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自分の『本質』に辿り着く

こんなに選択肢にあふれた時代はない、と思う。
選ぼうと思えばいつでも、自分の本質に沿う生き方を選べるし
いつまでもそれにフタをして、新たな刺激に心を彷徨わせることもできる。

あらゆる哲学や宗教、ヨガや瞑想、武術やアート、旅や本や人との出会い。
本質に至る道筋は人それぞれだ。

同時に、本質から目をそらし、気を惹き続けるものもたくさんある。
日常のぬかるみに足を取られて、なかなか本質が立ち上がらない、ということもあるだろう。

人は、『誰かのため』とか『頼りにされる』ことで、思ってもいないような力を発揮できることがある。
もし今目の前に、自分を心から慕って、助けを求めている相手がいたとしたら、持てる力を総動員して助けようとするだろう。
余計な物は捨てて、自分の本質をさらけだし、相手に与えられるものを掘り起こそうとするに違いない。

10代からずっと生きづらかったわたしは、その時々で出会った人・モノ・事から少しづつ磨かれて、自分の本質にたどり着いた。
相手はただ本質を生きているだけで、通りすがりのわたしにポンとギフトを置いていった。

困っている人の前に、たまたま通りかかった誰かが、与えられるものをポンと置いていく。
それをされた人が、また誰かの前に気前よくポンと置いていく。
そうやって、すでに持っているものを与えあう世界では、何も減らないし過不足は起こらない。

そして、ひとりの人間にできることには、限界がある。
いくら大勢の人があなたを頼りにしたからといって、全員を救うことはできない。
普通の人間が、普通の困ってる人間をひとり、助けるだけ。



もしこれが当たり前になったら、世界から困ってる人がいなくなるんじゃないか、と思う。



ひとりが、もうひとりを救う。
これがせいぜい私たちにできることだ。


理想論すぎる?
もしなにかとんでもない大災害が起こったりして
奇跡的に生き残った人たちがいたとしたら
人類は生き延びるためにこうすると思うな。

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