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キャッチコピー自画自賛。

徹頭徹尾第三者にとってどうでもいい話なんですが、果たしてぼくはこれまでにいったい何本ぐらい求人広告をつくったんだろうか。よく求人広告出身の方のプロフィールに「8000件の求人広告を…」とか「10000社の採用に携わり…」とか書いてありますがよく覚えているなあって印象です。ちょっとお前盛ってね?なんておもう。性格が悪くてすみません。

そんなぼくはいっとう最初の会社で約2年、紙の求人広告に携わりました。「カーカキンキン…」のCMでおなじみ(古いか)『FromA』やら『B-ing』『GAT’N』『とらばーゆ』さらには「職業選択の自由アハハン」のCMでおなじみ(古いね)『サリダ』『DODA』は創刊時に関わってたね。

(そうそう、サリダの創刊時にはすごい事件が起きたんですよ。話が脱線しすぎちゃうのでまた別の機会に書きますね)

もういまではすっかりWebに駆逐されてしまいましたが、当時はバブルの残り香もあり、あちこちの版元から新雑誌創刊!みたいな華やかな世界でもありました。求人広告自体は地味なんですけどね。

その頃、ぼくが書いていたキャッチコピーは、それはもうフザケたものばかりでした。

『得意科目はプールと子供。』
(某スイミングスクール)
『まじめに、ふまじめ。』
(某アパレルメーカー)
『三食昼寝付、返上。』
(某スーパーマーケット)
『仕事を愛して、遊びに恋する。』
(某精密機器メーカー)

当時は広告設計なんて一切考えることもなく、思いつきをそのまま、キャッチっぽいフレーズに仕上げただけです。こんなコピーが応募効果に寄与するとはとうてい思えません。タイムマシンに乗って当時のぼくのところに行ったらめちゃくちゃ赤入れして泣かせたる。

にもかかわらず自分としては「できる」という謎の自信に裏付けされて、求人広告なんかやってられっか!とばかりに後ろ足で砂をかけ、商品広告、SPの世界に飛び込んでいきました。もちろん世の中そんなに甘くなくて、商品・SPの海で完全に溺死することになるんですけどね。

それから数年後。居酒屋の店長を経て、ぼくはふたたび求人広告の世界に帰ってきます。居酒屋の店長をクビになり、商品広告でもう一度、と立ち上がるんですが、どこの会社からも門前払いされます。昔、在籍していた会社はというと、最初の求人広告代理店をのぞいてどれもすべて跡形もなく消えていました。

転職活動中にいちばんこたえたのは、最初の会社でお世話になった先輩のツテを辿って訪問した、新富町の制作プロダクション。

ポートフォリオを見ながら「すごく厳しいことを言うと、あなたのスキルやキャリアは通用しない。あなたが居酒屋で働いていた5年間で広告制作の現場は大きく変わった。悪いこと言わないから飲み屋での仕事を探したほうがいい」とハッキリ言われました。帰り道「絶望という字は望みが絶たれると書くのねー」と替え歌を歌っていました。

やっぱ無理なのかなあ、と半ばあきらめていたときにふっと舞い込んできたのは、設立したばかりの求人広告サイトを運営するベンチャー企業が制作部門のチーフコピーライターを募集している、という情報。

「求人?そうか、求人なら多少ブランクあってもいけるんじゃないか」というちょっとナメた感覚(しかしそれは間違っていなかった)で募集記事を見てみると、応募資格に「制作プロダクション等での勤務経験者歓迎」「求人広告制作の経験があれば尚可」「大卒以上、30歳まで」とある。

おお、これは俺のことに違いない。高卒だし10月には31歳になっちゃうけど、まだ8月だし学歴なんか勢いと笑顔でなんとかなるだろう(なるか?)いまなら間に合うぞ!とあわてて応募したものです。

そこからトントン拍子、というわけではありませんが、9回ほどの面接を経て、無事に求人広告の世界にカムバック。最初は商品じゃないけどまあいいや、とはじめたのですが、これが意外といい感じにハマりました。

①求人広告の基礎的な知識があった(薄いけど)
②商品広告のクリエイティブ経験があった(浅いけど)
③居酒屋での社会経験による人生観、労働観があった(ザ・ノンフィクション的視点)

この3つが奇跡的にリンクした上にベンチャーなので社員が全員若くて素直で仕事人間、なおかつ直属の上司が実質の経営者かつコピーライター出身だった(半年後に見事なまでにド営業出身に変わりますが)ことが重なり、めちゃくちゃのびのびと活躍できたのです。

ぼくはこの会社のチーフコピーライターとして迎え入れられ、4人だった制作部門は営業部門の組織拡大にあわせる形で7年で150人超に拡大します特に望んでいないのに制作本部長という偉そうな肩書になり、特に意識してないのに何百億もの売上を支える納品責任者となり、そしてリーマンショックで自部門を3分の1にリストラしました。

その後、アルバイトメディアの立ち上げを手伝ったのちにマーケ、そして営業企画へと回されたところで「やーめた」となります。いくら出世とか昇格とか昇進とかに興味がないぼくでも、さすがに気づきます。あ、これが世にいうナチュラル・ショルダー・ヒットというやつだな、と。

最後は典型的なヤン窓(ヤング窓際族)でしたが、いまおもえばピーターの法則の通りぼくは自分の能力を発揮できなくなるまで出世したんでしょう。

そんな状態で役員会でPLとかBS見たってよくわかんないし、部門報告の資料作成だけで一ヶ月、みたいな有様を見て神様が「お前それ似合わないし、できないんだからもうやんなくていいよ」と言ってくれたんでしょうね。

自分でもおもってたもん。俺なんでこんなことやってんだろう。コピーライターなのに、って。

ま、それはいいとして。

いま思い出してもこの会社で、現場で転職サイトのコピーをこれでもか、これでもか、と書きなぐっていたときがいちばんエキサイティングでバイオレンスで面白かったですね。覚えているキャッチもこの時期に量産していたものばかりです。

『大好きな魚で、食っていこうと思う。』
(某築地鮮魚仲卸)
『ハンドル握るのは一日1.5時間です。』
(某運送大手)
『転職したらできちゃった、結婚。』
(某パチンコチェーン)
『賞金ランクには入りませんが、私たちもゴルフのプロです。』
(某ゴルフショップ)
『君の技術は黄色いバナナのためにある。』
(某IT企業)

とくに最後の『黄色いバナナ』は昔の同僚で、いまランサーズの役員として華々しい活躍をされている根岸さんがいまだに褒めてくれて気恥ずかしいような、誇らしいような。当時の仲間にこんなふうに覚えてもらえて解説までしていただけるなんて、ほんとうにうれしいです。

そしてこれらのキャッチは昔のものと違って採用課題が明確だし、その課題をきっちりとコピーで解決しています。そしてどれも爆発的に応募効果と採用成果を出してましたね。いわゆるZD案件がトータル400名以上の応募につながった、とか。もちろん応募数が多ければいいというイデオロギーには大反対の立場なんですけど。

それぞれのコピーが生まれる背景、いまでも説明できますからね。そうだ、ひとつずつのエピソードをストーリーにしたら面白いのかな。ちょっとこんどやってみますね。

その頃によく口にしていた、いきったフレーズでこの回を終わりたいと思います。「最高傑作?それは次につくるコピーかな」きゃー、かっこ悪い。恥ずかしい。よく臆面もなく言ってたわ。でも本気でそう思ってました。

ということで、どんな人生にも一度ぐらいはキラッと光る瞬間があるもんだというお話でした。

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