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コンフォートゾーンから出ると成長できる説

マイチェンします。

毎週月曜日、求人広告制作者のみに向けて書いてきた当noteですが、ここらでのみを外そうと思います。対象を絞りすぎると書きたくてもこぼれてしまうネタが増えてきた、というのが理由です。

のみではないなら誰なのさ、というハチのムサシは死んだのさ的なご意見もあると思いますが、求人広告に関わらずひろくコミュニケーションのお仕事に携わっている方を想定しています。

コミュニケーションの仕事、というとカタカナ職業を想起してしまいがちですが、そうではなく営業や販売、接客業もその範疇です。

だからと言ってコミュニケーション術、みたいな話をするわけではなく、まあ、わたしがのろのろと仕事をしてきた現場で拾ったよもやま話だと思っていただければ。

さて、そんなマイナーチェンジ一回目のテーマはせんだってのインタビュー時にあった出来事からはじまります。


そのインタビューはあるスタートアップから依頼があったもので、社外から煌びやかな経歴を提げて入社してきたキャリア人材にフォーカスしたものでした。いわゆる採用広報ですな。

前職、前々職ともにビジネスパーソンなら誰もが知る有名企業に在籍し、業界誌でも取り上げられるほどの実績を積み重ねていたその方。なんと業界経験も職種経験もないにも関わらず、そのスタートアップに応募したんだそうです。

つまり、いい感じに仕上がっていたベテランが全てを捨てて新たなチャレンジを、というシナリオ。特に前職では執行役員だったわけで、放っておいたらそのまま取締役コースですよ。

当然ながらわたしは質問します。

「どうしてまた、リスキーとしか言いようのない転職を…」

わたしが「リスキー」という言葉を口にした瞬間、当該スタートアップの会議室に張り詰めた空気が漂います。

そりゃそうでしょう、人事や広報の彼らからすれば自分の会社をリスク対象だと言われているわけですからね。本当にすみませんでした。

しかしそんな質問にいささかの怯む隙も見せずその方は答えます。

「なんていうか、こう、コンフォートゾーンから抜け出さないとここから先の成長はないぞ、と思ってですね。それであえて、やったことのない世界でどこまで自分の腕が通用するか、試したかったというのが本音のところですね」

か、かっちょええ…

ほっとくとぬるま湯とこたつの往復のような人生を歩んでしまうわたしからすると、こういうことをサラッと言ってのけたり実践できる人っていうのは無条件で尊敬してしまうんですね。

そうか、できるビジネスパーソンというのは、かくあるべしなんだな。常に自分を緊張感あるフィールドに追い込み、自ら刺激を取りに行く。そして自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えるわけですね。リクルーティズム満点です。

でもですね、この説は本当に信じて良いものなのでしょうか?

老若男女全てのビジネスパーソンに当てはまる法則なのでしょうか?

快適な場所から飛び出さないと成長できないって本当ですか?

海は死にますか。山は死にますか。


確かに、サラリーマンの配置転換などはこの説に則っているように思えます。

「あいつ、今年で人事5年目だからそろそろ営業現場に戻そう」とか「本社勤務が長すぎると弛む、緩む。よし、彼は来月から五所川原支店だ」など、本人の人生設計、家庭環境はおろか趣味嗜好性癖社内恋愛事情その他もろもろ全てひっくるめて無視した人事異動はJTCのお家芸です。

これも広義のコンフォートゾーンから飛び出すと成長する説ですよね。無理やりですけど。

しかしこのやり方は一方で、その会社に最適化された人材を作るばかりでキャリアの選択肢を滅するという弊害が唱えられるようになりました。これからの会社社会ではなかなか運用しにくいのではと思われます。

