![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/34329059/rectangle_large_type_2_5ec6a3fdfe58a4acbc7f78d9117a0381.png?width=800)
『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで
半年ほど本棚に眠っていたこの本を、やっと手に取って開いた。
「読むと、気分が沈む」と聞いていたので、なかなか手が動かず、先延ば~し先延ば~ししていた。
この本がどのようなジャンルの本かは、あえて書きたくない。まだ読んでいない人が、固定観念にとらわれると思うから。
強いて言うならこの本には、82年に韓国で生まれた、空想の女性の、伝記みたいなものが書かれている。それ以上でも以下でもない。読者は、この空想の主人公女性がこれまで体験してきたことを時系列的に知ることができるだけの本。
感想
この本の中で、ウッとなった部分をいくつか抜き出して、どう思ったかを書いておく。見出し写真の黄色いふせんは、私の心がムーブしたときに挟んだもの。
+++++++++++++++
以前は交代で運転していたが、娘が生まれてからはデヒョン氏が一人で運転している。赤ん坊はベビーシートが窮屈なのか車に乗ると必ず泣き、ぐずり、かんしゃくを起こすし、遊んでやったりおやつを食べさせたりしてなだめるのはジヨン氏の方が上手だからだ。(p.12)
ジヨン氏というのはこの本の主人公の女性で、デヒョン氏というのはジヨン氏の夫である。
なぜジヨン氏の方が赤ん坊をなだめるのが上手なのかは明言して書かれていない。ジヨン氏の方が上手だから常になだめる役割なのか、常になだめる役割だからジヨン氏の方が上手なのか。同じように見えて、本質が違うと思う。
何事も、役割分担をするのは合理的で、良いことだと思う。たいてい人は同時に2つのことができないし、1つに集中した方がよい成果を得られるもんだ。それが強制されたものではなく、納得したことである限り。
どうしたら人生の選択において、皆が強制されず、自分のポリシーにのっとって決断できるのだろう。
+++++++++++++++
実際のところ幼いキム・ジヨン氏は、弟が特別扱いされているとか、うらやましいとか思ったことはなかった。だって、初めっからそうだったのだから。(p.20-21)
悲しい。初めからそうだと、疑問に感じることも、嫌に思うこともない。けれど、その事実が「ない」ことにはならない。
私自身は女性だからといってすごく虐げられた経験はない。と思う。「ない」かどうか、初めからそうだったら気づけないかもしれない、という恐怖を感じた。
+++++++++++++++
学校生活の最初の難関は、多くの女の子が経験する「隣の席の男子のいたずら」である。(p.33)
ふたたび悲しい。「あ~あるある」と反射的に思ったことに悲しかった。私も隣の男子が消しゴムを返してくれなかったことがあるし、名前でからかわれたことがある。自分より体格も声もデカくて、力も強い人に、対面状態で意地悪(という名の精神的暴力)を受けるショックは鮮明に残り続ける。
男子だって女子に意地悪される、女子だけ被害者ぶるなよ、という人もいるだろうが、それはあなたも私も被害者だったというだけだ。別に男子は被害者ぶるな、とは私は思っていない。どちらの精神的暴力も、あってはいけない。どちらも令和中に撲滅しようよ。
「いたずらをするのはあなたのことが好きだから」系の理屈は何なのだろうか。好きなら、ほめて甘やかして優しくした方がいいぞ(そういうことではない)。
あと、これはここ数年で気づいたことだが、男性は、筋力(基本備蓄パワーのようなもの)が雲泥の差で大半の女性よりも強いことに気づいていない。対して強い力を使っていなくても、マッチョマンでなくても、平均体型の女性にとっては剛腕力に感じる。
だからといって優しくしろとは思わない。雲泥の差があることで、私たちが、男性のことを"怖い"と思うことがある、という事実を知っているだけで、変わることがある。
+++++++++++++++
「早く上がれるだろ、休みが長いだろ、休職しやすいだろ。子どもを育てながら働くのにこれ以上の職場はないよ」
「確かに、子育てしながら働くには良い職場だよね。でもそれって誰にとっても良い職場ってことでしょ、どうして女だけに良いって言うの?子どもって女が一人で産むものなの?お母さん、息子にも同じこと言う?あの子も教育大学に行かせる?」(p.65)
グサグサッと刺さる。最近就活をしていて多いのは、「育休がとれます」「復職率高いですよ」系の説明。その先に続く説明は、「だから女性にとって働きやすい会社ですよ」。
「育休が取りやすい」事実から分かることは、「育児をする予定がある or 育児休暇をとりたい人にとってよい会社」なだけであり、女性にとってよい会社なのではない。(育休が取りやすいと、「イマドキ、育休とりやすいんでしょ。早く孫の顔がみたいわ~」的な姑があらわれる危険性がある。子どもを育てるつもりのない人にとっては地獄である。)
やっぱ女はクソ細かいことを言うな~と思う人もいるだろうが、クソ細かいことを言ってこなかったおかげさまでこの世界が出来ているのだ。細かいことも言いたくなる。嘘を大雑把に言うよりマシだろ。
+++++++++++++++
<最後のページ、最後の段落全文>(p.167)
あまりネタバレもしたくないので文章を書き出さないが、この本に出てきたどの人物よりも、コイツが一番タチが悪い。この人みたいな人が、社会に存在していることが、この本が生まれた理由だ。
何かを知らないこと、気づいていないことは、別に第三者に責め立てられることではない。その人にタイミングや運がなかっただけかもしれないし、自分が経験しなかったことを知る手立ては少ない。しかし、無知の下駄は、誰かの心や人生を踏んでいるかもしれない。踏むどころか「ない」ものとして消してしまっているかもしれない。その可能性を誰もが心にもって、少しでも知り、変わるしか、無知の下駄を脱ぐ方法はない。
+++++++++++++++
この本を読んで得られること
人それぞれだと言ってしまえばそれで終わりなのだが。
訳者あとがきに、こう書いてある。
『82年生まれ、キム・ジヨン』は変わった小説だ。一人の患者のカルテという形で展開された、一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。そのことがかえって、読者に強く思考を促す。
そう。考えることができるのだ。
「うわ~分かるわ~」
「本当にこんなこと起きてるの?嘘でしょ。」
「これは酷いな~」
「何がおかしいの?」
どんな些細な感想でも、疑問に変えることで、思考を広げることができる。この本に共感できなくても、共感できない感想が出るはずだ。そこで止まらず、「なぜ共感できないか」を考えることはできる。
「なぜこんなことが起きるんだろう」
「なんで嘘だ、と思ったんだっけ」
「身の回りでどんなことが起きてるんだろう」
「みんなの意見はどうだろう」
どんな問題に対しても、みんなが疑問に思って考えれば、変えることができる。令和で変えようよ。
読み終えると、カルテのくせに処方箋がなくて、マジでモヤモヤする。正直、「一体何だったんだ?!」という気持ちになった。聞いていた以上にonlyカルテでびっくりした。就活用に私年表を作るつもりなので、転用すれば私バージョンのキムジヨンが作れそうだ(『97年生まれ、佐藤煎茶』(ダサイ))。
最後まで読んでいただきありがとうございます。 サポートは、からあげ弁当と本を楽しむために使わせていただきます。