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忘れがたき私的名作漫画 『玄奘西域記』

「一人びとりが考えるのを怠った時、人は時代にのみこまれる…。小さな手抜きが大きな災いの波へと広がってゆくのをわしは90数年、この目で見てきた。」


 久しぶりになります。
 創作大賞に応募したり、他で書いたりしていて、このテーマから遠ざかっていました。

 今回、紹介したい漫画は諏訪緑さんの『玄奘西域記』。
 世界中に愛される中国古典文学『西遊記』に題材を取った、数あるアレンジ漫画の中の一作品です。


文庫版 1巻

 『西遊記』。
 日本の、特に漫画界でこれほどバリエーションの広い物語もあるまい。
 私が知っていたり、持っていたりする漫画の中でも『最遊記』(峰倉かずや)『西遊妖猿伝』(諸星大二郎)があるし、一番メジャーなもので『ドラゴンボール』だって、最後の方は影も形もないが、当初は主人公の孫悟空のほか、ブルマ=三蔵法師、プーアル=猪八戒、といった原作の形式を取っていた。
 そして必ず「孫悟空」の名が主人公にあり、どれもが魅力的な作品に仕上がっている。

 とはいうものの、この『玄奘西域記』では実は孫悟空、と名乗る登場人物は出て来ない。猪八戒も沙悟浄もいない。要するにファンタジー要素はほぼゼロ、である。
 ネタバレにはなるが、タイトルになっている玄奘三蔵は主人公として登場するものの実質、三蔵法師の役割をする人物は二人。玄奘には孫悟空の役回りも割り振られている。
 この物語での彼は、徳の高い僧ではなく、天竺へ取経(経典を取りに行く)の旅をする兄に同行する、一介のボディガード兼、通訳である。気高く、優しく、弱き人々に寄り添う兄・長捷と同じ“僧”になりたい、と強く願う玄奘。実は、僧の試験にも合格しているのだが、なぜかここ一番の場面で、兄が試験官に口添えしてしまったため、わずか11歳でその資格を得たものの、自分は裏口(?)合格した偽者で半端者の僧だと、自らに忸怩たる思いを抱えている。

 それでも兄を慕う玄奘は、兄が一念発起して弟にも同行を求めた天竺への取経の旅に乗り出す決意をする。通訳兼護衛の兄の同行者に過ぎないことを、百も承知で受け入れた上でー。
 当時の唐においても政治や権力者たちが自分の都合のいいように解釈して、仏教は歪められてしまっている。
 だが正しい経典を取得して、その教えを国に広めれば、民の貧富を問わず心の安定を得て最終的には国も人も豊かに生きられる可能性は高まるだろう。その対象である経典(=希望)を自らの足で取りに行くのだ、という、兄の静かな、弟の明るく真っ直ぐな、それぞれの熱意が、取経の旅を前に進めるエンジンだ。
 それほどに、当時の人々にとっての宗教は、「みんなで幸せになれる哲学」だったのだと思う。

 今でこそ日本では、宗教、というだけで、眉をひそめられることが多い。行き過ぎた信仰を持つ人が、ガスで地下鉄に乗った人を大量に殺したり、信者というよりは、その被害者とも言える“宗教2世”が元首相を殺害してしまったり、と、忘れた頃に大きな事件が起これば、そう思われてもおかしくはないかもしれない。
 私も、宗教を信じることは、人の心を活かすよすがとなる哲学だ、と感じる一方で、信じることで思考停止になるのではないか、という恐れも強く抱いている。
 けれど一方で江戸時代、高額な対価を支払わねば受けられなかった医師の診療や薬を、人を救うためのもの、という精神で、ほぼ無償での提供したのはキリスト教を広めに来たヨーロッパ人たち、という説も聞く。また、東日本大震災の時は真っ先に教会の人たちが炊き出しを行ったとも。やはり何事にも裏と表があると、私は思う。

