0195戦争がつくった現代の食卓

夏休みオススメ本2『戦争がつくった現代の食卓』試し読み

戦争がきっかけとなって、開発されたものは意外にたくさんあります。私たちが日ごろ食べてている食品も例外ではない、というのが本書。プロセスチーズ、パン、成型肉、レトルト食品、シリアルバー、スナック菓子、缶詰、フリーズドライなどなど、日持ちがして、便利で、手軽に食べられる物には、元は兵士用に作られた食品がたくさん含まれます。そして、それは現在も進行中……。食べ物と戦争のつながりを探る本書から、第1章「子どもの弁当の正体」をお届けします。

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子どもの弁当の正体

汚れにまみれ、空腹を抱え、快適さには程遠く、恐怖におびえる。DJ伍長の分隊の置かれたような状況でものを食べるのはどんな気分か、たいていの人には想像もつかない。二〇世紀と二一世紀のアメリカでは戦争が常態であるにしても、平均的なアメリカ人にとって戦争の経験は身近に感じられるものではない。兵士たちが分け合った食料――数年前につくられたビーフパティとブラウンソースがレトルトパウチに入ったもの――は、自宅の冷蔵庫や食品棚に入っている食べ物とはまるで無縁のように思われる。ところがじつは、決して無縁でないのだ。

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私は昔から、料理をするのが大好きだった。ベッドで小説を読むようにレシピ本を読み、靴を買いに行くよりもエスニック食材店やファーマーズマーケットを見て回るほうが楽しかった。夕食会を開けば魔法のように場が盛り上がり、客は夜更けまでおしゃべりに興じ、料理と飲み物を堪能し、最後にはテーブルがすっかり空っぽになった。母は料理に無関心だったが、私は子どものころに自分の知るなかで最も料理の上手な三人――ニューイングランド出身の祖母、スペイン系ユダヤ人でニューヨーカーの祖父、メキシコ系の友人の母親――を勝手に自分の先生にして、それぞれのキッチンにもぐり込んでは料理の仕方を少しずつ覚えていった。七歳のとき、初めて自分で考えた料理を意気揚々と両親に食べさせた。ラックにあった調味料をすべて使った「スパイス・スクランブル・エッグ」だ。数々の名著を残した料理書作家、M・F・K・フィッシャーの作品を二〇代半ばまでにすべて読破し、大学時代には頭の中に集めた数千のレシピからヒントを得て――ただしレシピどおりではなく――恋人のためだけに、ささやかながらおいしい夕食を毎晩つくって喜ばせた。

新世紀が近づいたころ、キューバ出身の夫とエクアドルで結婚して母親となった。おかげでパンケーキやホイップクリームからマカロニチーズに至るまで、何でも完全に手づくりしたいという思いがいっそう強まった。食事の準備にとてつもない時間をかけるようになり、地域で運営している二つの農場へ毎週トラックで出向いた。一方で肉を買い、もう一方で野菜を買った。地元の生協で量り売りの食材を買い、薄っぺらなビニール袋に入れて持ち帰った。さらに、エキゾチックな青果やスパイス、加工肉、調味料を求めて、アジア系、ラテン系、中東系の食材店を探索した。車で出かけたとき、子どもたちにどれほどせがまれても、マクドナルドには絶対に寄らなかった。スローフード協会ボストン支部のリーダーにまでなり、時間を見つけてはブラジル文化をテーマとしたカクテルパーティーを開いたり、ボストンの子どもたちに野菜ブリトーのつくり方を教えたり、一〇〇人以上の客が参加する持ち寄りパーティーに著名な食物史家を招いて著作を朗読してもらい、つましい豆をたたえたりした。大変だが楽しかった。手抜きをしない自分が誇らしく、晴れやかな気分だった。多くの人と同じく、私も心から信じていた――料理をすることは大切で、大事な節目には料理で家族がまとまり、自分の手づくりする料理のほうが他人任せの料理より健康的で心を満たすものであり、料理というのは人類の遺産の一部であり、料理によって私たちは過去と現在の両方の世界とつながるのだと。

