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サカナクションの新宝島を聴いて小説書いてみた

原曲はコチラ

本編始まります。

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彼女との思い出は、徐々に色褪せ、遂には、彼女の声もうまく思い出せなくなっていた。

当時、僕は、街中で湧き出た小説のアイディアを書留めようと、目に付いた立て看板に向かって歩いていた。
Cafe Hispaniolaカフェ ヒスパニオラこちら→』と書かれた看板に従い、石垣の路地を進む。
路地奥には、様々な高木に隠れて、平屋が一軒、ひっそりと佇んでいた。
それは、騒々しい文明発展から免れた孤島のようであった。
木製の扉を開けると、彼女の歌声が聞こえてきた。
店員が近づき、ライブ中ですが、よろしいでしょうか、と聞く。
僕が、構いませんと答えると、ステージから離れた1人席に案内された。

席に着くと、僕はノートを開くこともせず、スポットライトに照らされた彼女を眺めた。
彼女は、波打つつばのチューリップハットを被り、帽子からこぼれたロングヘアには、緩いパーマがあてられていた。
白練のフレアワンピースが、抱えているアコースティックギターを映えさせる。
そこから流れるアルペジオ。
聴き入っていた――
僕は、独特なメロディラインと文学性の高い歌詞に惹かれた。

ライブが終わり、僕は彼女に近づいた。
「僕は、君が将来、大物になると確信した。」今思えば、実に滑稽な発言だった。
「ええ。私も確信しています」と彼女は滑稽に返した。
「あなたは面白いね」と僕は笑った。
「あなたはとても変な人ね」彼女も笑った。
僕らは意気投合した。

*

彼女はストイックな性格をしていた。
仕事の合間を縫って、発声練習、美容ケア、作詞作曲とレコーディング、SNSでの発信に加えて、ライブや舞台にも頻繁に足を運んでいた。
彼女は、常に時間に追われていた。
対して、僕はというと、書きたい時に書き、書けなければ書かないといった、気ままな創作活動をしていた。
そんな僕を見かねて、彼女が口を開いた。
「売れる気ないの?」
「まあね。そもそも売れようと思ったら、小説に手を出さないよ」
「何で?」
「小説は、時代の流れと逆行しているよ。ファスト映画、ビジネス書の図解。世の中は時短生活を求めている。対して、小説は、読み終わるのに何時間かかるかも分からない」
「そうだけど」彼女の表情が曇った。
「音楽は良いよ。短いし、分かりやすい。何より、音楽には、音が与える説得力がある」
「……具体的には?」
「例えば、君の歌を小説で表現するのは非常に難しい。恐らく10%も伝わらない。でも、君が歌えば100%伝わる」
「絶対、歌を小説で表現しなさいって言われたらどうするの?」
「歌い手の為人ひととなりやファッション、観客のリアクションといったがわを書いて、中身は読者に委ねるかな」
「なるほどね。私とあなたの違いが分かったわ。私は人に委ねるという事が出来ないの。作曲も作詞も、自分の中で100%の答えを出したいし、声も歌に見合ったものにしたい。そして、声に見合ったルックスになるように、ファッションや美容にも気を遣っている」
「分かるよ。僕も売れようと思ったら、君と同じような事をするだろう。でもね、君は弦を張り詰めすぎているきらいがある。いつかプツンと切れてしまうんじゃないかと心配なんだ」
「大丈夫よ。切れる前に売れるから」
彼女はその後、メジャーレーベルから声がかかった。

*

全てが順調に進み、後は、契約書にサインするだけという段になっていた。
「声が震えるの」彼女が不安そうに僕に告げた。
「病院行った?」と僕が聞く。
彼女がうなづく。
「お医者さんは、声帯に異常はないって」
「じゃあ、良かったじゃん。そのうち治るよ」
と僕は彼女の肩を叩いたが、納得いかなかったのか、その後、彼女は別の病院へ向かった。
心因性発声障害と診断された。

「ゆっくり、治していけば良いよ」
月並みな表現しか出来ない自分が情けなかった。
「そんな悠長な事は言ってられないの」
「でも、レーベルもサポートしてくれるって言ってたんでしょ?」
「そんなの、私が許さない。治してから、契約を結ぶのが筋でしょう」

レーベルも僕も手を差し伸べたが、彼女は病魔という荒波を独りでもがいた。
結局彼女は、レーベルの契約も僕らの関係も全て、白紙に戻した。

*

風の便りで、彼女が結婚した事を聞いた。
僕は彼女が別の幸せを手に入れたことを知り、心が緩んだ。
でも、もし、彼女が、あの時描いていた目的地に到達出来ていたなら――
久しぶりに、僕は筆を執った。
記憶の片隅にある彼女を、丁寧に掬い上げて紙面に落とし込む。
僕は彼女を音のない世界へといざなった。
大きなアリーナに熱狂した観客が集まる。
さあ、舞台は整えた。
後は君が、存分に歌うだけだ。

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