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そのこだわり、本当に必要?

主従の形にこだわるあまりに関係が噛み合わなくなるのは本末転倒。
別に、合わないなら無理しなくていいと思うんですよ。

こんにちは。HALです。

どうも最近、またよく見かけるのが…主従の形にこだわるあまり、その姿が醜くなってしまってるよ、って状況。

まぁ、主従に限らないのかもしれないけれど、思い込みに近いこだわりって、あればあるほどコミュニケーションリスクが高まる。◯◯で当然、みたいに思い込んでしまっている分、その中身からズレたときに脳が発火するような発信をしてしまうというか。

でね、この発火した姿って思いのほか信頼感を損ねる。そんな人だと思わなかった、とか、他にもそういうふうになる一面隠し持ってるのかな?みたいに思われることが多い。もちろん、その放たれた火がこちらに向くのは誰だって避けたい=縁が遠のく、ってことでもある。

だから、わたしとしては「そのこだわり、ほんとに必要?」ってのは問い直すことを大事にしたい。以前は必要だったものが、今はなくてもいいものになっていることだって珍しくない。

結局のところ、柔軟にしなやかに対応できる余裕があったほうが、わたしとしては美しいと思う。そのやわらかさを残していくためにも、ムダなこだわりは捨てて、やわらかくありたい。

わたしはそんなふうに思うのです。

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