そんなわけで、娘たちが学校へ行くとなれば、ひとかたならぬ力を注いで栄養たっぷりの手づくりの弁当を持たせた。カフェテリアの給食に申し込むという選択肢もないわけではなかったが、気が進まなかった。カフェテリアでは青い帽子をかぶったスタッフが、不機嫌な顔でトレイに投げつけるようにしてメニューを並べる。ぐちゃぐちゃのスロッピージョー〔ミートソースをハンバーガーバンズにはさんだ料理〕や味気ないピザ、あるいはターキーのグレービー添えなどの温かい料理が一品、野菜料理(缶詰のエンドウマメかサヤインゲンかコーン)も一品、ちょっと変なにおいのする牛乳が一パック、そしてデザートはゼリーかフルーツカクテルかしなびたリンゴだ(近ごろではメニューもいくらか改善されていて、たとえば精白粉パンの代わりに全粒粉パンを使い、デザートは省略して、校庭で育てたひょろひょろのブロッコリが出てきたりする)。しかし心ある保護者なら、つまり子どもの食事に気を配る母親なら、子どもの昼食は家で用意する。私もそうするために、市販の加工食品に対する態度をやわらげることにした。正直に言うと、加工食品はずいぶん前にわが家へ入り込んでいた。最初は夫が持ち込み、私も執拗な説得に押し切られて受け入れるようになっていた。スーパーマーケットの陳列棚から子どもの喜びそうな品物を選りすぐって、私は任務に取りかかった。ジッパーやビニール製仕切りのついた断熱材入りのナイロン製ランチバッグやタッパーウェアの密封容器に、ヘルシーな〈ゴールドフィッシュ〉クラッカー、エナジーバー、パウチ(袋)入りジュース、サンドウィッチを詰めた。サンドウィッチは自分でつくった。柔らかい一二穀パンにターキーハムとアメリカンチーズをはさみ、〈サランラップ〉で包む。ベビーキャロットとブドウを添えればできあがり。二人分の弁当を冷蔵庫にしまったら、グラスにシラーズワインを注いでベッドに入る。最高の弁当をつくったと確信して。

そう、間違いなく最高だ。

子どもたちが大きくなると、私はフードライターとして第二のキャリアをスタートさせた。フィエスタ・デ・パスクア(復活祭)の料理、エクアドルのスープ、屋台料理など、ラテンアメリカ料理に関する記事をいくつか書いたあと、自分やほかの人の家庭料理ではなく、自宅の食品庫に不本意ながらいつも入れてある工場製の加工食品について書きたいという思いが強まった。そこで第一弾は、実際よりも体によいふりを装う巧妙なペテン師、アニーズ社のマカロニチーズにした。食品表示をよく読むと、派手なオレンジ色をしたクラフト社のマカロニチーズと成分はほぼ同じであることがわかった。子をもつ親たちは、似たり寄ったりの製品のなかで、大手メーカーの販売する栄養ゼロの製品を買うよりもいくらか健康的だと判断して、アニーズ社のマスコット〝バニー〞とその商品を信頼してきたから、もっぱらそうした親たちからの怒りに満ちた反応でネットは炎上した。

私はこの路線で行けると確信した。

次に朝食用シリアルについて書いたときには、食品加工という現実の世界へさらに深く踏み込むこととなった。炭水化物の歴史を古代までさかのぼり、現代のシリアル製造方法について資料を読みあさり、製造現場の主力装置の機能についても調べた。その装置は押出成形機と呼ばれるもので、スクリューかピストンで金属やプラスチックやセラミックや食材を長いシリンダーに押し込み、摩擦と圧力で加熱したうえで(電熱を使う場合もある)、金型から押し出す。押出成形機はシリアルだけでなく、パスタやペットフード、スナック菓子など、さまざまなデンプン質食品の製造に使用される。スナック菓子の場合、中を空洞にしておいてあとで中身を詰めたり、金型から押し出すときに一気に減圧して膨らませたりすることもできる(押出成形機でいち早く製造されたジャンクフードの〈チートス〉は、この方法でつくられる)。押出成形加工には水分がほとんどいらないので、この方法でつくる食品は乾燥していて、常温で長期保存ができる。食品加工のさまざまなアイデア、使用材料、技術についてさらに調べていくうちに、工業生産食品の製造方法を理解するには、物理学と化学と生物学の十分な知識が必要だと感じ始めた。自分がどこへ向かおうとしているのか、ほとんどわかっていなかった。

