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上手な求人広告クリエイターの育てられ方

せんだって、求人広告制作に携わっている若手クリエイターとお酒を飲む機会を得ました。デジタル広告の若手クリエイターの声がけで集まった会で、全体的にヤング&ルビカムおっさん、という構図。

年の差30歳、となるとジェネレーションギャップも一周回ってむしろ同世代といってもさしつかえない。かなり話は盛り上がった、と思っているのはおっさんただひとりではなかろうて。

さて、話題はあちこちに飛躍しつつ、やはり重めのテーマとして昨今のクリエイター育成環境にまつわるエトセトラ、にロックオン。

どうもね、やっぱりヤングのみなさんは、物足りなさをかんじているみたいなんですよ。

「何を提出しても『いいね』ってFBばかり…」
「改善方法がわからなくて成長実感がない…」
「先輩も忙しいのかあんまり接点が持てず…」

これね、この問題は本当に、根深い。重いコンダラで扱かれてきたおっさんはヤングクリエイターたちの心の叫びを聞いて、ああやっぱりな…とおもうわけです。

同時に、ああ俺マネジメントから足洗っててホントによかった、と正直ベースかつ自己中心的にホッと胸をなでおろす次第。

もしぼくの全盛期のやり方を1ミリでも現場で披露しようものなら、秒でなんらかのハラスメントにて職場を追い出されることでしょう。

もちろんぼくにあの手この手でチクチクとコピーのなんたるかをおしつけご教授くださったプロダクションのボスや、鉄拳制裁も辞さず!この痛みはお前の成長を願うためだぅぁーーーっ!とかいいながらボコボコ殴ってかわいがってくれたプロダクションのボスなど逮捕ですよタイホ。

「だけどサ、そうはいっても『何書いてんの?お前さん才能ないんだからそろそろ田舎帰ったら?いまならまだ新幹線の終電間に合うぞ』みたいなどうしたらそんな罵詈雑言吐けるんですかってぐらいの熱血指導されるのは嫌でしょう?」

「それは…」

「月曜に会社いったら次にお布団で寝られるのが翌々週の木曜日、みたいな生活も嫌だよね?」

「はいっ!(ドきっぱり)」

そうなんですよね。そりゃそうなんです。そんなんぼくだってそうですわ。

つまりいまどきのクリエイティブの現場では言いたいことも言えないこんな職場じゃポイズンな先輩・上司がモヤモヤさまぁ~ず2している。

その一方で壊れそうなものばかり集めてしまうガラスの二十代若手がないものねだりの子守唄をさえずっているんですよね。東京ららばい。

これはどうやら求人広告だから、デジタル広告だから、といった風土病じゃないらしい。すべての広告制作の現場に共通するお悩みのようです。

もしかするともうちょっとお互いに歩み寄ったらよくなるんじゃない?とおもったわけよ。

足りないのは信頼関係?

ハラスメント界隈をのぞいてみるとまずひとつ言えるのは圧倒的にお互いの信頼関係が構築されていない、ということですね。

上司と部下、先輩と後輩、社長と社員。上の立場の人は下の立場の人を信じて託す。下の立場の人は上の立場の人を信じて委ねる。

信頼関係さえあればハラスメントにはならない、とは言えませんが、ハラスメントが生まれる場所に信頼関係は間違いなく存在しません。

まあ信頼関係なんていうとちょっと固いので、なかよし、ぐらいでもいいでしょう。仲よき事は美しき哉と実篤先生もおっしゃっています。

なかよしだと何がいいか。

気が合う、話があう、センスが一致する。なんでもいいんです。好きな映画が一緒でも好きな音楽が一緒でも。なにかをきっかけにお互いの共通項が見つかり、そこから会話や対話が生まれ、お互いの存在を認識しあう。

そうなると、相手の立場を尊重せざるをえなくなる。誰だって気持ちのいい時間が過ごせる相手のことをゾンザイに扱いませんよね。

そうするとですね、あやまれるんですよ。

しまった、言い過ぎた!とか、つい感情にまかせて強いことを言ってもうた!というときに、素直にごめんなさいとあやまれる。

いや、あやまればパワハラやセクハラも許されるとか言ってるんじゃないです。そういうことではなく、いつでも自分に否があると気づいたとき関係修復のために頭を下げられる関係性。それが各種ハラスメントの着火場所には存在しないよねと言っているのです。

なかよしになった上で育てる側は

厳しいという言葉の定義をしましょう。厳しいとは、きつい言葉を使うことでも頭ごなしに否定することでもありません。じゃあなにか?

ほんとうにメンバーのためになることを厭わず徹底する。

ということではないかとぼくはおもうんです。

これ、さらっと書くと流れてしまいますが、よく考えると結構難しいですよ。っていうか厳しいとは育てる側にとっての言葉ではないのかとおもえるぐらい。

時にはメンバーのために責任ある業務を任せることもあるでしょう。メンバーのためにダメもとの案でプレゼンに臨むこともあるかも。メンバーのために本人の能力以上のアウトプットを求めることもあるはず。

そして、それらの尻拭いはすべて育てる側がやるんですから。

しかも技術的な面だけでなく、どうしてもメンバーはその経験の浅さ、若気の至り的な側面から勘違いして天狗になったりするもの。そのときに相手から嫌われることを覚悟で、きちんと指摘しなければならない。

これはもう給料3倍ぐらいもらわないと割があわない気がする。

でも本来そこに向けられるものなんですよね、育成における厳しさというものは。なぜかいつの間にか言葉の定義や本質的な意味を問うことなく、厳しい指導=マッチョな指導になってしまっていた。しかも日本中で。

さらに育てられる側がなすべきは

なかよしだからって調子にのってはいけません。

あくまで関係性としては上下です。すべての先輩、上司は育てられる側より確実に多くのことを経験しているはず。時折メンバーのほうが経験豊富なケースも見られますがおおむね一年先を行くということはそれだけの差ができているもの。

なのでまずはリスペクトですね。

そしてその上で、先輩や上司があなたのコピーにメタメタに赤を入れたり、あなたの仕事ぶりに注意や指摘をしてきたとしても、それはあくまでコピーだったり仕事に対してのフィードバックであると理解する。

決してあなたという人間を否定しているのではないのです。

その指摘はすべて、あなたの仕事をもっとよくするためのもの。あなたの仕事をよくするということは、あなたを仕事ができる人間にすることと同じ。それが育成の目指すところです。

世の中にはいろんな仕事があり、育成についてもいろんな考え方があるとおもいます。ですが少なくともコピーライティング、とりわけ求人広告のクリエイティブについてはこの定義が正しいとぼくは考えています。

なので指摘を受けたら、注意を受けたら、赤を入れられたら、それはいつか最高の自分に生まれ変われる日が来るよ、と歌いながらやりすごしましょう真摯に受け止めましょう。

にんげんは進化するいきものだ

育てる側はもちろんですが、育てられる側にもそれなりの技術が必要な時代。あっちこっちで頭をぶつけたり叩かれたりしてたんこぶだらけになりながら、荒っぽくもあたたかく育てられた自分たちの世代ってもしかしたら実は…というようなことは言いません。

それを言いはじめたら老害です。

いつだって昨日より今日、今日より明日のほうが世界はすばらしい。

そうあるべきだとおもいますし、そうすべきだともおもいます。

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