見出し画像

ゴーストリィ・フォークロア~英国幽霊譚~

ぽう、と灯りがともり、誰もいない暗夜の路地を掠める。
ホタル? いいえ。ここは英国。
地球の真反対にあるこの島国は、日本に負けじ劣らじ怪談の宝庫。
ウィル・オ・ザ・ウィスプ――。
かの幽霊火が生まれたのも、この国なのですから。

今回はかねてより読みたいと話していた、
「ゴーストリィ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚」
のご紹介です。

本書の概要

この本はかつてあった雑誌「幽」に連載していた「幽的民譚~ゴーストリィ・フォークロア」を編纂したもので、英文学に精通する著者が幽霊にまつわる話の中から選りすぐりのお話を紹介する企画です。
単に英文学というだけでなく、フォークロア(民間伝承)の特徴を色濃く残すものを選んでいるので、物語調のものだけでなく「バラッド」と呼ばれる韻文形式の詩も含んでいます。

著者は「バラッド訳するとリズムが失われるから原文で読んで~(意訳)」とおっしゃってますが、訳文もリズミカルなこと。
ダンテの「神曲」を読んだ時も思いましたが、日本の民話にはない形式だけに、ヨーロッパの人々の教養の高さに感じ入ります。

もちろん幽霊が主題のお話だけでなく、魔女や妖精にまつわるものなど収められた物語のジャンルは多岐に渡ります。
一度読むだけではわかりづらいお話も著者の解説が補ってくれるので、英文学に触れたことのない身でもその奥深さを味わうことができました。

(個人的に意外だったのは、水木しげるやH.P.ラヴクラフトの名前があがったこと。柳田國男はまだわかるとしても、民俗学に興味よせる人の関心の幅はつくづく、広いなと感心しました)

収録話の紹介

せっかくなので、本書の楽しみを損なわない程度に、収められた物語のいくつかをかいつまんで紹介しましょう。

コリンナについて

突如行方をくらましたロバート・ヘリック博士と、それを追うべきかどうかで問答を繰り広げる二人の人物の話。
どうも博士は妖精と関わっていた疑惑があり、「博士は正気でなかった」「いや、私たちの方が狂気なのだ」と二人の議論は紛糾します。

博士の従える不思議な牝豚・コリンナの正体については終ぞ明かされぬままでしたが、結末からなんとなく察することはできるでしょう。
それよりも私には、先の見えないこの話自体がなんらかの魔力を帯び、読者を惹きつけてやまないように思えました。
著者が前置きなしに難解なこの話をはじめたのも頷けます。それほどに奇々怪々で、行く末は想像できるのに読んでしまう不思議なお話です。

面白いことに、作中人物のヘリック博士やトマス・ブラウンは実在の詩人や文人だそうです。
後世の小説家・ジェイムズ・ブランチ・キャベルが著したお話なのですが、キャベルは往時の作家の人間関係を反映し、さらには小説の舞台までもオマージュにしてみせるという、手の込んだ芸当をやってのけました。
彼はアメリカの作家なのですが、英国の著名人の影響を色濃く受けているため、今回白羽の矢が立ったようです。

「ジャーゲン」などほかの著作として紹介されているものもあるので、英文学・米文学に興味のある方は読んでみても面白いでしょう。

ウイスキーと悪魔

先に。本を読んだ方、いっしょに乾杯しましょう。
Usquebaugh《アスキーボー》!

そして懺悔します。私、蛍の光の原曲「Auld lang syne」を中英語で書かれたものと長らく勘違いしておりました。
訂正します。スコットランド語、とのことでした――大好きな曲なのに!

というわけでこちら、誰もが知る「蛍の光」の原曲を民謡から起こしたロバート・バーンズによる物語詩、「タム・オ・シャンタ」。
大酒のみのタム(トム)はある日、風が吹き荒ぶ夜道をよせばいいのに危ない方へ、危ない方へと雌馬を駆っていきます。
酒の酩酊で気が大きくなっていたタムは、ついに関わってはならない一線を越えることに。アスキーボー(ウイスキー)を飲んだら、悪魔とて何するものぞ! 魔女が集い、悪魔がバグパイプを奏でる魔の集会へと、ついにちょっかいを出してしまったのです。

台に乗る、口にするもおぞましい供物。へばりつく髪、縫いあわされた舌、腐りゆく心臓。それらに怖気づくよりも前、酔ったタムは下着姿の若い娘(魔女)を見つけ、あろうことか声をかけてしまいます。
いいぞ、姉ちゃん!

さて、彼と雌馬のたどる結末やいかに。
酒におぼれてはならぬとの訓戒詩の側面が強い作品でした。
それはそれとして時折話題にのぼるハギス、一度食べてみたいですね。

ラヴェングロー

こちらは幽霊ではなく、見えない何かに取り憑かれた人々の話。
目の前の紳士が厄落としのように木の机に触ったことから、語り手の男は紳士が自身と同じ習慣の持ち主だと看破します。
儀式めいた執着で木にさわり続ける男たち。
精神医学が途上で強迫性観念障害という概念が生まれる前の話ですが、当時の人々が病的な執着心といかに向き合っていたかの伝わるエピソードです。

年老いた母が病に陥り、不安を抑えきれなくなった息子は「ある考え」に支配されます。
庭に生えた樹木の先細る末端、あすこに触れば病気の母は助かる――。
危険を冒してでも木に触らねば厄は祓えぬ、なんとも迷信深い話です。
いまでこそ笑うこともできるでしょうが、本来の迷信は暮らしと切っても切り離せないもの。
それは日本も英国も同じで、誰もが藁にすがる気持ちだったのでしょう。

老水夫行

連載のラスト、ならびに本書のトリをつとめるのはやはり、バラッド。
結婚式に訪れていた客人は、老いてやせ衰えた男のいうにいわれぬ魔力のような語りに囚われてしまいます。

大海原にて、ある水夫の犯した過ち。天の御使いであるアホウドリをあろうことか、弓で射た水夫に、海原と雲は嵐の罰を返します。
いえ、嵐だけならまだしも、恐ろしいのは凪。帆をはった船はぴたりと止まり、洋上に照りつける太陽は体から水分の一滴までをも奪います。
次々と仲間が息絶え、絶望しても祈りすら許されぬ水夫。
やがて天使の囁きが聞こえますが、彼は無事罪を償えたのでしょうか、それとも――。

なぜ、通りすがりの客人は斯様な話を聞かされたのか。
客人に咎があるのでなく、これは老水夫にかけられた呪い。
自分のしたことを聞かせねばならぬと、語り終えるまで離してはならぬと、老水夫は宿命づけられているのです。

人生の教訓を一つ所に凝縮したような、味わい深い韻文詩でした。

すべてに触れては面白くないので、残りの話はぜひご自身で確かめていただければと思います。
細かなところですが、英国の妖犬として知られるブラッグドッグの別名が載せられていたり、モチーフとなりそうな聖書の引用が散りばめられていたりと、本書はシナリオや小説を書く方にもおすすめの一冊です。

イギリス文学やその流れをくむ作品、とくに彼我の境界がわからなくなる不思議な幽霊譚に触れたい方、ぜひ読んでみてはいかがでしょう。
これまで遠い存在に感じていた幽霊たちの息遣いが、ひょっとした肩のあたりで聞こえるかもしれませんよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?