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インドネシアに行ってみて

前回に続き、読者の方にインドネシア🇮🇩について知ってもらいたいので、今日も頑張って書いていきます!

今日はインドネシアの【歴史】についてお話していこうと思います。


インドネシアは世界でも有数の親日国であることは知っていますか?実際に彼らと交流しても日本が好き!という気持ちが強い人が多く、日本に行きたいという人がほとんどでした。

実はインドネシアがここまで親日国になったのには理由があります。

まずはインドネシアの歴史を少しだけ振り返ります。


【インドネシアの歴史】 ※簡単に!

【王国】インドネシアは古代から王族国家で貿易の中継地点として栄えていました。大陸から人々の行き来が多いため、イスラム教やヒンドゥー教は彼ら貿易商から伝えられたと言われています。


【オランダ】大航海時代には香辛料などを求め、ヨーロッパ諸国が次々に来航しました。その中で、オランダ東インド会社がジャカルタでの交易を本格的に始めオランダ統治時代が始まります。

当時の名前:オランダ領東インド諸島


【日本軍の介入】1941年に太平洋戦争が勃発。東南アジア諸島への進出を開始した。当時オランダ領だったインドネシアにも侵攻し、ジャカルタを占領。現地民のリーダー「スカルノ」を救い、協力を求めたという。

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スカルノはオランダ政権に戦前の独立運動を弾圧され、日本軍に委託する。

1944年には、「小磯宣言」という独立を容認する宣言が発表され、独立を求める声が一気に高まった。


【独立戦争】1945年スカルノを中心に独立を求める勇義軍がオランダを相手取り独立を宣言。反対するオランダと衝突が起こり、独立戦争に発展していった。


ざっとインドネシアの歴史を書きましたが、

当時、現地で横暴な政治をしていたオランダから領土を取り返すきっかけを作ってくれたから新日なの?

確かにそれもありますが、大きな出来事は最後の独立戦争にあります。


【独立のために戦った日本人】

インドネシア独立のために戦い、命を落とした日本兵が約1000人いらっしゃいます。

彼らは戦後インドネシアに残り、スカルノらと共に独立を目指し戦いました


生き残った日本人も独立後、両国の平和条約や経済などの架け橋となり、インドネシアの発展に大きく貢献したとされています。


1958年には、スカルノ大統領が来日時に、日本とその日本人に感謝の意を示すほど、インドネシアに与える影響が大きかったんです。

英霊たちは南ジャカルタにある、「カリバタ英雄墓地」 などに埋葬され、今なおそこで眠っています。




インドネシアは彼らの大きな功績によって世界トップクラスの親日国になったと言われています。それは今のインドネシアの人にも続いていて、本当に素敵なことだなって思います。

僕もインドネシアが大好きですし、もっといろんな方にインドネシアのことを是非知っていただきたいです!

テリマカシー👋






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