聴くことは、尊び重んじること
「もう辞めさせていただきます」
週1回こどもたちのお迎えを頼んでいたファミリーサポートの方からお断りを受けた。
しかも、たったの2ヶ月で2回、別の方から。
我が子が手に負えない問題児だったのか?
というと、そんなことはない。もう1年くらい前のことだけど、ちゃんと振り返っておきたくて。
誰かに依存することで自立する
子どもとの暮らしは、大人だけで生きていくよりも多くの意思決定の場面がある。自分の生活に登場人物が増えているのだから当たり前だ。
そんなとき、自立とは、依存先を増やすことという熊谷晋一郎さんの言葉に深く共感しつつ様々な選択をする。
その依存先のひとつが、市のファミリーサポートという制度だった。
・親も子も、地域の大人とつながること
・毎日お迎えに行く負担を、週1回でも軽減できること
我が家では、そんな目的で申し込みをした。子どもたちは可愛いし大好きだけど、毎日一人で迎えにいき、ごはん、お風呂、就寝となれば決して楽な話じゃない。
(お迎えを忘れた夢を見て飛び起きることもよくある)
最初に来てくれた方は、近所のマンションに住む小学生男の子のママで、私よりひと回り若かった。ファミサポは高齢の方が多いと聞いていたので意外だったけれど、いつもニコニコ、夏場は汗びっしょりで、子供がふたりに増えても、毎週自転車で送り届けてくれた。
彼女が、転居することになり、新たな方をお願いしようと、再び市に依頼を出して、幸いにも、新しい方が来てくださることに。
「おかあさんの方が、いいみたいなので」
ところが、二人目の方も、三人目の方も、数回の送りの後、示し合わせたかのようにこう言って、次の週から来なくなった。
市の担当者からは、次の方はもう難しいだろうと。
おかあさんの方がいい。そりゃそうだ。わかってる。
でもそれでは、ファミサポをお願いした意味がない。
お願いしていた当時は、3歳と1歳だった。
こどもふたりを連れての約1キロの帰り道が、
決してラクではないことは知っている。
雨の日は、傘さしてベビーカー押して手を繋ぐには手がひとつ足りない。雪の日は地獄。それは私も同じだ。
だから週1回くらいは誰かに代わってもらいたくて、依頼をしていた。
とはいえ、3歳娘信号で絶対止まるし、大声を出したり走り出したりしない。そして1歳はベビーカーだ。
だから、雨の日以外は「全く手に負えない子たち」ではない(で結局わたしが毎日行く体制に戻った)。
子どもの声を聴けるか
雨が続く時期だったのか、よく覚えていないけれど、雨の日を最後に、二人目の方は辞めてしまった。
三人目の方は、娘が帰り道に「トイレに行きたい」と言った日を最後に辞めてしまった。
「帰り道に、トイレに行きたいっていうんですよ、
だから、急いで帰ろうねって言ったんです。
でも、ここで行くのって動かなくなっちゃって。
しょうがないからそこのコンビニで行ってきました。
私のこと嫌なんですって。
おかあさんがいいって泣き叫んでました」
最後の日にこう吐き捨てて去っていった。娘もまだ玄関にいた。
この日は私の帰宅がギリギリで、ドアを閉める間際、遠くから「おかーさんがいいの!」というこどもの叫び声と大人の怒り声が聞こえたような気がした。
直後にファミサポさんと子どもたちが帰宅して、さっきの声が我が子のものだったと知った。
ファミサポさんが去ったあと、泣きべそ顔の娘に、話をきいた。
だって、本当にがまんできなかったの。。
いきたいのにだめっていわれたの。
だからおかあさんがいいって言っちゃったの。。
娘は「おかあさんがいい!」と駄々をこねたのではなくて、ただトイレに行きたかった。ファミサポさんにそれを言い出すのも勇気が要っただろうに、それをダメと言われて、お漏らしも嫌だし怒られて怖いしでグチャグチャになっていた。
ファミサポさんは、親ではないから、そこまで、子どもの声を聴いてくれと求めることは違うのだろうか。
その日はコンディションが良くなかっただけかもしれないし、嫌と言われていい気持ちはしなかっただろうけれど、ひとりの人として子どもの声に本気で向き合ってくれていただろうか、と考えてしまった。
何をサポートして欲しいのか
制度に不満があるわけでも、そのファミサポさんに恨みがあるわけでもないが、なんというか、残念だなぁと思っただけだ。
子どもたちは、知らないおばちゃんよりおかあさんがいいに決まっている。
だけど、月に1回しか会わないレッスンの先生や、たまに来てくれるベビーシッターさんのことは、おかあさんと別枠で大好きだ。だから、それよりも頻度高く毎週お迎えに来てくれるおばちゃんは、知らないおばちゃんではないし、大好きになる可能性だって充分にある。
わたしは、自分の負担軽減のためだけでなく、子どもたちに多くの信頼できる大人と繋がって欲しいと思っていたから、ファミサポという依存先を頼ろうと思った。
サポートして欲しいのは「お迎え」という行為や時間そのものではなくて、そこで過ごす子どもたちとの時間。
費用は、ベビーシッターさんなどに比べたら一桁少なくわずかではあるけれど、信頼して子どもたちをお願いしていた。だからとても残念だなぁと思うとともに、その後、彼女たちがもしファミサポそのものを辞めてしまったとしたら、と考えた。(連絡とっていないのでその後のことはわからない)
もしかしたら、制度そのものの在り方を、少し見直さないと、こうした出来事は減らないし、ファミサポの引受け手も減ってしまう、結果としてサポートを必要とするファミリーに、その手が届かなくなってしまい、制度が形骸化するんじゃないかなと。
ファミサポを引き受けてくださる方の声も聴く。
子どもの声も聴く、母の声も聴く。
当たり前のようだけれど皆がそこに一歩ずつ寄り添えたなら、もっといい未来があるように思えてならない。
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