見出し画像

カフェをやりたい子どもたち

あれは確か2006年か7年頃だったか。

たまたま偶然にも(重複表現)勤め先がものすごい勢いで成長したことによって、ぼくの部下になる人たちもすごい勢いで増やさなければならなくなり、新卒を一度に30人とか40人とか採用していました。

当時のぼくの仕事はインターネット求人広告のコピーライター職でした。故に新卒で大量に採用したのも求人広告のコピーライターの見習い。

普通に考えてわかることなんですが、そんな大量に求人広告コピーライターの資質がある人が採れるわけありません。そのことをボスにこぼすと、そこでハヤカワちゃんの出番というわけでしょ、とおっしゃる。

要はピヨピヨ鳴いているひよこ達を教育して一刻も早く一人前のコピーライターにせい、というご命令な訳です。

ぼくはもちろんそうするつもりで、がんばりますと答えていました。その一方、心の中ではどこか投げやりというか、そんなのできるわけないでしょ、と思っていました。

歴史に名を残すほどの活躍をするヒーローみたいなビジネスパーソンならこういう局面でも諦めることなく、あくまでポジティブに、自分と部下達を信じて目標達成に向けて邁進するのでしょう。

でもぼくはここ一番で粘れない。諦めちゃうんです。とはいえ一応は粛々とやるという、割とタチが悪いサラリーマンかもしれません。振り返ると反省しかないです。


さて、そんなひよこ達の中でもきちんと光る子、伸びる子はいます。ダイヤの原石みたいにいいものを持っている子に手をかけて、磨いていくわけです。

でもそこから一人前になるのはほんのひと握り。多くは磨いている途中でリタイアしていきます。求人広告のコピーライティングって実はそれほど甘くないんですよ。

まあ、いろいろあって、辞めたい、と言われるわけです。

新人マネジャーに預けている子だったりすると、当のマネジャーが真っ青な顔で報告しにくるのね。あれ、嫌なものだからね。

「ちょっとよろしいでしょうか」
「うんいいよ、どうした?」
「あの、実は…(周囲を気にする)」
「わかった会議室いこか」

この時点で百発百中メンバーから退職意向が出たとわかります。ついでに言うと誰なのかというアタリまでついている。いくらぼんやりしているぼくでもそれぐらいはわかるのです。

で、まあ、無理だとは思うんですが一応、慰留目的の面談を実施するんですね。

ぼくは基本的にこの手の仕事は本人の意思が100%、つまり「やる」ものであって「やらされる」ものではないと思っています。

なので辞めたいと言ってる人を引き止めるつもりは全くありません。たまにタチの悪いセクハラやパワハラがあったりするので話は聞くようにしているだけです。

「どした、いやんなっちゃったか?」

女性社員でセクハラやパワハラが原因だった場合、ここで涙、と言うパターンがほとんどでした。たいていのばあいは無表情で

「いや、っていうか、わたし、コピーの仕事あんまり向いてないなって」

こう言います。

「そっか、向いてなかったか」
「はい…」
「で、辞めてどうすんの?」
「以前からやってみたいことがあって」

以前からやってみたいことがあって、と聞いた時点で、じゃあなんでそれやんないの学校卒業した時点で、と説教モードに入りたいのですがぐっとこらえます。

「やってみたいことって?」
「カフェ」
「カフェ?」
「そう、カフェ」

信じられないかもしれないでしょうけど、ある年の新入社員で半年以内に退職意向を伝えてきた女性社員の9割が辞めたのちにカフェを開く、と言ってきたんです。

「カフェったって、水商売はたいへんだぞ」
「知ってます」
「一日中立ち仕事で、洗剤で手も荒れるぞ」
「知ってます」
「だいいちおしぼりどこから仕入れんだよ」
「……」
「地回りのヤクザとの掛けあいもあるぞ」
「……」

ぼくは自身の経験から水商売の大変さを滔々と語ります。多くのカフェオーナーの卵は怯むんですが途中で「ハヤカワさんの話は居酒屋でしょ、わたしがやりたいのはカフェなんで」と生意気盛りの娘さんみたくなります。

ぼくは(入社時以来、手塩にかけて育ててきたんだけどなあ…)と己の無力感に打ちひしがれて、会議室を後にするのでした。

いったい06、07年に22歳~24歳ぐらいの年齢を迎えた人たち、特に女子の間で何があったのでしょうか。


何があったのかはわかりません。

ただ日本にスターバックスが上陸したのが1996年。カフェブームの立役者的存在、山本宇一さんが駒沢にバワリーキッチンを開いたのが1997年。さらにブームに火をつけたカフェ・アプレミディが渋谷公園通りにオープンしたのが1999年。

2006年から7年に大学を卒業する子たちが生まれたのが1985年前後だとすると11歳でスタバ、12歳でバワリー、そして橋本徹のサバービアな選曲をアプレミディで浴びるのは14歳ということになります。

まさかそんな年でカフェに出入りする早熟ちゃんばかりが集まっていたわけではありませんが、彼女たちが多感な青春を過ごしていた時期というのは間違いなくトーキョー・カフェ・カルチャー全盛期だったことは想像に難くありません。

就職情報サービス会社が毎年発表する年代別なりたい職業ランキングからはわからないムーブメントって、あるんですよね。そしてぼくはそっちのほうに「リアル」があると思っています。

ちなみに「カフェを…」と言いながら退職していった子の中で本当にカフェを開いた人がいるかどうかはわかりません。

「もしお店出したら連絡してな、コーヒー飲みに行くから」と言っておいたのですが、誰からも声がかからないということはそもそもそれ自体が何かのハラスメントになっていたのかもしれません。ごめんよ。

しばらくの間、世田谷の、赤堤とか山下といった比較的お店を出しやすい土地に、いかにもオズマガジンあたりに取り上げられそうな小さなカフェがオープンすると、ここはもしかしたら…と思いながらのぞいたりしていたものです。

さらにちなみに、ですが。当時、同じように退職を口にする男性社員に「辞めてどうするんだ」と聞くと全員がうつむきながら「まだ決まってません」と言いました。

いつの時代も同世代なら女のコのほうがしっかりしているんですよね。あれ?これも何かのハラスメントに当たるのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?