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制約を味方につけよう

求人広告制作者にのみ書いているこのnoteですが、今回はもしかしたらもう少し間口を広く取れる内容になるかもしれません。

そんな書き出しの割にいきなり求人媒体どまんなかの話になってしまい恐縮ですが…リクナビネクストやマイナビ、DODA、エン転職など世の中のメジャーな転職サイトには必ず情報の文字数が決められています。

このうちエン転職以外の媒体には最上位プランとしてフリーデザインページが用意されていますが、お高くて中小零細企業はなかなか手がでません。

だいたいどの媒体もキャッチコピー50文字、ボディコピー400文字ぐらい。ブラウザやデバイスに干渉する理由からでしょうか、フォントもサイズもカラーもいじれません。ボールドやアンダーラインなどの処理もできません。せいぜい【】や『』などテキスト準拠の約物しか使えないのです。

まあ、一般的な広告表現から見ると「うっせえわ」ってぐらい自由度が低いといわざるを得ません。

ぼくが最も長い期間携わっていた媒体もやはりキャッチは20文字×2行まで。ボディも450文字で、画像の横に四角いマッスのようにレイアウトされるものでした。当然センター揃えなども不可能なので視覚的に訴えるというアイデアはほぼ実現できません。

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ただ、この制約、ぼくは決してネガティブにはとらえていませんでした。理由は3つあります。

ひとつは「削る力が磨かれる」から。

そもそも最初にアイデアを形にすると、たいていの場合、オーバーフローというか、入れ物以上の中身になりがちなんですよね。コピーに置き換えると、コンセプトから表現のジャンプを経て、ストーリーのようなボディコピーのラフができあがる。

そのときの文字数って自分自身ではシェイプしたつもりでも、結構多かったりするものです。それを再度、読み返し、無駄を削って、言いたいことだけに絞り込む。それでも文字数規定を200文字ぐらいオーバーしている。たいていそんなもんなんです。

で、本当の勝負はここからですね。入らないので、断腸の思いで言いたかった小洒落た一言、世界観を醸し出すフレーズ。そういうったものを取っ払って、骨組みだけみたいなボディコピーになる。そうやってようやく450文字に収まるんだけど、どうも腑に落ちない。

もちろん削りに削った結果、ものすごくシャープで剛速球なボディに仕上がっていればいいんですが。

問題は腑に落ちないときの、コピーライター氏の次にとる態度です。ここでそのコピーを捨てられるかどうか。腑に落ちないものはそのまま提出できない。こんなことならもしかしたらコンセプトから見直したほうがいいんじゃないか。あるいはコンセプトはそのまま、まるきり別の角度からアプローチしたらどうだろう…これができるかどうかが、クリエイターとしての優劣を分けるとおもうんです。

せっかくつくったのに。とか、もうつくりたくない、というような態度の人は、どうぞもっと効率よく稼げる仕事に転職なさってください、です。こういうとき、喜々としてセカンドトライができるかどうかがリトマス紙です。文字数規定があってよかったなぁ、とぼくが思う瞬間です。

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理由その2は「ハッタリで勝負できない」から。

グラフィックの広告を作ったことがある方なら心当たりあるとおもうんですが、弱いコピーもフォント(当時は書体)とポイント数(当時は級数)次第で「おっ!なんかいいかんじだぞ」ってなるじゃないですか。少なくとも悪くないというか。弱点がうまく隠されたかのような錯覚に陥るんですよね。

ぼくの務めていた制作プロダクションには壁一面にB倍版のポスターが貼られていたんです。システム手帳の広告でした。モダンな椅子と件の手帳、ブランドロゴ、そしてキャッチコピーだけがレイアウトされたシンプルなグラフィックです。キャッチは「私の美学。」うん、テキストだけ抜き出すとちょっと何言ってるかわかんないですね。なんか雰囲気はあるけど。

