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夜のコンビニが好きな女

夜のコンビニが好きだ。

正確に言うと夜のコンビニが好きな女が好きだ。

もっと正確に言うと一緒に部屋にいて、夜、一緒にコンビニ行こ。と誘ってくる女が好きだ。

なぜだろうか。

夜のコンビニは独特の匂いがする。

なんとなく目的もなくうろちょろしている客がいるからだろうか。

どことなくやる気のない店員が多いからだろうか(夜なのにやる気みなぎる店員は嫌だ)。

バックヤードからの品出しや物流のタイミングにもよるが、棚にポツポツ欠品があるからか。

ぼんやりとゆるい空気が漂っていて落ち着く。

アサヒ芸能を立ち読みしているサラリーマン。
FLASHの袋とじを指で開き覗くフリーター。
アイスを物色する初々しいカップル。
ゴムを平気でレジに置くスレたカップル。
店員に接客のなんたるかを説くおっさん。
それを右から左へ受け流すムーディな店員。

いろんな人がいるなあ、と微笑んでしまう。


まるで人間の水族館のような夜のコンビニに一緒に行こうと誘ってくる女は、間違いなくいい女である。

できれば休みの前の夜がいい。
できれば銭湯でひとっ風呂浴びたあとがいい。
できれば軽く酒が入っていたほうがいい。

でも酔っ払っていてはいけない。
酔っ払うと気持ちが大きくなる。
気持ちが大きくなると思わぬ散財を招く。
できればビール大瓶1本ぐらいが望ましい。

とりたてて面倒くさい案件もなく。
週明けは普段通りに職場に行けばいい。
この休みは考えることがなにひとつない。
そんなシチュエーションがいちばんいい。

「ねえ、コンビニ行こ」
「コンビニ?何買うの?」
「なんか」
「なんかって、何よ」
「わかんないけど、なんか買う」
「明日じゃダメなのかよ」
「いまじゃないとやだ」
「んだよ面倒くさいなあ」
「じゃあいいよ、ひとりでいくもん」
「チョマテヨ」
「似てないよキムタク」

こんなやり取りの末にさして重くもない腰をあげてこその、夜のコンビニである。


ちなみにコンビニ自体は故郷にもあった。

あったはあったが、ぜんぜんコンビニエンスではなかったような気がする。

住んでいた団地から歩いて少なくとも20分はかかった。しかも夜の10時過ぎには閉まっていた。品物も近所のスーパーより少なく、値段は定価という始末。

だから上京後に借りたアパートから5分以内の場所にコンビニを発見したときは狂喜乱舞した。たしか太陽と星がロゴマークの頃の“赤い”ファミマだった。

その頃は夜のコンビニの素晴らしさになんか気づいていなかったし、夜のコンビニに女と行く愉しさなんかつゆほども知らなかった。それどころか女もいなかった。そして金もなかった。

コンビニで買い物できるのは月に一回、バイトの給料日だけである。それも値札をじっと睨み、不得意な暗算で財布の中身と相談しながらがやっとというありさまだ。

その頃の夢はコンビニで値札を気にしないで買い物ができるようになること、本屋で立ち読みして面白そうだったら即買えるようになること、レコード店で視聴していいなと思ったら即買えるようになること。

この3つだった。

そして驚くことにこの3つの夢はその後数十年にわたって不動だった。

なんという欲のないことよ。
Z世代もかくや、である。

3つの夢がかなったのは50歳を迎えんとする頃だったが、すでに物欲そのものが枯れていた。果たして夢がかなったといえるのだろうか。


さて、夜のコンビニが好きな女は自動扉が開くと同時に小走りに店内に入っていく。夏は嫌いだが、この瞬間は好きだ。キンキンに冷えた冷気がスゥーッとカラダをなでてくる。

夜のコンビニが好きな女は商品棚をランダムに物色する。

特に目的がないだけにふだん目も止めない文房具や蚊取り線香などの生活雑貨にまで興味を示す。

商品を手にとり、じっと見つめる。

買うのかな、と思って眺めていると、すっ、と棚に戻す。

それを5~6回繰り返した後、おもむろに冷凍食品のショーケースに向かう。そこでは新製品を見ては驚嘆の声をあげる。ねえ、こんなのがあるよ。え、これ冷凍ってどうやって食べるの(解凍に決まっておる)。

いちいち付き合うのも疲れるが、まあ、これも醍醐味のひとつとして受け入れよう。

その後、カップ麺コーナーで同じような所作をする。新製品に驚き、この味はいったいどうなっているのか、こんなのを買う人がいるのか。これは売れそうだ。夜のコンビニが好きな女はふいにカップ麺評論家と化す。

カップ麺に飽きた後、雑誌コーナーに向かう。少し前なら「これはエロ本でわ?」と思しき雑誌があり、その後それらがテープで止められる時代を経て、最近では姿形を見ることすらなくなった。

いたって健全である。

非常につまらない、と思う。

こんな時代に子どもじゃなくてよかった、と思った。思った瞬間になんて自己中なんだ俺は、と自分を責めた。

こんな時代にしてしまってごめんよ、とどっかの子どもに心の中で謝った。だけどよく考えたらそれは俺のせいじゃないよな、とも思った。

夜のコンビニが好きな女は、なぜか『Casa BRUTUS』を手にとり、パラパラとめくったのちにレジに向かう。

レジ脇の新聞コーナーでおもむろに立ち止まり『優馬』と『勝馬』どっちがいい?と聞いてくるから「競馬ブックがいいんじゃない?」と提案するとあっさり却下して優馬を一部抜き取りCasa BRUTUSと一緒にレジに置いた。

「帰ったら一緒に読もうね」

夜のコンビニが好きな女は現金で支払いを済ませると満足気な表情で店を出ていく。


夜のコンビニが好きだ。

正確に言うと夜のコンビニが好きな女が好きだ。

もっと正直に言うと一緒に帰る場所がある、夜のコンビニが好きな女に振り回されるのが好きだ。

あのときにもうちょっと自由になる金があればなぁ、といまでも時々思い出す。

いつだって何かが少し足りないのである。

タイミングがズットズレテルズなのである。

いやになっちゃうのである。

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