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【Lo-Fi音楽部#009】Blueberry Jam

名古屋の南部に位置する南区。この南区と熱田区、港区、瑞穂区という3つの区の区境に位置する町が豊田本町である。

ちなみに豊田本町という町名はない。昭和60年に消滅してしまった。しかし名鉄常滑線『豊田本町』駅を中心としたこのあたりに古くから住む人はみな、自分たちの町を豊田本町と呼ぶ。

ちなみに常滑線の常滑って読めるだろうか。

とこなめ、である。床を舐める妖怪を想起せずにはいられない。

そんな豊田本町駅の西側には地域のランドマーク『トスカショッピングセンター』がある。

現在はほとんど廃墟と化して好事家の動画撮影対象と朽ちてしまったが、ぼくが幼稚園から高校を卒業するまでの間、ぼくにとってゆりかごのような存在であった。

つまりトスカによって育てられ、トスカによって育てられたのだ。

同じことを二回言っているが、なんとなくそれらしく聞こえるだろう。小泉進次郎の発言みたいなもんである。

そのトスカにたくさんあったテナントが、ぼくの実家が経営していた手芸店も含めて一店舗、また一店舗と抜けていった。昔なら抜けた店舗のあとにはすぐに新しいお店がオープンしたのに、すっかり更地のまま何年も放置されていった。

ショッピングセンターをよく知る者ならわかると思うが、営業中にも関わらずガランと何もない空間が生まれるのは、他の店舗にもよくない影響を及ぼす。ひいてはセンター全体に隙間風が吹くようになるのだ。

うちの店の隣の時計屋が体を壊したといって閉め。向かいの子供服屋が栄に移転するために閉め。本屋が跡継ぎがいないと閉め。レコード屋店主が若くして亡くなり。紳士服屋も大手チェーンに勝てないと白旗をあげ。カメラ屋はそもそもカメラが売れないとシャッターを降ろし。

最後にひとつだけ、電気屋さんを残してみな、去っていってしまった。

その電気屋さんの話をします。


とうかいでんき、という名前で長く営業していて、ここ20年ぐらいは『パネット』という屋号に変えた。この屋号でピンと来る人は事情通だがナショナル・パナソニックの特約店である。

主人はスギさん。真っ黒に日焼けした精悍な中年である。記憶の奥底をほじくり返しても、最初に会った時から中年で、最後にあった数年前もまだ中年だった。タバコをひっきりなしに吸い、ビールを水のように飲む。そして無口であった。

奥さんはモコちゃん。健康的な元気印の女性で、彼女も印象が50年間変わらない。昔から大食漢だったが聴くところによると相変わらず大食漢らしい。声も大きく、いつも笑顔で、豪快そのものであった。スギさんとは正反対でよく喋る。

お店はこのふたりを中心に、以前はお母さんも店頭に立っていた。ぼくが数年、または十数年ぶりに帰省するといつも「はっ!」という表情で迎えてくれるのはいつもこのお母さんだった。

あと、ぼくと同い年のモコちゃんの親戚の男の子が中学を卒業と同時に働いていた。彼とは2回ほど飲みにいったが、スギさんも驚く無口ぶりで、ほぼ何も会話せず別れた。


お店はナショナル製品を中心に商品が並べられていて、景気のいい頃はテレビが壁一面に何台もディスプレイされ、いろんな局の番組が流されていた。おかげでぼくは小学校や中学校から帰るといつもとうかいでんきの接客用の丸椅子に座ってテレビを見る習慣がついた。

高校にあがってからは灰皿が用意されるようになり、隣の喫茶店(トスカーノ)からウインナーコーヒーなどを出前してニートな午後のひとときを過ごしたりもした。

そんなぼくは中学生のとき、生意気にもウオークマンを欲しがるようになった。モコちゃんに相談すると「うん、ウオークマンもいいけど、松下さんからもいいヤツ出とるよ」といって『ナショナルWay』というポータブルカセットプレイヤーをすすめてきた。

「ソニーは壊れるでね」「ソニーはいかんわ、メーカーが値引きしてくれんで」「松下さんなら2割引だでね」「ソニーよりええと思うよ」「松下さんにしやあ」「松下さんにしたらカセットテープつけたげるわ」「電池もあるでよ」「まあええわ、ようかんがえやあ」「松下さんのほうがええけどね」

ぼくが根負けするのは時間の問題であった。


とうかいでんき改めパネットが唯一、現在のトスカに残っている(あるいは残れている)理由はハッキリしている。

お店にはとんと顔を出さないスギさんの存在だ。

スギさんは朝からお店のトラックにいろんな機材を積んで出かける。豊田本町中のご家庭から受けた注文を捌くのである。

どんな注文?山ほどある。まず新しく買ったエアコンの設置。重たい冷蔵庫や洗濯機の取り付け。最近複雑化の一途をたどるテレビのセッティングと操作説明。照明が切れれば電球一個交換に訪問する。あれが壊れた、これが動かん。豊田本町のあちこちから「でんきの相談」がすべてスギさんのもとに届くのだ。