 そんな二人が旅路で出会うのは、唐と突厥という2つの大国に、あるいは利用され尽くされ、あるいは武力に踏みにじられ、衰退する仏教の姿。その中には拝火教など、他の教えを信仰する国がその信仰を利用され、限りなく滅びに近づく様も突きつけられ、あたかも仏教がたどるかもしれない未来として、玄奘に警鐘を鳴らす。
 にも関わらず、そんな状況を認めながらも、外国語を一切解さない兄の長捷は、僅かな滞在期間にその笑顔と弱者に寄り添う行動、たまに弟を通じて伝える言葉だけで人々の心を魅了してしまう。そして「本当はこう在りたい」と願った、その相手の真の心をあぶり出す。
 それこそが2人が世に広めたい、仏教の真の教え。

 だが、目的地の天竺で、大学入学を目前に、元より体が弱かった兄の長捷は病没する。そして亡くなる前に長捷は告白する。
 実は玄奘の僧侶合格に口添えをした、と言うのは何の効力も持たないものであり、彼が実力で試験を突破していたこと。だが、まだ幼い彼が変に思い上がったりしないよう、深謀遠慮を巡らせた自分がそれを伏せていたこと。病弱な自分がこのように志半ばで力尽きることも考慮に入れて、取経に必要な体力と語学力を、玄奘に重点的に身に付けさせたこと。
 そして取経を成し遂げよ、と言い遺し、長捷はこの世を去る。

 兄を失った絶望に錯乱する玄奘だが、道中で道連れとなったハザクとプラジュニャーカラの尽力でその痛みを乗り越え、見事、大学に入学を許される。

 が、もちろん話はそこで終わらない。4年間、大学に引きこもり同然の生活と引き換えに無事、唐に持ち帰る必要分の写経と、それを教え説くだけの学問を修めた玄奘だったが、学長に帰国を願い出るが受け入れられない。
 そうこうするうちに、天竺の国王がこの学長の命を狙っていることが発覚し、シンハラまでの(名目上)再度の取経の旅に出ることになる。そしてなぜかここに、ハザクとプラジュニャーカラも同行することとなる。

 2回目の旅で玄奘は、自分が大学に篭っていた4年間で、世の中が大変動を遂げていたことに気付かされる。
 まずハザク。彼は実は突厥国の末の王子なのだが、その突厥王が彼の兄に暗殺され、国が崩壊してしまっている。王の遺した隠し財宝の在り処を知る彼は、実兄に追い回されている状況だったのである。
 そして天竺。仏教発祥の聖地であるはずのこの国では仏教が、先に書いた拝火教の国のように廃れはじめていた。代わりに力を得はじめたのが、権力者に都合のよい、カースト制度を擁するバラモン教。
 国王自身はバラモン教に肩入れこそしていないものの、仏教の無力さと権力者の勢いに考えを傾けはじめ、仏教大学を廃止、学長の暗殺をに乗り出した、という経緯である。
 だが、国王とは旧知の仲である学長はこれを、のらりくらりとかわし、取経の旅に出た、というのが実情だ。
 残るプラジュニャーカラは、この大学のOBである。彼は仏教の教えが一般の民衆には解りにくい故に伝わらない、と感じ、反則スレスレの際どいアプローチ(大道芸人のような火渡り、といった見せ物も駆使して)で仏教の教えを伝えよう、と奮戦していた。が、学長、玄奘、更にはハザクの危機を知り、旅の同行者となる。

 ここでやっと見出しのセリフにたどり着く。これはバラモン教の勢いに押される、時代の流れに流されて仏教を排斥しようとする天竺国王について、学長が玄奘たち旅の一行に語るものだ。
 けれど、これを目にした人たちの中には感じ取る人も多いだろう。この言葉は今の私たちにこそ、刺さるものだ。時代の勢いに流され、負けそうになっている私たちに投げられた、無視するのでは済まない問いだ。増してやこの時代のような君主制ではなく、民主主義、つまり民に権限が与えられている世だ。

 ーーーどう応えるか。どう応えられるか。怠ったツケは、嫌でも自分たちに回って来る。

※今回はomori55さんの画像を使わせていただきました。

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