ところがこれがイワタ新聞明朝で、あれ何級ぐらいかな。80級ぐらいかな。とにかくデカくレイアウトしてあったんです。もうそれだけでなんか気分なんですよね。

あるいは色とか、ボールド(太字)にするとか、いろいろな視覚効果がかけられれば訴求力を高めることはできるとおもうんです。

でも求人広告というものの本質とじっくり向き合うと、そもそもの精読性が違う、というところにいきつきます。街に貼るポスターは、そりゃ遠くから見てもわかるようにしなければならない。雑誌や新聞の広告は黙ってページをめくられることに抵抗しなくちゃいけない。

それに比べて求人広告は、いつ読まれるかは人それぞれではありますが、確実に読まれる。読み手はなんとかして少ない情報からその会社や募集職種のことを知ろうとします。もうこの時点で姿勢が違いますよね。

だからハッタリ勝負の必要がないし、その分、正しい方向で腕が磨ける。他の募集案件とも同一のサイズ、フォント、色の文字で書いて、迫力のないコピーはどうあっても迫力がないのです。それをコピー以外の要素でコントロールできないことが、ぼくはかえっていいなと思うんですよね。

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そして最後は「よりコピーの本質を追求できる」から。

ふたつめの理由の最後に書いた、迫力のないコピーはどうあっても迫力がない、ということと似ているかもしれませんが、結局、エフェクトでなんとかできない以上、しっかりとコピーそのものと向き合うしかありません。

ギターでいえば、ギュイーーーン、という音はディストーションにコーラスとコンプかけたら誰でも鳴らせます。でも、本当にうまい人は生音で弾いても上手い。ギュイーーンというニュアンスが伝わってきます。それと同じ。

お化粧なしの、むきだしのことばで勝負する。あるいはエフェクトに頼ることなく、ストーリーの良さに磨きをかける。あれこれできないぶん、書き出しの、そのひとことにこだわる。まあ、これは求人広告に限らずすべての広告文案に共通していえるんですが。

でも物理的に可能な環境と不可能な環境では自ずと覚悟というか厳しさが違ってきますよね。ぼくはこの3つの理由を、よく自由度の低さを嘆くメンバーに語っていました。それでもまあ、おっさんの戯言のようなもので、最後のほうではそれを技術でこうすれば、みたいな論を展開するヤングも増えていたんですけどね。

でもほんと、できないことを嘆くよりも、できる範囲のなかでまだまだやれることってたくさんあるし、これからもより新しいアプローチができるとおもうんですけどね。たとえばぼくが現役のときにやっていたのは、土俵ずらしです。

土俵ずらしというのは目についたありとあらゆる文字表現を求人広告にあてはめられないかって考えることです。もちろん文字の大きさや加工はできない前提。できればレイアウトもその媒体のPRスペースの仕様でできることに限られますが。

いつかやろうと思っていて、結局その機会が得られなかったのが『映画の字幕』みたいなボディコピー。ただセンター揃えができないとダサいかな、と。あるいはペットボトル飲料のパッケージに書いてある成分表示。あのスペック表記なら文字送りそのままでいけそう。とかですね。

世の中にあまたある文字表現って、ものによっては表記が規定されているじゃないですか。それによってある一定の世界観が確立されていますよね。だったらその骨組みをいただけないか、というのが土俵ずらしの素となる考え方。音楽でいうとサンプリング?ミクスチャーかな?ミックスアップが近いかも。

要は、読者の既視感にのっかろうというテクニックですね。そうすることによって円滑になるコミュニケーションもあるだろうということ。もちろんなんでもかんでもは使えませんし、コピーライターのお遊びとのそしりを免れないかもしれません。

でもですね。こういう仕事に遊びがないっていうのも、いかがなものかと思いますよ。ぼくはもっともっと自由に、好きに、遊びながらコピーを書いたほうがいいんじゃないかって思っています。

特にぼくの場合は、つらくてつらくてしんどい日々の中でコピーをひねりだしていたので。ああいうのは、よくないです。コピーはもっと、わらって、おおらかな気分のなかで書くべきです。もちろん水面下ではウルトラ水かきが必要ですけどね。

「この手があったか」と思わせてくれる求人広告コピー表現が出てくることを期待しています。だし、ぼくもその求人広告をつくる機会があれば、まだまだチャレンジしていくつもりです。

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