しかも贔屓目に見てここ30年の豊田本町の住民はジジババばかりだ。統計はとってないが目分量で平均年齢60歳はくだらないだろう。冗談ではなく消滅可能性都市といえる。

そうなるともう、電気のことはすべて、まるごと、ぜーんぶ、お墓に入るまでとうかいでんき改めパネットのお世話になるのである。ここにエディオンだの、ウオッチマンだの、ラジオセンターアメ横ビルだのはゆめゆめ参入できないのだ。

この地域密着といったら密着しすぎ、ズブズブの関係性こそとうかいでんきの財産なのである。この日のために暑い日も寒い日もスパナとドライバー片手に豊田本町を走り回ってきたスギさんの勝ちなのである。

勝ち組とか負け組とか、そういう苦労や汗を伴わなさそうな言葉は大嫌いなのだが、スギさんには勝ち組の称号をあげていいと心から思う。


そんなスギさん、モコちゃん夫妻には、ぼくは幼稚園の頃からひとかたならぬお世話になってきた。節目節目に贈り物をもらってもいた。

ある日、中学卒業を間近に控えたぼくにモコちゃんは言った。

「そっかぁ、ヒロくんも高校生か、早いねえ」
「ほんとだね」
「私もおばさんになるわけだわ」
「そうだね」
「なにがそうだね、だの(怒)」
「ごめんごめん」
「せっかくだで卒業祝いになんか買ったるわ」
「ええて」
「いかんて」
「ええて」
「遠慮せんでええわ、はよ欲しいもんいやあ」

そこで数秒考えた。何がほしいのか。そんなに高いものでなく、かといって数百円とかでは価値が薄い。いま俺は何が欲しいのか。ヤマハのデカラケ。プロフィット5。あとかわいい彼女。いかんいかん。

「じゃあレコード買って」
「ええよ!お安い御用だわ」

同じトスカ内のレコード店『ルート66』で物色した。さて、何にしようか。こういうときは自分では買わないけど、もらえるなら聴いてみたい音楽だ。うーん…この店のレコードはあらかた漁ってるからな。

めったに手を出さない洋楽とかいいかな。そうだな、来月から高校生だし。洋楽のひとつも聴いておかんと。エアチェックのテープだけだとダサいし。彼女が出来て部屋に遊びに来たときに見栄えがいいヤツを…

「あっ!これがいいわ。これにする」
「うん、いいよ」
「ありがとう!」
「楽しい高校生活を送りゃあね」

そんなやりとりを交わしつつ手にいれたアルバムは、こちら!

飯島真理デビューアルバム『Rosé』(1983)

どこが洋楽やねん、という盛大なツッコミを期待する私である。

YMOフリークだった当時のぼくは、特に坂本教授がアレンジやプロデュースする作品を片っ端から聴き倒していた。特に毎週火曜日夜10時からのサウンドストリートを聴いた翌日は近所の貸しレコード屋『黎紅堂』に飛んでいき、ストックがなければ新瑞橋の愛曲楽器にケッタを走らせる少年であった。

当然、このアルバムの存在も知っていて、教授が番組の中でちょっと照れくさそうに紹介していたのがこの曲です。

確か「若い娘をプロデュースして」とか「かわいい娘で」とか、そんなことを言ってたような記憶が。

とにかく、OAで聴いたときはそんなに印象深くなかったんですね。伊藤つかさの『恋はルンルン』みたいなものか、といった感じで。

で、長らく放置していたんですがせっかくの機会なのでモコちゃんに買ってもらったわけです。歌詞のわからん洋楽はやめて。

そうしたら、あなた。

このアルバムは教授プロデュースの中でも1,2を争う傑作と言っても過言ではありません。

まず最高のアレンジ。元曲のタッチを最大限に活かしつつ、飯島真理というシンガーの当時の持ち味を引き出す編曲の数々。

随所に散りばめられた転調。特にM1やM2ではアウトロに効果的に転調を配置することで曲の読後感(そんな言い方はしないか)を味わい深いものに演出。

またストリングスのアレンジも教授らしく、クラウス・オガーマンを彷彿とさせる美しい旋律をアップテンポなナンバーの後ろに重ねてきます(M10)。

さらに素晴らしいのは参加ミュージシャンの面々。ギターは大村憲司、アコギに吉川忠英、ベースは後藤次利、サックス清水靖晃、そしてドラムは林立夫と山木秀夫という豪華メンバー。教授人脈とはいえ贅沢すぎる布陣です。

当時からドラムを志向していたぼくは、この曲とこの曲は林立夫だ、この曲は山木秀夫だ、と曲ごとにどっちが叩いているかを推察していました。シモンズ使ってんのは山木だな、とか。恐らく間違っていないはずです。

とにかくこのアルバムの虜になったぼくは、すでに新譜も出ているとの情報を得て、あわててセカンドアルバム『Branche』を購入。そしてそこで展開される吉田美奈子先生の非常にダークな、くぐもった、玄人好みするアレンジに全くついていけず、挫折するのでありました。


そんなこんなでモコちゃんに買ってもらった飯島真理『Rosé』。その後の高校三年間、そして東京に来てからも何かあるとひっぱり出しては聴いています。いまでも聴きます。ぜんぜん古さを感じないのは、ぼくが歳をとったからでしょうか。

モコちゃんはたぶん、そんなことはすっかり忘れているでしょうから、いつか、話してみようと思います。

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