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人類よ、学徒たれ

「大学でさ、わざわざ勉強して何になるの?」
「文系やアートってあまり就職に意味ないし……」

そんな声は、私の大学生だった時分にもよく聞こえました。

学びの価値に敏感になるのも当然です。
学生は本能的に、今という時間の貴重さを知っています。
青春は一瞬、だから少しでも価値あるものを――。求めた結果、価値基準が「就職に役立つか否か」になるのも、無理からぬことです。

大学で学んで何になるのか。
以前は答えられませんでしたが、いまは違います。

花の咲き初む、春。私はいま、転職活動の真っただ中です。

数年前と違って、怖れも不安もさほどなく。
人生の泳ぎ方が上手になったのは、四年にわたる大学生活のおかげです。

新しく踏み出される皆様へのエールもかねて。
大学での学びがどう役立っているかを、ご紹介したく思います。


アラサーの大学生

私は家庭の事情で学歴を中断した後、二十代後半で大学に合格した変わったキャリアの持ち主です。
先生からも珍しがられ、「また変なのがきたなあ」と苦笑いされました。

学部を考えるにあたり、手の届く文系の中で選んだのは経済学

「世の中のこと、分かるようになりたい」

それまで一番苦手だった分野の視点を強化したかったのです。

年齢で驚かれながらも、私は少しずつキャンパスに馴染んでいきました。
……いえ、馴染んだというのは不正確ですね。わき目も振らず、やりたかった学業に打ち込みました。今思えば、誰よりも青春してたかも。

お試しで入るプレゼミでは、多くの先生方と出会いました。
稼ぎの少なかった私は、親から「そんな仕事辞めたら?」と言われ悩んでいましたが、経済学の先生からこんなことを言われました。

「経済学の世界じゃ職業に貴賤はないよ。需要があるなら供給も成り立つ。だから、職に上下はないし、やっていい

「職業に貴賤はない」ことへの学術的見解。たとえ建前でも、これほどシンプルに、私のこれまでを肯定してくれる理屈はありませんでした。

経済学を通して得た「剃刀」

ここで経済学とは何か、私の答えを述べておきます。
「お金の学問なんでしょ?」とよく誤解されますが、正確にはお金に限らず世の中の流れすべてを扱える学問です。

「結婚したいけど未婚の人ばかり増えてるの、なんでだろ」
「転売ヤーばかりが増えて手に負えない、なんで?」
うわっ……私の年収、低すぎ。人手不足なのにどうして……?」

教育、経済、国家の発展、個人の消費行動。すべて関心の対象です。
森林の保全なども含めた「環境経済学」なんて分野まであります。

学部生として真っ先に習ったのは、オッカムの剃刀という概念でした。

「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」

上記Wikipediaより引用

必要のない要素を次々と剃刀で削ぎ落し、最後に残ったもの同士の関係性を見抜くのが経済学のやり方です。
AとBには正の相関がある、といった数式で経済の各要素をモデル化し、
「国が経済成長を遂げると自然失業率は増える」
「価格の弾力性が小さいと、製品の値下げをしても大して売れない」
といった見解を導き出すことができます。

授業で出てくる代表例は、農家の豊作貧乏の話。
キャベツが大量に収穫できた年に限って在庫を売りさばけず、農家の収入がかえって下がる……こんなことへの説明も経済学では可能です。

世の中の事象がなぜ、起こっているのか。
潮流を読み解くことは、わからないものをわからないまま放置する不安を大きく減らしてくれました。

労働市場にいる「自分」を俯瞰視する

私はいま、再び就職活動に乗り出しています。
これまで経験のない、異業種への転向を希望しています。

求人で目にする条件は、当然の如く「経験者のみ」。キャリアの転向を志す者にとっては、つらい文言でしょう。

でも、なぜそうなっているのか。
社会全体を考えれば、納得も行きます。

入社後の充実した人材研修は、一般に労働力の流動性を高めます。
早い話が、未経験の人でも働けるよ! という担保になるのです。

ですが、研修には落とし穴もあります。「学びたい」だけの労働者が研修だけ受けて離職すれば、企業は研修費のとられ損です。
ゆえに「学びたい」「経験したい」といった志望動機は「会社は学校じゃありません」と人事の反感を買い、落とされる要因になってしまうのです。

