母になるとは、何かを諦めることなのか?
昨日「母」のことを書いた。
そういえば、一人目出産から、もうすぐまる5年。
母になったら、捨てたり諦めたり我慢したりすることが格段に増えるのかと思っていたのだけど、実際どうだったかを振り返ってみた。
何を諦めなくちゃいけないと思っていたか
①夜の外出(夫は接客サービス業だから夜は不在)
②たまのジャンク食(母乳に悪いし身体が資本)
③ネイル(伸ばせないし通えない)
④ヒール(抱っこ外出怖い、幼児になっても走れない)
⑤本を読みふける(まとまった時間はないし徹夜無理)
あら、思ったより少なかったのだけど、
・自分の好きなように時間を使うこと
・誰かの庇護がなければ生きていけない存在を守るための母体として機能するために枷となること
を、諦めなくちゃいけないと思っていたかな。
実際母になり、出来なくなったか
結論先に書くと、出産直後にこれを書いていたら、ほぼ全部YESだが、出産直後から5年間ずーっと出来てなく、今すぐ取り戻したいもの、はほとんどない。かも。
①夜の外出
これはもう、99%出来なくなった…のだけど、夫は結婚前から今の仕事なので折り込み済みだし、自分だけ飲みに行ってることもない(←仕事中だから)ので、「ズルイ」とかもない。
②たまのジャンク食
これは、、別に出来なくならず笑…二人ともほぼ母乳育児だったけれども、乳牛のように放出し、仔牛のような飲みっぷりで受給バランスが高次安定で常に空腹。幸いにして詰まり知らずだったので、なんでも食べたいものを食べていた。(実のところは、ジャンクをあまり欲することはなかったので、登場回数は少なかったが)
③ネイル
100%しない。乳児といたら、肌にも触れるし、ウ○チもゲ○もつくので、伸ばしたいと思わなかったかも。
④ヒール
これも100%なし。産後は外出が格段に減り履く機会総数が減る。出かけるようになっても、大荷物だしこわれもの(赤子)を抱えてるので基本スニーカー。
⑤本を読みふける
もちろん夜通しマンガ読み切るとかは体力的に無理だけど、よく寝る子たちだったので、読みたければ読めた。
想定外に失ったもの
夫と2人でデートすること。
生牡蠣の食べ放題。(Love、生牡蠣)
この二つ。
”諦めたくなかったのに”失ったもの
これは、わたしに限って言えば、ほとんどなかった。
・自分の好きなように時間を使うこと
・誰かの庇護がなければ生きていけない存在を守るための母体として機能するために枷となること
と書いたけども、乳牛業務の終了≒乳児から幼児への成長、に伴いほとんどのことは取り戻せて、やりたいと思えばやれるようになっている。
ひとりランチでジャンクも食べるし、子どもたちが遊んでるうちに本だって読める。時々夜中も読んでいる。
ほぼ諦めたのは夜の外出・ネイル・ヒール。あとデートと生牡蠣食べ放題(笑)
思いがけず得たものは
産後は二回とも体重が激減した。
元が太っていたので、これは意外で嬉しかった。
一方で中身は、同じ人と思えないほど丸くなった。
と言われる。あまり自覚はないけど、おそらく、自分の「正義」をかざして仕事していたんだろう。当たり前だけれど、ままならないものを相手にして、音を立てて成長していく姿を目の前にして、ようやく、人を尊重できるようになってきたのかも(当社比)。
こどもたちがわたしを育ててくれている。
あと、料理ができるようになった、のは副産物かも。
(結婚後、夫不在の平日は100%外食、土日は夫が作っていた→必要に迫られて作ることに。意外と作れるようになり、料理は嫌いでないことがわかった)
また、夜の外出・ネイル・ヒールを諦めたと書いたけども、実はアルコールはあまり好きじゃないし、ヒールよりスニーカーが好きだ。
本当に欲しいのは何なのか
5歳になろうとする娘は、ネイルを塗ってワンピースでヒールを履くお母さんがいいのだという。まあ!
年末、5年ぶりに夫とデートした。ネイルを整える時間はなかったけど、ワンピースにヒールを履いた。
子どもたちはシッターさんと楽しくお留守番。
私がそうしたいと思えるか、が問われている!
ということなのだ。思いがけず得た最大のものは、実は、この視点のような気がする。
人と暮らすのだから、もちろん制約はある。特に乳児のうちは制約だらけだけども、気づけばその制約が外れていたり、自分で枷を掛けていただけだったこともある。
物理的に無理なこと(例えば我が家なら、サービス業の夫に平日毎晩お迎えに行ってもらうとか)は、文字通り無理だけども、誰かに代わってもらうこともできる。それを誰かに反対されたとしても、どうしてもやりたければ方法を考える(仕事と同じだ)。
私の場合は、どうやったら生牡蠣食べ放題に行けるかを黙々と企み中である笑。
つまり「一般化できない」ということ
世の中には人の数だけ「やりたい」があり、ここまでのことは、私が感じたことで、一般化は出来ない。
これからはじめての出産を迎える人も、はじめての2人育児になる人も、なんならこれから結婚する予定の人も、そうでない人も、夫も、姑も、近所の人も。
母になったらこれを諦めなくちゃいけない
なんてリストはないのだ。
母たちは二つ知っておけば気持ちが楽なのかも。
・時間が経てば取り戻せることの方が多い
・結局自分が何を求めているか?を見つめてみる
夫が姑が収入が、と色々ある。それも含めて、母たちは、自分で状況を引き受けて、どうしたいのか、どうしたら出来そうか?を考えてみるしかない。
一方で、周囲の人たちは「個人差」「後でまた取り戻せるんでしょ」と笑い飛ばさないでほしい。母たちが犠牲にしているもの、失うもの、諦めるものは、少なからずあるからだ。
いまそれが奪われていることがストレスな人もいるし、その人が本当は何を求めているか、誰も聴いてくれないことも多い。
いろんな意味で、どの人も、諦めたら試合終了。
なのかもしれない。
やっぱり、聴くことから始まるのかな。
皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。