夜逃げ、その後日譚

世の中には夜逃げをした人を知っているという人間はある一定数いるだろう。しかし夜逃げをした人がその後どうなったかを知る人間は少ないのではないか。その点においてわたしは「夜逃げをした人間の末路」を知っている稀有な存在である。なぜならわたし自身夜逃げした本人なのだから。

と、いうわけで夜逃げに至るストーリーは以前投稿した内容をご参照いただくとして。

代理店やプロダクションに電話一本入れただけで、全ての仕事を放棄して夜逃げしたぼくと後輩。

マニラに飛んでいるボスが帰国後、どのような憤怒の丈をぶつけにくるか容易に想像ができたので(おそらく腕の二本や三本は失うことに…)速攻で生まれ故郷の名古屋にガラをかわしました。で、二週間ほど頭を冷やして(誰の?)東京に戻りました。

結構ドキドキしましたね。ボスはヤサを知ってましたから。ビクつきながら十条の駅を降り、尾行を気にしながら商店街を抜け、自宅アパートに帰ります。するとどうでしょう。自宅の電話兼FAXがもうこれ以上ない量の感熱紙を吐き出しているではありませんか。

いまどきのヤングは電話兼FAXとか感熱紙とかいわれても絵が浮かびませんよね、きっと。

そしてそこには驚愕の脅迫文章が…「早川博通殿 貴殿らの行為は就業規則に反するものであり、当然看過できぬものとして貴殿らを懲戒処分とする。ついては近日中に関係各所より出頭命令が下るのでその際は速やかに出頭すべし。●●事務所」この文面が、数えていませんが50通ぐらい?感熱紙のロールが切れるまで送付され続けていました。

(関係各所ってどこだよ…)
(出頭すべしってどこへだよ…)
みたいなツッコミどころ満点であることはさておき恐怖におののきました。

そしてビビりながらも留守電に入っているメッセージを確認します。全部で10件しか録音できないポンコツだったのですがそのうちの8件は無言。1件は彼女。そして最後の1件が以前同じ事務所で働いていた秘書の女性からでした。

「ハヤカワくーん、タザキ(仮名)でーす!元気?こっちは大丈夫だから心配しないで名古屋から帰ってきたら連絡ちょうだい!飲みましょう」

ぼくは思わずその日のうちに連絡し、飲みにいく約束をしました。そしてよく足を運んでいた青山ツインタワー地下の居酒屋で彼女の口から飛び出てきた事務所閉鎖の顛末は…ここではとてもじゃないですが書けません。

非常に解像度の低い表現で申し訳ないのですが、泣きながら大暴れするボスがいて、その場を収めるスーパークリエイターが登場し、ボスに引導をわたして全てのやりかけだった仕事のケリをつけてくれた、ということでした。

ぼくはその話を聞いて、ああ、やはりいろんなところに迷惑をかけてしまったな、とあらためて反省しました。

そんなぼくにヤザキさんは「●●さん(スーパークリエイターの名前)がハヤカワくんのことを面倒みてもいいっていってるよ。●ッキャン●リクソン行ってみない?」と神の福音のようなことを!!マジすか!!捨てる神(この場合、捨てたのは俺のほうだが)あれば拾う神あり?

しかし…当時のぼくは、正直もうクリエイティブの世界でやっていく自信がゼロでした。なので本当に残念ですが、と丁重にお断りしてしまった。

その後、ぼくが事務所を辞めた話を聞きつけて、東急エージェンシーの方々からお誘いをいただいたり(横井さんありがとうございました!※実名)デザイナーの方から超大物コピーライターや超大物デザイナーの事務所を働き口として紹介していただいたり(浅川さんありがとうございました!※実名)あちこちから温かいお言葉をかけていただけて、本当に周囲の方々に恵まれていたなとおもいます。

「あの事務所で3年勤めていたんだから絶対大丈夫だよ」
「他の環境ってあんなに厳しくないから、きっと上手くいくよ」
「ここまでの苦労がもったいないよ、まだやり直し効くって」

しかし、そういったご好意をすべてご遠慮させていただくほどに、ぼくの自信というかやる気というかバイタリティは粉々に砕かれていたのでした。そう、それはスラムダンクにおける渡米後のヤザワくんのように。

「東京でコピーライターの名刺を手に入れるだけで僕は高く翔べると思っていたのかなぁ…」

そうして、ぼくは静かに広告業界に別れを告げたのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?