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美術史第1章『美術とは』

  

ウィーン万国博覧会の様子

“美術”とは表現者や表現物が鑑賞者に精神的または感覚的な変化を起こす事を目的とする活動、”芸術”の中でも絵画や彫刻、版画、写真など視覚によって認識できるような芸術、つまり視覚芸術の事を纏めて表す総称であり、古代から宗教や呪術と関連して発達してきたものの、近代以降は宗教から完全に独立した分野となって発展を開始した。

 また、美術はゴシック、マニエリスム、バロック、ロココ、ルネサンス、ロマンなど特定の時代の特定の地方で一定の特徴や傾向、要するに「様式」を持っており、これは、一人か複数人の芸術家がその時代と地域に合わせた形式を生み出し、他の芸術家がそれに影響されて模倣作を多数作ることで「様式」となると思われる。

 美術のジャンルとして最も大きなものとして物体を平面に描き表す絵画と物体を立体で作り出す彫刻の二つがあり、その他、絵画を描く手段として彫刻を行う版画や、粘土を立体に形作る陶芸、布などに色をつける染織、像を描かずに映し出す写真、写真を動かした映像、芸術家自身が自らの身体を動かすパフォーマンスなども美術といえ、絵を描いて文の場面を書き表したりするイラストレーションや図形や絵、立体などを様々な目的から設計するデザイン、建物を設計し立てる建築、手で作られる様々な工芸などの応用美術と、漫画、アニメ、映画などの大衆芸術も美術と密接に関連する芸術である。ただ、建築に関しては日本では明治維新での急速な欧米化と富国強兵、そして日本のプレートの狭間という地形上、どうしても頻発する地震に耐えるための技術力の必要性から、建築は芸術より技術であると認識されている節が強く、事実、大学の振り分けでも大抵の場合、芸術系ではなく工学系に属す。

ウィーン万博の日本の展示

 日本語の「美術」という単語の起源は、1873年、明治6年に当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンで行われた世界各国が展示を行う博覧会、いわゆる万博であるウィーン万国博覧会に日本政府が参加、出品する際にクンストゲヴェルベ、つまり工芸やビルデンデ・クンスト、つまり視覚的な芸術という単語の訳語として考案されたものであるという説や、1872年に西周(にし・あまね)が英語で応用芸術や大衆芸術のような産業的な面があるものではなく純粋な芸術的価値を求める芸術を意味するファインアートという単語を役したものであるという説があるが、いずれにせよ明治時代頃と比較的新しく、その数年後には美術の教育機関も誕生、1870年代後半には現在と同じく視覚的な芸術のみを美術と呼び、音楽や演劇など諸々の表現を合わせて芸術とするようになっていたようである。

美術の他、哲学など多くの当たり前に使われる日本語の生みの親である西周の写真


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