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RINJIN・怪人・スズキさん譚

18歳で名古屋から出てきて最初に住んだアパートは『第2ときわ荘』といいます。もちろん漫画家の聖地とは一切関係ありません。京浜東北線「東十条」駅徒歩10分。東十条商店街を抜けて環七を渡り国際興業バス営業所を超えたその先にある築36年の木造家屋でした。

一階は電機部品の組み立て工場になっていて、住まいは二階の三部屋のみ。アルミの玄関戸を左に引くといきなり階段で、蹴上を開けると下駄箱になっているという。わかるかな?

六畳の部屋には押入れと一口コンロがあり、流しと便所は共同です。そんなんだから防犯システムも脆弱で、小さな南京錠がひとつのみ。当然ながらセコムしてません。

コピー学校に通いながら深夜までアルバイトで帰ってこない生活だったので、一応きちんと施錠していました。まあ、空き巣にあったとしても盗られて困るものもないので、特に気にはしていませんでしたけど。

ところが入居半年目ぐらいからどうもおかしな感じになってきた。

当時、田舎のおばあちゃんから食料品を送ってもらっていたんですね。米とかインスタントコーヒーとかビスケットとか。あとマヨネーズとか丸美屋の麻婆豆腐の素とか。なんせ爪に火を灯す生活ですから助かっていたわけ。

ある夜、バイト先から帰ってコピー学校の課題でもやろうか、というとき。眠気覚ましのコーヒーでも、と思って『ネスカフェ エクセラ』をカップにいれようとしたら、瓶の中は空っぽでした。あれ?俺いつの間にか飲んじゃったのかな?と思い、その日は諦めたわけです。

またある夜、やはり課題をやりながら前日に送られてきた『マクビティ ダイジェスティブビスケット ミルクチョコレート』を食べてました。4枚で一重ねが全部で5段、合計20枚入りという構成。その日は1段と2枚、つまり6枚食べたはずでした。

しかし翌日見ると1段しか残ってない。予定では3段と2枚、つまり14枚残ってるはずなのに。あっれー、おっかしいなぁ、と。

■ ■ ■

ある日、バイトが急に休みになったので予定より早くアパートに帰ると、なんとなくですが朝でかけたときと風景がかすかに違う。なんだろう…しばらく考えて気がついた。使ってないはずの食器が水道の脇に出されています。しかもどうやら洗ったあとのようです。

さすがのぼくも気味が悪くなって部屋の中を総点検します。冷蔵庫をあけると、あれ?一回も使っていないマヨネーズがキレイに絞られている。お米が半分以下に減っている。5個ぐらいあった出前一丁がひとつもない。

ぼくはちょっとこれはどうしたらいいかわからない、とおもい(なんたって18歳ですからね)隣に住んでいた大家さんに相談しました。

すると大家さんは明らかに「はっ!」という表情になり、鍵を新しく換えてふたつに増やしましょうといいます。もちろんその費用は大家さんが出します、と。

それでことが収まれば、ぼくとしてはいいかなとおもっていたので、多少不便ですが鍵ふたつの生活をはじめます。するとどうでしょう。相変わらず不思議現象は続くじゃないですか。

ある時は全10巻の漫画が6巻以降急になくなって、翌日には戻っていたり。ある時は4枚切りの食パンが1枚になっていたり。開けたはずのない牛乳パックが開いていたことも。

仕方ないのでもう一度大家さんにそのことを話すと、大家さんは

「ごめんなさいねえ…入居前に言えばよかったんだけどあなたがあまりにも夢いっぱいに上京してくるものだから、水を差すようで言えなかったのよ。隣の人よ、隣のスズキさん。昔っから手癖が…」

そのときまだSMAPはデビューしていなかったはずですが、ぼくはチョマテヨとはっきり口にしたものです。キムタク降臨です。

■ ■ ■

隣のスズキさんというおっさん(といっても30歳ぐらい?)は定職に就かず、日がな一日まっくらな部屋でラジオらしきものを聞きながら新聞らしきものを読んだり文章のようなものを書いたりする、謎の人でした。

大家さんによるとなんだかよくわからない宗教だか政治結社だかの組織に入会していて、ぼくが入居する前も隣人とトラブルを起こしていたんだって。そのとき大家さんからかなりきつく注意したので今度は大丈夫だとおもっていたら、この食料盗難事件です。

スズキさんは地の利を活かしてぼくの一週間の生活サイクルを熟知。コピー学校やバイトなどで部屋をあける時間帯を見計らっては忍び込み、証拠が残らない、またバレたとしても損害が極めて小さい食料を中心に失敬していたようです。

まあ、実際に被害額は大したことないですよね。

っていうかそんなことより気持ち悪すぎますよね。いくらぼくが金も地位も名誉もない痩せた豚猫のような存在だったとしても、キモいものはキモい。

ぼくはその日から友人を強制的に誘い込み、赤羽にある『大日本製本』で深夜バイトをやり倒し、引っ越し費用をつくりました。夕方18時に集合し、前日の給与をもらい、そのまま製本ラインで朝の6時まで働くという現代の蟹工船です。

日給は8000円。1ヶ月ちょいで25万円貯めて家賃5万円、夢のユニットバス付アパートへ。東十条駅前の前田不動産さんにはお世話になりました。

大家さんからは「スズキさんには出ていってもらうから、いてもらえない?家賃3ヶ月タダにするから」とまで言ってもらったのですが、さすがにそういう問題じゃないだろうとおもって、ときわ荘をあとにしました。

奇しくもその日は隣のスズキさんが出ていく日でもありました。朝から冷たい雪が降っていたことを覚えています。荷物を運び終わってガランとした部屋で、あんまりいいことなかったな、とつぶやいてみました。

■ ■ ■

そして迎えた新しい部屋での初日。

隣の人に挨拶を、と引っ越しタオルを持ってノックすると、ヌッと中から出てきたのはスズキさんだった…というようなオチがあればぼくも三流ミステリ作家ぐらいにはなれたかもしれません。

いまでも冬になるとおもいだします。スズキさんにひたすら食料を盗まれていた頃のことを。スズキさん、いまどこで何やっていることやら。

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