こうして私は新たに獲得した食品科学のリサーチ能力を駆使して、今度は子どもの弁当について調べてみた。すると、うれしくない驚きが待っていた。私が子どものためにせっせと〝用意〞していた弁当は、環境への負荷、栄養価、鮮度などのいずれの基準でも、さんざん悪者扱いされている学校給食に及ばなかった。〈ゴールドフィッシュ〉クラッカー、エナジーバー、サンドウィッチ、ニンジン、ブドウの入った弁当を、標準的な給食と比べてみた。給食のメニューは、ソースのかかったチキンテンダー、玄米、冷凍ニンジンをゆでたもの、缶詰の桃のシロップ漬け、牛乳。結果は給食の圧勝だった。給食で使われる食材の多くは大型の袋や缶で納入されるので、容器や包装のゴミが抑えられる。一度に調理する量が多いので、一食あたりの燃料消費量はゼロに近くなる。これと比べて、祖父母や曽祖父母の世代が今どきの手づくり弁当から出るゴミの量を見たら、びっくりして心臓が止まってしまうのではないだろうか。ジュースの入っていたラミネートパウチ、〈ゴールドフィッシュ〉クラッカーとエナジーバーの袋、サンドウィッチを包んでいたラップ、紙ナプキン、さらにはサンドウィッチの具が包まれていた包装材など、ゴミのオンパレードだ。学校給食は栄養面で決して優等生ではなく、熱量六〇〇キロカロリー、脂質一七・五グラム(このうち三・五グラムが飽和脂肪)、コレステロール五七ミリグラム、ナトリウム一一三一ミリグラムだが、私のつくる弁当よりはずっとましだった。弁当は、熱量六四三キロカロリー、脂質二〇・一グラム(飽和脂肪八・五グラム)、コレステロール五〇ミリグラム、ナトリウム九九四ミリグラム、糖質三八グラム(給食の糖質は報告されていなかった)だったのだ。さらに衝撃的だったのは、給食は主に生か半調理済みの食材を冷凍した材料でつくられているのに、弁当よりも自然な状態の食品にずっと近いということだ。確かに、パン粉をまぶしたチキンストリップはタイソン社の製品で、冷凍の輪切りニンジンはカリフォルニアのセントラルヴァレーから五〇〇〇キロの道のりをはるばる運ばれてきたものだし、米は業務用スチーマーで加熱処理したパーボイルドライスだ。しかし全体として、給食のほうが添加物の種類が少なく、動物性や植物性の食材は組織が見分けられる程度に残っていた。

それと比べて、キッチンにこもった私が最大限の思いを込めて準備した弁当はどうだろう。〈ゴールドフィッシュ〉クラッカー、エナジーバー、パウチ入りジュースの賞味期間が長いということは、以前から知っていた。親がこれらを買う理由の一つがまさにそれだ。この手のものは常温で長く保存でき、持ち運びしやすく、破損しにくく、一食分ずつ包装され、子どもたちが喜ぶ。だからこそ平日の昼食の常連なのだ。私はこうした見るからに過剰加工された品を使うことに後ろめたさを覚えながらも、それらは私が前の晩に冷蔵庫やパンケースから取り出した材料で手づくりした主役に対する背景のようなものにすぎないと考えて、罪悪感をやわらげていた。といっても、ターキーハムは品質保持期間が妙に長く、二週間もつことになっている。このハムは、七面鳥の骨から機械で引き剥がした肉に食塩や糖類や保存料や大量の水を混ぜ合わせて加熱したものだ。白やオレンジ色(派手な色はアナトー色素によるもの)のアメリカンチーズも同様で、こちらは一カ月ももつ。パンも本来なら毎日焼きたてを食べるのが大事なはずで、人類は睡眠時間を削って夜のうちにこねた生地を集落の共同窯に入れて、朝に焼きたてのパンを窯から出すという営みを何千年も続けてきたが、そんな苦労はもはや昔話となった。今のパンは異性化糖やデンプン分解酵素が添加されているおかげで、何週間も味が変わらないのだ。私の〝手づくり〞の弁当に入っている品々の寿命を合計したら、きっと子どもの年齢を超えていただろう。

