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私が夢日記をつける理由


noteで夢日記の投稿をはじめてから、二ヶ月近くたちました。最近、自分がどうして夢の記録を続けているのか、よくわからなくなることがあります。

当初はじめた理由はといえば、単純に「面白い」と思ったから。

ものすごく変な夢を頻繁に見るし、それらをわりと正確に記憶できていたので、文章に残したらきっと面白い読み物になるのではと考えました。

でもこうして日々の投稿を見返しても、実際に夢を見た時に感じた「面白さ」はほとんど薄れてしまっていて、正直なところそれは意味も筋道も何もない、文字通り“ノートの落書き”状態にさえ感じられます。

ただつまらないと言えばそれまでの話ですが、なぜなのか要因として思い当たるのは、夢の中でえた喜びや恐怖、怒りなどの感情が、正しいものではないということ。

夢というのは、アタマの中で1日の記憶を整理する過程で見るものと言われ、登場する人物や情景、時系列までもばらばらになっていることが多いです。それと同じで、感情もあべこべに感じるようになっていて、例えば日常的な光景に異常な恐怖を感じたり、ホラー展開なのに妙に冷静だったりすることがあります。

その理屈だと、「うわ~こりゃすごい夢を見た」と寝起きのテンションで日記を書いても、出来上がったのがちんけで退屈なものになっているのもうなずけます。

ともあれ、夢の記録はこれからも細々と続けていくつもりです。コンテンツとして無意味でつまらないことがあっても、もしかしたら、また何か発見があるかもしれないし、続けることで夢を記録するスキルが向上していくことを期待しつつ。

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