「よしハヤカワ、来月から営業を命ずる!」
「ありがとうございますおせわになりました」
「おい待て!」

こんなやりとりを今から35年前にやってたわたしはなんて先取の精神の持ち主なんでしょうか。


昨年の話。

取り組んでいたあるプロジェクトの担当者が、わたしにしては珍しくあまり相性がよろしくなかったんですね。

いや、相性というより根本的な価値観があまりにも違うといったほうが正しいかな。

こんなことは滅多にないというか、ここ20年以上なかったので、自分でもなんだか面白くて「はあー、こういうこともあるのかー」なんて気楽に構えていたわけです。

もちろんクライアントは何も悪くありません。何の落ち度もない。勝手にわたしが「なんか噛み合わないな」と思っていただけです。

でもですね、価値観があわない相手との仕事が続くと、なんだかどんよりしちゃうんです。とくにクリエイティブワークなんか作り手のテンションが側から見たら狂ってんね、というぐらいホットじゃないと、いいものはできません(反面クールなブレーキも必要なんですけどね)。

次第に、作業がおっくうになる。考えることすらだるい。宿題をこなすみたいなクリエイティブに先方が満足するわけもなくリテイク。またそのフィードバックがなんだかよくわからなくて、この人自分が何を言いたいのかわかってないんじゃないか、みたいな変に相手を貶す思考に走ってしまい、ああいかんいかん、こんなことではと反省。

これを来る週も来る週もやってると、くるしゅうない、みたいなギャグも出なくなるんですよ。日曜日が楽しくないんですよ。会社の仕事じゃないんだから、別にやんなくてもいいのに、なんでこんな嫌な思いしてんだろう。

結果、実に歯切れの悪い着地となってしまいました。このときは確かにコンフォートゾーンを出ていたわけですが、果たして本当にそれで良かったのでしょうか。


また一方で「そんなこと言ってるお前はプロ失格」というわたしもいるんです。プロならどんな相手でもどんなとっ散らかってるオーダーでもきちんと打ち返すべしでしょう、と。お金をいただく以上はその倍の価値を提供してナンボだろ?それをなんだ、相手との相性だと?プロダクトに魅力を感じないだと?甘えてんじゃねーよ。

しかしこの内なるストイックなわたしにも、もうひとりのわたしが語りかけるのです。

確かにお金をいただく以上の価値を提供するのがプロだよね。だけど、そういう環境じゃない時までそれを追求するのって本当のプロなんだろうか。本物のプロなら、これは自分の力を発揮できないと思ったら正直に白旗あげるべきではないか。明らかに自分の力不足だと潔く認めて、誠実に手を引いた方が正義ではないかね。

うーむ、山本学ばりに穏やかに説き伏せてくると「それもそうだよなあ」とうなずかざるを得ないのであります。


そろそろ規定の3000字なので結論を。

この「コンフォートゾーンから出ると成長できる」説は、以下の条件を満たした場合にのみ適用できる、というのがわたしが身をもって捻り出した結論であります。

【1】20代からせいぜい40代前半まで
【2】会社員の本業であること
【3】自ら志願して抜け出すこと

これです。

やはり20代から30代は伸び代がありますし、この時期に成長しなくてどうするって頃なので負荷をかけることは大事です。でも50近くになっても「成長!」ってどうなの?いやいくつになっても成長意欲があるのはいいことですが、優先順位としては少し後ろに下がってさ、もっと生産性とか知見分配とか、そっちにいかなきゃ。

そして自分が所属している会社における事案であること。副業とかフリーランスがなんでわざわざ不快な場所に身をおかなきゃならんのよ。だったらやんないよね最初から。

さらに自分から、というのも最大のポイントです。向こうからやってくるアンコンフォートゾーンはできれば避けたいもの。だってパフォーマンスが発揮できないし、お互いにいいこと一つもないです。社会全体でボランティアやってんなら別だけど。

と、いうことで働き方だけでなく仕事に向き合う姿勢というものも、年代で移ろいゆくものなんですね、という、こうやってまとめると極めて当たり前の話でした。

また来週!

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