二〇一一年の初めごろ、私は寄稿記者を務めるPBSネットワークのブログにこのテーマで記事を書いた。そこで訴えたのは、弁当の主役となる食品はとうてい新鮮で健康的とは言いがたく、製造日から時間が経っても新鮮に見える策が弄され、人工的で有害かもしれない添加物がたっぷり使われているということだ(ドナテラ・ヴェルサーチ〔美容整形手術マニアとして知られるファッションデザイナー〕を引き合いに出したのはまずかったかもしれないが)。しかし、リサーチを進めるなかで知ったことをすべて記事にしたわけではない。不明な点はあとで明らかにしようと、疑問をためていった。手づくりのサンドウィッチに使ったターキーハムや柔らかい「全粒粉パン」がなぜこれほど長もちするのかという謎を解明したくてそれらの起源を探った私は、ネイティック・ソルジャー・システム・センター(ネイティック研究所)というアメリカ陸軍のあまり知られていない施設で行なわれた研究が背後にあることを知った。それはどんな研究だったのか。アメリカ人が日々口にする加工食品とどう関係しているのだろうか。

これらの問いをもとにして、本の企画書を書いた。いくつかの出版社に送ったら、すぐにエージェントが電話をくれた。ペンギン・ランダムハウス傘下の出版社が契約してくれたという。そこの専門分野は何かと、すかさずグーグルで検索してみた。科学? 科学書の出版社が私の本を出したがっている? だが、すぐに納得した。そう、もちろんそうだ。工業生産食品の基盤を軍がどうやって生み出すかというテーマは、まさに科学とテクノロジーそのものではないか。理科系の授業といえばコロンビア大学で地質学の講義を受けたのが最後だったが、私は果敢にも立ち上がり、足を踏み出した。それから二年半かけて、軍人や科学者や歴史家から話を聞いた。ネイティック研究所を訪ねて、装置がぎっしりと置かれた実験室を歩き回った。古い会議録や報告書をしらみつぶしに調査した。機密扱いを解除された国防総省の文書や特許商標局のデータベースを探索した。専門家でもないのに「穀物化学」「食品科学および食品安全の包括的レビュー」「酪農科学ジャーナル」「ネブラスカ州ブタレポート」「応用環境微生物学」「高分子科学ジャーナル」「毒性学」などの専門誌を定期購読したのは、あとにも先にも私だけだろう。ときには一九三〇年代初期のバックナンバーまで調べたりもした。

ネイティック研究所に関する疑問への答えは本書でお読みいただくが、私は自分の知った答えに驚愕した。さんざん加工されて密封された手軽な食品を私たちが子どもに持たせて学校へ送り出すのは、消費者のあわただしい生活に目をつけた大企業が、かわいいわが子に何か食べられるものを持たせれば安心できるという親心につけ込んだ商品をつくり出したから(というだけ)ではない。確かに、ほとんどの商品は最も安価なカロリー源で最大限の利益を得ることを狙って、子どもの健康や地球の環境など顧みずに製造されている。だが、問題はそれよりもはるかに根深い。子どもの弁当が健康的でなく、新鮮でもなく、環境にやさしくもないのは、それが本来は子ども向けではなく兵士用につくられたものだからである。それらの食品のほとんど、あるいはそれらの製造に用いられる主要な技術のほとんどは、アメリカ軍がコンバット・レーション(戦闘糧食)をつくり出すなかで生まれたのだ。陸軍はレーションの開発にあたって、私たちが子どもの弁当を用意するときとまったく同じ性質を追求した。持ち運びしやすく、すぐに食べられて、常温で長期保存でき、価格が手ごろで、どれほど冒険心のない人でも食べる気にさせるといった性質である。言い換えれば、私たちは自分の子どもに特殊部隊と同じような食事をさせているわけだ。

では、子どもの弁当を開いて、そこに入っているほとんどの食品に秘められた軍の歴史をひもといていこう。


『戦争がつくった現代の食卓』紹介ページ

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