の針を二時間前に戻しておくか」
「おやおや、困った。火を点けてしまったようですねえ」


20151125 
シリーズ:『手のひらのかがり火

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