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【広告本読書録:098】広告は、社会を揺さぶった ボーヴォワールの娘たち

脇田直枝 著 宣伝会議 刊

突然ですが、みなさんは女性のコピーライターを何人ご存知ですか?

ぼくはそうですね、パッとおもいつくのは…児島令子さん、太田恵美さん、尾形真理子さん、笠原千晶さん、岩崎亜矢さん。あと昔コピー年鑑で見た田口まこさん。最近その存在を知った眞木茜さん。そして脇田直枝さん。

ぜんぶで8人。たったの8人。30年前から広告の世界に首をツッコんでいたぼくなのに、8人しか知らない。これ、やばくないですかね。あ、やばいのはぼくか。本当はもっとたくさんの女性コピーライターは活躍されていますよね。だけど、表舞台にまで出てくる人、長年にわたって第一線にいる人って、まだまだ少ない気が。

(おめーが知らねーだけだよ!という声が聞こえてきます。はい、まさしくそのとおり。一切反論しません…)

(林真理子さんは!?という声も聞こえてきそうですが、林さんは作家としての存在感が大きいので…)

女性が活躍しにくい分野なのでしょうか。そんなことはないとおもいます。

昔と違っていまは、三徹ヨン徹当たり前!みたいな時代じゃないでしょ。それにぼくは前職でコピーライターの組織をつくっていたんですが、どう贔屓目に見ても、女性のほうが優秀でした。全員じゃないですけどね。

男なんてダメよ、なにしろ発想が固くてガサツで。それに比べると女性社員のほうが発想は繊細だし、吸収力はあるし、視点はしなやかだし、なにより求職者や求人企業のことを思う気持ちが強い。全員じゃないですけどね。

(ジェンダーエクイティの観点から言うと上記表現もよろしくありませんよね、きっと…)

だからついつい制作部門の男女比は3対7になってしまい、ぼくは役員からよく怒られたものです。

しかし、それにしても。

もしかすると、広告の世界も、まだまだオトコ社会なのかも。それが時折発生するジェンダー問題絡みの広告表現炎上につながっているのだとしたら…すべての広告関係者がいまこそ読むべき本があります。

それが『広告は、社会を揺さぶった ボーヴォワールの娘たち』です。

著者はさきほども名前のあがった脇田直枝さん。日本の広告業界における女性コピーライターの草分け的存在です。ぼくがはじめて脇田さんのお名前を拝見したのは、駆け出しコピーライターの教科書的存在『名作コピー読本』です。

あの本で鈴木康之さんも絶賛していたのが集英社『コスモポリタン』の創刊広告「この雑誌にはエクスタシーがある。」のボディコピー。ぼくも一文字ひと文字舐めるように味わいながら、吸収した覚えがあります。

脇田さんは早稲田大学卒業後、森永乳業、フリーランスを経て電通に入社。その後、女性だけで構成された広告代理店『電通EYE』の代表として数多くの広告作品を手がけていきます。

そんな脇田さんならではの視点で、戦後から現代に至るまで、女性の地位向上あるいは男女機会均衡に何らかの影響を与えたであろう広告をチョイス。時代ごとに並べることでこれまでの軌跡を確認するとともに、これからの広告とジェンダーはどうあるべきかを広告人に問うのが、この本です。

さっそく内容を見ていきましょう。

女性と労働

この手の広告アーカイブ本にしては珍しく、求人広告の収録が多いです。つまりそれだけ女性と労働とは切っても切り離せない問題で結びついているのでしょう。男女雇用機会均等法という法律が制定されたぐらいですから、その昔は本当に差別があったんです。

明治時代の新聞求人広告がいくつか掲載されていて、その職種を見ると「乳母」「女優」「女給」「ミルクキャラメル女工」などなど。中には「三越の女子供募集」とか「ミス・シセイドウ」なんてものもあります。扱いは、やはりどこか、付け足しというか添え物的なかんじ。

それが1980年にもなると、デニーズが『男女同一待遇』というコピーの求人広告を出します。創刊されたばかりの「とらばーゆ」からの抜粋ですが、そもそも男女同一待遇が訴求ポイントになるということは、他の会社ではだんぜん男女格差賃金待遇だったわけです。

『世間は女性をまだ、よく知らない。』というキャッチコピーで「とらばーゆ」が別冊キャリア版を出すのは1985年のこと。「キャリア志向の女性を対象にした、新しいタイプの求人情報誌が登場しますということです。」とボディコピーにはあります。そうです、それが広告になるということは、それまでキャリア志向の女性はいないものと信じられていたのです。

その1985年に男女雇用機会均等法は国会を通過。翌年から施行されます。

この法律のおかげで意気揚々と男性社会の仲間入りをした女性たち。しかしほどなくして会社はそんなに甘くないことを知ります。そうした実感から作られたドトールの求人広告があります。

残業し、ワープロ打った企画書で 出世したのは先に帰った課長だけ。
お茶くみが どんなに上手になったって エラくなるのは男だけ。
帰りぎわ 頼む頼むと引き止めて お先に帰るわが上司。

さらにそこから8年。1994年になっても、相変わらず女性社員が満足のいく扱いを受けていないことがわかる求人広告が掲載されます。『「男女雇用機会均等法」施行から8年。お友だちに管理職は増えましたか。』というのはパチンコホール運営の東京日の丸。

つまり東京日の丸ならあなたのキャリアを伸ばせますよ、と謳っているわけで、それだけ女性の地位向上が進んでいないということなんですね。で、この年あたりから派遣会社の募集広告が増えるのですが、ぼくがこの本に掲載されている女性向け求人広告の中で最も秀逸なコピーだな、とおもったのがこちらです。

就職の年だけ、男だったらいいのに。(テンプスタッフ/1997年)

