レキップ保坂さんの思い出①
インプットなくしてアウトプットなし。文章の力をつけるなら読書以外の王道はない。そのことを教えてくれたのは、ぼくが二社目にお世話になった『レキップ』という制作プロダクションの代表・保坂さんです。
神楽坂にあるその会社は、デザイナーが5名にコピーライターは保坂さんだけという陣容でした。しかもデザイナーも一人のベテランを除くと経験の浅いメンバーばかり。当時のぼくにはスキル的にもキャリア的にもちょうど良かったのでしょう。
読広OBの保坂さんが持ってくる仕事は実にバラエティに富んでいて、もう時効だから言っちゃっていいと思いますがブリヂストン自転車、ヤマサ、山崎帝國堂といったメジャークライアントから『タップジョイ』という薄毛に効く道具(?)を作っている聞いたことのない会社までさまざま。
ぼくが在籍していたのは半年ほどだったのでそれほどたくさんの仕事をこなしたわけではないですが、それでも三重県鈴鹿市の倉庫の仕事では出張取材を経験させていただいたり、ホットドッグプレスのタイアップページ企画を任されたり、かなり自由にやらせてもらってました。
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そんな保坂さん、入社まもなくぼくが読書習慣がないことを見抜きます。たぶんコピーチェックでのやりとりから気づいたのでしょう。
で、そこからがすごい。保坂さんは毎晩ぼくを飲みに誘うんです。場所が神楽坂ということもあり、昨日は天ぷら、今日は寿司、明日はイタリアン…といった具合に毎晩。もちろんすべて保坂さんのゴチです。
その、飲みの場で保坂さんがしてくれる本の話がめっぽう面白い。面白いんだけど途中で終わらせる。で「この話の続き、知りたい?」と必ず聞いてくるんです。「もちろん」と答えると嬉しそうに「じゃあ明日ハヤカワくんのデスクに置いておくよ」。
翌朝、出社するとぼくのワープロ(パソコンにあらず)の上に一冊の本が。はてなんだっけ?とパラパラページをめくる。そうすると昨日の面白かった話が頭から書いてあるではありませんか。
もう仕事もそっちのけで読みたくなるわけ。すき間時間でちょこちょこ読んでいると夕刻になり「ハヤカワくん、飲み行こうか」の声。
飲みながらの話題はその本について。そして、また新しい面白い本の話が保坂さんから繰り出され、途中で終わり、続きが翌朝、時には文庫本、時にはハードカバーという形態で机の上に置かれている。これで読書が好きにならない人はいないですよね。
まさに英才教育。保坂さんは身銭を切って、読書の面白さを叩き込んでくれました。結果、常にカバンに本がないと落ち着かない体質に。うっかり電車内で読み終わったりすると中吊り雑誌広告の見出しを一文字ずつ追いかけるほどの活字中毒ができあがったというわけです(だからといって読書家ではないんですけどね)。
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残念ながら、レキップにはその年の冬までしかいませんでした。なぜなら当時憧れていた先輩コピーライターが所属する“六本木のスガモプリズン”から赤紙が届いたからです。
辞めます、と伝えたとき、次どこに行くのかを聞いた保坂さんは「あそこは若手を潰すことで有名だから」と猛烈な勢いで反対してくれました。読広のOBの方を何人も呼んで、みんなで一晩かけて反対してくれました。
でも当時のぼくは若気の至りというか、傲慢だったんですね。潰されるようなヤツとぼくは違う、と言って反対を押し切ってしまったのです。保坂さんからいただいた御恩にお返しをするどころが、砂を後ろ足でかけるような行為。ごめんなさい、保坂さん。
その後、保坂さんの言う通り見事に潰されたぼくはスガモプリズンを逃走し、すっかり挫折した果てに居酒屋で働きはじめます。5年ほど経って再起を図ろうとしたとき、いちばん最初に足が向いたのが、レキップでした。
しかし、その場所にはもう、レキップはありませんでした。当時のメンバーの誰とも連絡がとれませんでした。もちろん保坂さんにも。
そのときぼくは、なんというか、こう、人生の無常みたいなものを生まれてはじめて感じたのでした。そして、受けた恩を返そうにも返せないことがあるんだ、ということも。
そして、このうえできることがあるとしたら、それはぼくがとりあえず広告制作の現場に戻ることだ、とおもいました。それからの転職活動は難航を極めることになるのですが、なんとか初志を貫徹できたのは、保坂さんやレキップのおかげかもしれないな、といまでもおもっています。
(つづきます)
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