いまの日本は、残念ながら人を育てる余裕がありません。
十分な教育体制がないことを課題に感じている人もいますが、A社が研修機会を用意しても、B社とC社が追随しなければ研修費の出し損になる。
個人でも、会社法人単位でも、大きな潮流には逆らいづらいものです。

こうした社会課題を解決するべく、人材系の企業も動き始めています。
もし嘘だと思うなら、「リスキリング」で検索してみてください。
まだ途上ですが、各社が大急ぎで準備を進めているのが見えるでしょう。

「答えなき問い」への切り口

でも世の中の流れが読み解けたところで、それが何になるのでしょう?
結局流されるだけだとしたら、未来がわかってしまうのは辛いことでは?

その懸念ももっともです。
経済学は憂うつな科学と呼ばれるように、AとBの選択どちらを選んでも十分満足できないこともあるのです。

やりがいはあれど低年収の仕事と、収入はあるが激務の仕事。
どちらかしか選べないとしたら――。確かに、暗い気分にもなりますよね。
でも、いまの私の考えは違います。

「AもBも叶える折衷案を考えればいい」

教育機会を得られないなら、自力で賄ってしまえばいい。
会社に委ねるのでなく、依存度を減らして独自のキャリアを構築する。
そんな生き方を今、少しずつ組み立てているところです。

経済学は、私に自立して生きるための視点を授けてくれました。
世間のことがわからず怯えていた過去の私とは、大きな違いです。

書類や面接で落とされても、希望職種の求人がなくても、自分を俯瞰視できている限りはそんなに戸惑いもありません。

「こっちは求人が少ないな。よし、次はこう動こう」

上から自分を見下ろして立ち位置を知り、柔軟に動くことができています。

……ね。一介の学部生を四年間やっただけでも、これだけのことが言えるようになるんです。
大学での学びは小手先の技術でなく、パソコンでいうところのOSです。
どこへ行こうと、思考は一生モノの財産となるんです。

人類よ、学徒たれ

先日、近畿大学にお勤めの岡本健教授(4月3日現在。投稿時の役職は准教授でした)のnote記事を拝読しました。

大学生は、生徒ではなく学生。
考える大人であり、大学で培うのは未知の状況に立ち向かう力である。
そんな趣旨の文章に、深くうなずきました。

社会で生きる人々は、みなそれぞれの「切り口」を持ちます。
工学、心理学、英文学、哲学――大学だけでなく、美容学校、高専、中学や高校を出てすぐに仕事に就いた方も、みな自分なりの課題解決の手法で戦っています。

ときには自分が持ち得る方法だけでは足りないこともあるでしょう。
そんな時は改めて学び直し、新しい自分をインストールすればいいのです。
「就職予備校」と揶揄される現在の大学ですが、本当の価値は学びが必要な人に、課題解決の力を授ける点にこそあると私は信じています。

この春、新しく校門をくぐられた皆さまへ。
野暮な声には耳を貸さず、やりたいことに精一杯打ち込んでください。
それが将来あなたを形作る土壌となります。
図書室もジムも学生課も就職支援課も、昼にはこみあってるラウンジも。
学費を払ったあなたには使う権利があります。とりきれない「元」をとるつもりで、使い倒してください。

そして、卒業し就職された、新社会人の皆さまへ。
会社は一つじゃありません。でも、あなたは一人しかいません。
仕事はひたむきに頑張ってください。けれどそれがすべてと思わず、あなたを受け入れる場所はいっぱいあることを忘れないで下さい。

病気になれば医者がいます。心の病も、診てくれます。
病後や離職後のブランクをカバーしたければ福祉もあります。
しばらく休んで、また頑張る気になれたら、本当に頑張れる場所をめざして歩んでいってください。

だから、人生は行き詰まりだなんて思わないで。
自分ひとりの視点では足りなくても、学生時代の友だち、親家族、相談機関――人が集まれば文殊の知恵、何かしら解決策は生まれてくるものです。

歩み、学び。
助けを求め、教えを乞い。
そうしてこれまでも、これからも人は歩んでいくのです。

そこには大学生も専門学校生もありません。
不登校でも戦時中に学校に行けなかったおじいちゃんでも、真摯に学びを求める人は等しいもの。

だから、あえて大きな括りで呼びかけましょう。

――人類よ、学徒たれ。

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