いまなら炎上間違いなしのコピーなんですが、しかし当時の就活女性の本気の本音がここに込められている、名コピーだなとおもいます。「いくら法的なバックアップ体制が敷かれても、目に見えないバリアがまだあることがわかる」と脇田さん。

私も早稲田大学では明らかに差別を感じずに育ってきたのが、大学の就職課に行くと求人表(原文ママ)は男子限定ばかりだったので、初めて女子であることを思い知らされた。大学を出た途端にはしごを外された思いを経験した身としては、この広告には痛いほど共感する。広告が掲載された年度を考えると、あの頃と少しも変わっていないのだな、まだそうだったのか、と思った。

そして、そんな甘言(?)であやしく女子就活生にささやきかける派遣会社たちは一方で、就職氷河期において受け皿になりつつも蔑視のまなざしをあびることになってしまいます。

親のためにも正社員。(テンコーポレーション/1998年)

天丼てんやを運営する企業の求人広告からは、いくら世の中に出られるようになったとはいえ、派遣やバイトじゃダメでしょ、というニュアンスがうかがい取れる。そのような女性たちに安定した職場=正社員という身分を提供しますよ、と提示するのです。

実際には派遣社員のほうが実入りが多かったり、手厚い保障など充実していたりするのだが、それでも親の「うちの娘はどこどこに勤めているんですよ」という見栄を満たしてあげることは結構重要だったりする。

そういうひとつひとつの動きが、気づけば大きな雇用格差につながっていくのでありました。

エッジの効いた表現たち

もちろんこの本には求人広告だけでなく、百貨店、ファッション、家電、化粧品、食品などさまざまな商品やサービスの広告が掲載されています。そしてそのどれもが、従来の女性観(男尊女卑的な)を覆すインパクトを内包しています。

いきおい、コピーコミュニケーションもエッジィなものになりがち。メッセージの中身が尖っているんだから、当然のことかもしれません。いくつかご紹介します。

複写機の広告というと、すぐ女性がでてくることに 
女性はもっと怒るべきです。(富士ゼロックス/1970年)

ビジュアルはアッカンベー、と舌を出してこちらを不敵なまなざしで眺めている女性。いかにも気の強そうな雰囲気です。複写機といえば決済権こそ部長や経営陣ですが実際に使うのは女性社員。ゆえにどこのメーカーも広告にはニッコリ美女をそえもののように配置していました。

富士ゼロックスはそんな風潮にNO!を突きつけた。よくこの広告が通ったものだ、とは脇田さん。同時に同社の先見の明、広告上手でありマーケティング上手でもある点を高く評価しています。

女性よ、テレビを消しなさい。
女性よ、週刊誌を閉じなさい。(角川書店/1975)

女子の進学率が上がり、女子大生がキャンパスにあふれるようになった。テレビや女性週刊誌がこれでもか、というほど女性のライフスタイルを彩った。そんな浮かれた空気に火をつけたのが角川書店。通俗的なTV番組やファッション雑誌にうつつをぬかしていてはいかんぞ!という痛烈なメッセージですね。

同じコンセプトで「ファッションに溺れるな。」(西武百貨店/1977年)や「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」「ファッションだって真似だけじゃダメなんだ。」(いずれもパルコ/1975年)があります。

結婚ばかり夢みていたら、人なんて愛せない。(スカイル1番街/1977年)

これまた痛烈な一行ですね。恋に恋する…とは乙女の専売特許ですが、確かに夢見る夢子さんなところは適齢期の女性にもあるでしょう。そんなんじゃダメだよ、ウェディングドレスの夢ばっかり見てないで、きちんと人を愛することを覚えなさい、とこのショッピングセンターは伝えているんです。

待機児童も減らせない国に、
少子化なんて無くせないと思う。(東日本旅客鉄道/2010年)

これはいまから10年前の広告です。30年ぐらい前に比べるとずいぶん女性の社会進出や権利地位などは向上したといえます。選挙権もあるし、雇用の機会だって。だけど本当にすべてが満たされているかというと、次から次へと新たな問題が立ちはだかります。

せっかく子どもを産む性に生まれたんだから、子育てはしたい。だけど仕事も続けたい。「それって欲張りですか?」と脇田さんは読者に語りかけます。ぼくの周りにもたくさんいる子育てママさんがいま直面するのは、待機児童の問題。これも鋭い筆致で切り取られたコピーだと思います。

■ ■ ■

結論、この75年で男女の問題は解消されたのかというと、残念ながらいびつな形でしか、と言わざるを得ません。せんだっての森元首相の発言からもわかるように問題は本当に根深い。しかし悲観するのは早いとおもいます。

ほんのわずかながら、そしてわずかにしては力強く、ジェンダーエクイティは広告の世界にも、また言論や思想の世界にも、染み込みつつあるようにおもえるのです。

たとえばこのPOLAの広告。尊敬する原野守弘さんが手がけた新聞広告です。(ちょうど今日、というかたったいま原野さんのトークイベントに参加したのですが、そこでも紹介されていました)この長いボディコピーをじっくりと読んでみてください。泣けます。

ジェンダーの問題はもう、大きな声で騒いだり、力まかせに叫んだりしなくても、きちんと正しく、そして静かに伝わる世界になりつつある。

すばらしいことだ、とおもいます。この動きが広告だけで終わるのではなく、きちんとムーブメントになることがこれからの社会をよりよいものにするんだ、とぼくは信じています。

脇田直枝さんも、本編の終わりにこう書いています。

広告が先を行っているのか、現実がこうなってきたのか、やっぱり広告は時代の牽引車なのだと思う

広告は、やはり、社会を、世論を動かす役割を担っているのです。これまでも、これからも。

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